確かに福島第一原発事故は起こったが、地震自体には耐えたし直接の死者はいないので日本の原子力政策の失敗ではない。今後も原発の再稼働・新設はするし輸出もしていく。この理屈がわからん文系は馬鹿、みたいな話?
確かに福島第一原発事故は起こったが、地震自体には耐えたし直接の死者はいないので日本の原子力政策の失敗ではない。今後も原発の再稼働・新設はするし輸出もしていく。この理屈がわからん文系は馬鹿、みたいな話?
事故から2年ということで、先週あたりから大量の福島原発事故特集が組まれていますね。JCO事故のときもそうでしたが、事故何周年で番組が集中するというのは、通常のニュース枠からはどんどん外れていきますよ、という徴です。首相官邸前の抗議デモも、最大時で15万とか20万とか言われましたが、先日調べたら200人代まで減っていたとか。今後増えるにしても一時的現象にとどまるでしょうね。「忘却」というやつですね。残念なことですが。 昨日、奥様が焼身自殺された川俣町山木屋の渡辺幹夫さんのところに行って話を聞きました。詳しくは後でウェブマガジンで発表する予定ですが、奥様が原発事故の避難生活によってうつ病になり自殺をされたことは、2人の精神科医の判断からも、常識的に考えても間違いないところだと思います。この問題については、初めは裁判にするつもりはなく、東電に交渉に出向いたのだが東電の対応は門前払いだったというこ
1956年生まれ。テレビディレクター、映画監督、作家。ドキュメンタリー映画『A』『A2』で大きな評価を受ける。著書に『東京番外地』など多数。 森達也 リアル共同幻想論 テレビディレクター、映画監督、作家として活躍中の森達也氏による社会派コラム。社会問題から時事テーマまで、独自の視点で鋭く斬る! バックナンバー一覧 今の学生は素直すぎる。 とても危機的なほどに 授業が終わると同時に、耳にイヤフォンを差し込んだまま、学生の一人が近づいてきた。 「質問だけどいいでしょうか」 「もちろん質問はいいけれど……」 僕は言った。 「どうして授業中に質問しないのかな」 「だって誰も質問しなかったので」 「誰かが質問するまではできないということ?」 「場の空気がありますから」 あっさりと言われて、僕はため息をつく。 「でもその『場の空気』は、あなたたちが作っているんだよ」 「それはそうですが、最初の一人はま
印刷 関連トピックス東京電力 全国の9電力会社役員が業界団体主催の朝食会で、所管官庁の経済産業省と関係がある議員を中心とした自民党議員数十人と顔合わせしたうえ、担当議員を分担、選挙時の資金協力や飲食接待などを行っていたことが分かった。参加した議員秘書らが明らかにした。 東京電力で組織的なパーティー券購入や、会社側が役員の個人献金を差配していたことが判明したが、新たに電力各社が連携して政界工作にあたってきた構図が浮上した。こうした工作は1990年代に盛んに行われ、顔合わせの朝食会は近年も続いていたという。 議員秘書や電力会社元幹部によると、全国の電力会社でつくる業界団体「電気事業連合会(電事連)」主催の朝食会は、東京都内のホテルを会場に2〜3カ月に1回のペースで実施。また、不定期で電力数社と議員らのランチ会もあった。 続きは朝日新聞デジタルでご覧いただけます関連リンク東電、役員の献金を
Togetter 「御用学者Wiki」についてのやりとり 上記のまとめが目にとまるまで「御用学者Wiki」なるものを見たことはなかったし、その後もろくに読んでいないので、そこにおける「御用」認定の妥当性についてはここでは問題にしない。「御用」認定の基準、および個々のケースにおける「御用」認定の根拠に十分な合理性があるか否かが問われるであろう、という一般論を述べておくにとどめる。 しかし看過しがたいのは、この「「御用学者Wiki」についてのやりとり」の当事者の1人でもある片瀬久美子氏の次のようなツイートである。 ・ちょっとでも触れると紛糾してしまう3大テーマ:原発、クジラ問題、南京大虐殺 (https://twitter.com/#!/kumikokatase/status/119645296681693184) 微修正 ・ちょっとでも触れると紛糾してしまう3大テーマ [日本版]:原発、クジ
池上彰さんの新連載、スタートです。池上さんが、さまざまな分野の学者・研究者を訪ねて、日本と世界が直面するさまざまな問題を、各界を代表するプロの「学問の目」でとらえなおす。いわば、大人の大学、それがこのシリーズです。 第1回でご登場いただくのは、東京大学で歴史学の教鞭をとる加藤陽子教授。加藤先生は、以前も日経ビジネスオンラインにご登場いただき、ベストセラーとなったご著書『それでも日本人は戦争を選んだ』をテキストに、なぜ日本人が負けるとわかっていた第二次世界大戦に突入したかを検証しました。 いま加藤先生にお話をおうかがいする理由。それは、東京電力福島第1原子力発電所の事故で明らかになったように、日本の原子力発電にまつわる行政、政治、企業、地域社会、そしてメディアの行動パターンがおそろしいほど、第二次世界大戦のときのそれとそっくりだったからです。 日本人はどうして同じ過ちを繰り返すのか? どうす
夕方、原発からのテレビ中継を見てて、あらためて本当に怖いと思った。 今起きている危機的な事態、それが何をもたらすのかは、もちろん怖い。 だが、それよりも具体的に、いつ大爆発が起きるか分からない、しかも常時恐ろしい数値の放射線にさらされながら、そこで働いている、作業をさせられている人たちの感じている恐怖が、自分の身に感じられるように思えたのだ。 ぼくはもちろん、現在の福島原発のような状況はもちろんのこと、普段の原発のような危険のなかで働いたことなどない。 だが、これまで非常勤の色んな仕事をしてきて、補償のまったくない状態で危険の伴う労働をさせられる時の心境、またそれが今の社会では「当たり前」のことになってる、ということは知っている。 そういう労働の場では、危険を拒んだり選んだりするような自由意志が働く余地は、そもそもあまりない。自由意志が保証されるような条件がないのである。 今回の事態でも、
いま、死傷者を出しながら、福島の原発では文字通り決死的な作業が続けられている。 政府はこれに関し、作業員の被ばく量限度を引き上げる決定をしたという。恐ろしい決定だ。 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110315/plc11031523070047-n1.htm こうした現状について、「大事故で最悪の事態になるのを防ぐためには、仕方がない」などとは言えない。 もちろん、ぼくは大事故になることは怖いので、作業をするなという勇気はないが、こうやって明らかに死んだり被害を受けたりする人が出る現場に、自分たちの安全の確保のために、他人(労働者)を送り込んでいるという現実は、とても「仕方がない」と言って片付けることは出来ないはずだ。 また、「この人たちの努力に感謝し、経緯を払え」という言い草も、つまりは「尊い犠牲」というような言い方と同じであって、人の生命
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