「南京事件」について知りたければ、秦郁彦「南京事件」なり笠原十九司「南京事件」なりを読めばいい。しかし「731」については、最新の研究まで網羅した、わかりやすい概説書が存在しない、という状況だったのだが、ようやく、「731」につい… https://t.co/VTO8zard3M
紹介 本書は、「731部隊」研究の第一人者である著者が、その四〇余年にわたる調査・研究をまとめた集大成ともいえる1冊で、国内外の様々な史料の実証的な検証と、これまでの数十名におよぶ関係者への聞き取りをもとに731部隊・石井機関の全貌に迫ります。 「満州国」ハルビン郊外の平房に本部をおいた731部隊は、石井四郎が組織した機関、通称「石井機関」の一部で、石井機関は東京の陸軍軍医学校防疫研究室を中心に「軍」だけでなく「産・官・学」を取り込んだ1万数千人規模という巨大なものでした。 特に密接な関わりを持ったのは大学を中心とする医学界で、潤沢な研究費や戦役免除などのメリットがありました。 731部隊は1931年の満州事変を皮切りに勢力を拡大させていきますが、1942年の淅贛(せっかん)作戦で、大規模な細菌攻撃を実行するも失敗に終わりました。部隊は細菌兵器の実戦投入の困難性を認識しながらも止まることが
福島県白河市にある「アウシュヴィッツ平和博物館」 こんにちは。ナチスドイツってみんな名前ぐらいは知ってて、 「ユダヤ人を虐殺したんでしょ」みたいな知識もあると思います。 日本との関連でいえば、「杉原千畝」さんっていう 外交官がビザ発給して、ユダヤ人を2000人ぐらい日本へ出国(神戸)させ 命を助けてあげたとか、そういうのも有名です。 私は、2014年に、ポーランドのオフィシエンチムに保存されている アウシュビッツ・ビルケナウ収容所に見学に行き、 2015年には、ベルリン郊外のオラニエンブルクにある オラニエンブルク強制収容所を見に行ってきました。 具体的にどういうことをしていたのか、見に行って理解しました。 で、ベルリンとかポーランドに行くよりも近い、 福島県の白河市に、アウシュビッツ記念博物館があるんです。 これ、意外と知られてないみたいなんですが、 アウシュビッツ・ビルケナウ収容所から
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東京大空襲の写真 大量に発見 2月1日 16時37分 昭和19年から20年にかけて、東京への空襲の被害を撮影した写真540枚が、新たに見つかりました。これまで多くは残っていなかった市街地への空襲の直後を撮影したものや、およそ10万人が犠牲となった3月10日の東京大空襲より前の写真もあり、専門家は空襲の全容を知る貴重な資料だとして注目しています。 見つかったのは、アメリカ軍のB29による東京への空襲が始まった昭和19年11月からの半年間、空襲直後の状況などを撮影した540枚の写真です。戦時中、陸軍の下で海外向けの宣伝雑誌を作っていた「東方社」が撮影したもので、保管されていた写真のネガが、去年8月に東京・江東区の資料館に寄贈され、分析が進められてきました。このうち、原宿駅前の写真は、東京への空襲が始まってすぐの昭和19年11月27日に撮影され、壊された住宅から白煙が上がり、市民がバケツリレーを
岡田克也外相が元米兵捕虜に謝罪したことを、military.comが報じました。これで、日本は戦争犯罪を謝罪しないという、アメリカからの批判にようやく公式に応えることができました。 国内でも報道されているので、細かいことは書きません。気になるのは、レスター・テニー氏(Lester Tenney)が日本政府の招待で来たことは書いてあるものの、どういう立場なのかが分からないことです。米政府が仲介に入っているのか、民間の活動なのかも書かれていません。今回の来日至った経緯も不明です。それが書かれていれば、今回の謝罪の意義がもっと分かるはずです。たとえば、自民党政権がずっと拒否してきたことが、民主党政権で実現したのかといった事実関係も、読者には重要な情報です。 テニー氏に捕虜の代表の資格があることは説明を要しないようです。彼は1942年に捕虜になり、「バターン死の行進」を体験しました。記事の説明を引
http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/yamato/technology/i52.htm ・・・こういう話はおもしろいよね。 ▼2009年11月25日(水) 内田樹「器に合わせすぎては、学びは起動しないのです」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/58 >前に「監督術」というテーマで、韓氏意拳(かんしいけん)の守伸二郎さんと、大学野球の監督をしている高橋佳三さんと、元神戸製鋼ラグビー部の平尾剛さんとディスカッションしたことがあるんです。そのとき「日本の少年スポーツ界では、なぜ子どもたちの人格を全否定して追い込むようなトレーニング法が、野球をはじめどの種目でも見られるのか」ということが話題になった。 >もちろん、みんなそのやり方には批判的なんだけれど、成功例がなければこれほど広範に採用されることはないわけで、それなりに成功するわ
戦犯裁判の研究 戦犯裁判政策の形成から東京裁判・BC級裁判まで 作者: 林博史出版社/メーカー: 勉誠出版発売日: 2009/12/25メディア: 単行本 クリック: 7回この商品を含むブログ (1件) を見る 林博史教授の新著を購入。有隣堂では在庫なしになっていたので、神保町の三省堂書店で買った。まだ序章にしか目を通していないが、「私は貝になりたい」についてかなり強い批判が加えられている。 日本の戦犯裁判へのイメージ形成に与えた影響は確かに大きいし、しかも内容は事実とは異なっている*1こともあるので、林教授が書かれたように「現実から目を背けさせる役割をはたした映画」だったであろう。また2008年に再映画化された際にも同じウソが繰り返されていることも指摘されている。 フィクションを愛好する者としてはあまり認めたくはないのだが、「フィクションと現実の区別がついていない」というのは戦犯裁判に対
2日、中国人強制連行訴訟の和解成立を受け、被害者や遺族らを集めて開かれた説明会=中国山東省青島市内のホテル(共同) 【青島共同】太平洋戦争中の強制連行をめぐり、西松建設(東京)と広島県の建設現場で働いた中国人元労働者らとの和解成立を受け、原告、日本人弁護士や支援者らが2日、被害者の多い山東省青島市で被害者や遺族ら120人に初めて現地説明会を開催した。被害者からは「裁判の闘いを通じて日本の印象が変わった」として、弁護士の取り組みや西松建設側の対応などを高く評価する声が相次いだ。 説明会では、和解により、年末までに1人当たり約60万円の補償金が支払われる見通しなどを説明、出席者全員が挙手で和解結果を支持した。 元労働者の故呂学文さんの次女、呂志英さん(57)は「子どもの時から父の苦労を聞かされ日本を恨んできたが、今は気持ちが変わった」と語り、説明会では「日中友好を永遠に願う」との詩を朗読した。
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