1938年にヒトラー・ユーゲントの代表団が来日し、3か月ほど日本各地を訪問したことがある。このときユーゲントの団員が日本で米と麦の二毛作が行われていることを知り、大変驚くと同時に日本の肥沃さを羨ましがったという逸話が残っている。 https://t.co/SqhrmI8KhD
はじめに言っておきますが、「中世ヨーロッパの収穫率(播種量→収穫量の倍率)が3倍程度だった」というのは資料上確かな事実であり、これ自体を否定する気は一切ありません。 しかしながらここから「ヨーロッパの農民は常に少ない収穫に苦しんでいた」だとか、「30倍にもなる稲は麦より優れた作物だ」なんて話に進んでいくのを見ると、それはちょっとおかしいぞと思います。 今回はそうした状況を生じる要因について見ていきながら、この数字のトリックを暴いていきたいと思います。 ■灌漑に関する話 農業の大きな区分として「天水農業」と「灌漑農業」があります。 これらは作物に対する水の供給方法の違いであり、前者は基本的に降雨からのみ、後者は河川等から人為的に引き込む方法をとります。 日本がどちらかといえば完全に後者が多く、代表的なのは言うまでもなく水田稲作でしょう。 また学校教育の世界史なんかでも、文明成立=灌漑農業とし
シアトル自治区の小さな農園をとおして、現代の黒人が農園を所有できない問題を知った。 シアトル自治区ではじめられた農業は、英植民地のインドでおこなわれた塩の行進を参照すればわかりやすい - 法華狼の日記 さらに、黒人が農園所有権をうばわれてきた歴史への抵抗であるともマーカス氏は語っている。 上記エントリを書いた時はインドの非暴力不服従運動「塩の行進」を連想し、なぞらえた。 しかし自国の事例として、耕作する権利をうったえた「三里塚闘争」も思い出していた。それは国策によって迷走させられた農民がようやく確保できた大地を、さらに国家が奪おうとすることへの抵抗だった。 三里塚闘争(さんりづかとうそう)とは - コトバンク 1966年(昭和41)7月4日の閣議で新国際空港を三里塚に建設することが決定するが、これに先だつ6月28日、地元農民は三里塚新国際空港反対同盟(委員長戸村一作(とむらいっさく))を結
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