BBCのプロデューサーのメグミ・インマンさん ジャニー喜多川氏の性加害問題が大々的に報じられるようになったのは、今年3月に放映された英放送局BBCのドキュメンタリー番組「Predator: The Secret Scandal of J-Pop(J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル)」がきっかけだった。そして9月7日、ついにジャニーズ事務所は喜多川氏の性加害が事実であることを認めた。そして、10月2日には社名変更や具体的な被害者救済策を発表するとみられる記者会見も予定されている。番組の調査報道を行った中心人物であるBBCのプロデューサー・メグミ・インマンさんは、この間の動きをどう感じているのか。率直な思いを聞いた。 【写真】「ジャニーズタレントを一度も起用しなかった」と語るメーカー元社長はこの人 * * * ドキュメンタリー番組を制作中、ジャニーズ事務所はインマンさんらの取材
※この記事には性被害に関する記述があります。読まれる際は注意してください ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏による性加害を取材した、英BBCのドキュメンタリー「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル(Predator: The Secret Scandal of J-Pop)」が、日本国内でも静かに波紋を広げています。 同番組は、ジャーナリストのモビーン・アザー氏が日本に訪れ、ジャニー氏による未成年の少年たちへの性加害とその背景について、関係者たちへ取材するというもの。ジャニー氏から性被害を受けたという元ジャニーズJr.の男性たちや、1999年11月~12月に問題について報じた『週刊文春』の記者(当時)たちなどに取材し、最後にはついにジャニーズ事務所に乗り込んでいきます。 アザー氏の取材に対し、元ジャニーズJr.の男性たちが明かした被害はさまざまですが、例えばハヤシ氏(仮名)は
放送法制定の歴史のススメ④では、国会審議での修正が番組編集準則に関係していることを見てきた。 informationlaw.hatenablog.com 今日は、電波三法が成立して新しい放送制度が始まった後わずか2年で起きた電波行政の大きな変化について考えてみることにする。電波監理委員会の廃止だ。 電波監理委員会とは 電波監理委員会の所掌事務 電波監理委員会の委員の組織 ”放送法を襲った悲劇” 行政委員会方式の先取り 行政委員会方針をめぐる攻防 電波監理委員会とは 電波監理委員会とは、電波行政をつかさどる行政委員会だった。行政委員会とは、複数の委員による合議制を採り、行政部門から独立した形で行政権を行使する行政庁のことをいう。準立法機能や準司法機能を有することが多い。公正取引委員会や労働委員会などを思い浮かべればイメージが沸くだろう。最近の例では、個人情報保護委員会がある。 電波監理委員会
放送法制定の歴史③では、放送法を含む電波三法が国会に提出されるところまで見てきた。 informationlaw.hatenablog.com この記事では、国会で行われた審議について確認してみたい。 国会に提出された電波三法 国会審議――公聴会 国会審議――番組編集準則の修正がのちのちまで尾を引く 国会に提出された電波三法 電波三法が国会に提出されたのは1949年12月22日だった。成立したのは1950年4月26日だ。5月2日に公布され、施行は6月1日。ちなみに、これを記念して6月1日は「電波の日」となり、毎年記念の式典などが行われている。 電波法は、無線全般に関する一般法である。放送は、電波法によって、無線局の免許、無線設備、無線従事者、運用、監督などの無線局の物理的な側面から規律されている。一方、放送法は、放送の普及、放送番組、放送局の運営のあり方という側面から放送を規律する法律だ(
放送法制定の歴史のススメ②の続きです。 放送法制定の歴史のススメ②では、ファイスナー・メモを参考にしながら第一次放送法案が作成されたものの、芦田内閣から吉田内閣に代わり、”行政委員会に反対”という理由から法案が撤回されたことや、GHQからも番組内容の規制に対して強い反対があったことを見てきた。 informationlaw.hatenablog.com さて、その後、放送法案はどのように国会に再度提出されたのだろうか。 第一次放送法案の修正 4つの重要点――GHQの勧告 電波監理委員会の設置――日本政府とGHQの攻防 マッカーサー元帥の書簡 第一次放送法案の修正 再度、放送法案が国会に提出されたのは、1949年12月22日のことだ。第一次放送法案が撤回されてから約1年超かかっている。その間に、いったい何があったのだろう。法案は何度か修正がなされている。 まず、最初の修正がなされた法案が19
放送法制定の歴史のススメ①の続きです。 放送法制定の歴史のススメ①では、憲法改正に伴ってGHQから放送法制定の示唆を受けて、GHQの方針であるファイスナー・メモが出されたことまでをまとめた。 informationlaw.hatenablog.com 放送法制定の歴史のススメ②では、ファイスナー・メモを参考にしながら放送法案が作成されていく過程を追ってみる。 第一次放送法案の国会提出 第一次放送法案の内容:ニュース放送に関する原則 第一次放送法案の廃案 ニュース放送に関する原則に対するGHQ法務局の意見 第一次放送法案の国会提出 逓信省は、1947年10月のファイスナー・メモを参考にしながら、放送法案の作成を進めていく。 1948年2月、取りまとめた放送法案を、逓信省はGHQ民間通信局に提出して助言を求め、民間通信局は、民間情報教育局(CIE:Information and Educati
放送法を考えるためには、放送法制定の歴史をよく知っておくことが大切だろう。どのような法律もその制定経過にさかのぼることによって、条文の意味を理解することができるからだ。何回かに分けてまとめてみたい。 日本国憲法の誕生 放送には無線電信法が適用されていた GHQから示唆 放送法ができたのは1950年。電波法と電波監理委員会の3つの法律がセットで作られたことから、あわせて「電波三法」と呼ばれている。第二次大戦の敗戦後のGHQによる占領期だった。放送法には日本を民主化しようと試みた工夫が随所にみられる。 制定の歴史にはいくつかの波がある。 日本国憲法の誕生から放送法の骨格が決まるまで 第一次放送法案の作成 現行放送法の案作成 国会審議 電波監理委員会の廃止 まず、日本国憲法の誕生から放送法の骨格が決まるまでを見てみよう。 日本国憲法の誕生 日本国憲法が国会で成立・公布されたのは、1946年11月
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