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に:日本とみ:民主党とこれはひどいに関するdimitrygorodokのブックマーク (2)

  • 尖閣衝突事件10年―私の経験と思い | 衆議院議員 岡田かつや

    尖閣衝突事件10年―私の経験と思い 2010年9月7日に尖閣諸島沖で海上保安庁巡視船と中国漁船が衝突した。当時私は外務大臣としてその対応に追われた。その後、枝野幹事長が参議院議員選挙の責任をとる形で辞任し、私が幹事長に、前原さんが外務大臣に就任した。内閣改造が行われたのは9月17日。従ってそれ以降は、私自身は幹事長として間接的に関与することになった。一部メディアによって当時のことが改めて取り上げられている。以下に私の記憶に基づき、当時の状況を説明することとしたい。 私が衝突についての連絡を外務省事務方から受けたのは、現地時間で9月7日午前、ベルリンでだった。9時にパリ経由でベルリンに着き、10時半からCDUのカウダー院内総務との会談終了後、12時のヴェスターヴェレ外相とのランチまでの短い時間、保秘のため大使館に戻り、省の事務方から電話で概略の説明を受けた。その上で、仙谷官房長官に電話し、

    尖閣衝突事件10年―私の経験と思い | 衆議院議員 岡田かつや
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2020/09/13
    あれは一応でも機能してた外交的積み重ねを党派性が断絶させた様な事件だったが未だにこんな認識のままなのであれば、何の反省も無く来てしまったという事だし空しい話だ。無責任極まる。ボケるのも大概にして。
  • asahi.com(朝日新聞社):「中国や朝鮮半島の植民地化、歴史の必然」講演で枝野氏 - 政治

    枝野幸男行政刷新相は27日、松江市で講演し、「日は明治維新ができ、近代化したが、中国や朝鮮半島は近代化できなかった。日は植民地を広げる側で、中国や朝鮮半島は植民地として侵略される側になったというのは、歴史的な必然だった」と述べた。日の植民地支配を正当化したとも受け取られかねない発言だ。  枝野氏は昨年9月の政権交代の意義を述べるなかで、「世の中が変わったから政治が変わらざるを得なかった」ことの事例として明治維新を引き合いに出した。  そのうえで、「ペリーが来て『国を開け。日が油断したら植民地にするぞ』と。日は明治維新が早くできたからその後の100年くらいのなかで一定の優位性を保つことができた。同じ環境に中国や朝鮮半島もあった。日の明治維新をみながら近代化しようと頑張った若い方がいたが、結局、進まなかった」と述べ、「日が明治維新できていなければ日中国や朝鮮半島と同じように、

    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2010/03/31
    併せてこのエントリも読みたい>http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100330/1269878593/日清戦争は隣国内の揉め事を軍事介入の口実にしたものだし日露戦争当時のロシア本国は日本に妥協する意思だったのが現場に伝わってなかったとか
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