〈問い〉 「真珠湾攻撃は『ハル・ノート』で無理難題をいわれ、やむなくやった」という人がいます。「ハル・ノート」とは何ですか?(東京・一読者) 〈答え〉 太平洋戦争の開戦は、アメリカが日本の要求を拒否し、ハル・ノートで、無理難題をいってきたのでやむをえなかったのだというのは“靖国派”がしきりに流している議論です。 ハル・ノートとは、開戦(1941年12月8日)直前の11月、アメリカが日本に提示した提案で、交渉のアメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官の名前から名づけられたもので、内容は「中国及びインドシナからの日本軍の即時撤兵」などを求めたものです。 “靖国派”のデタラメさは、このアメリカの要求は「今までの蓄積はすべて捨てろと言う事である」などと、日本の領土拡大の歴史を既得権として当然視して、日本の開戦を合理化していることです。 しかし、ハル・ノートの中身は、ここで突然示されたもので