大友克洋監督『AKIRA』の4Kリマスター版をIMAXで見てきた。今回初めてこの映画を見た。漫画のほうは全く読んだことがない。 www.youtube.com 舞台は第三次世界大戦から31年後、2019年のネオ東京である。オリンピックを控えているのにしょっちゅう抗議運動が起こっているという不穏な政情ではあるが、一応戦争による破壊からは街は再生している。そんな中、暴走族をしている少年である鉄雄がひょんなことから超能力を持つタカシと接触し、自らも超能力に目覚めてしまう。鉄男を助けようとする金田はいろいろあって反政府活動をしている若い女性ケイと組むことになる。 けっこう複雑な話なのだが、テーマとビジュアルがぴったりあうよう大変よく考えられている。この作品の大きなテーマのひとつとして子供の自我の肥大というのがある。超能力に目覚めた鉄男が暴れ始める原因が小さい頃から自分を助けてくれていた金田への漠然
VMX@v_mxやたらフェミがフェミがと面白がって言われる #異種族レビュアーズ だけど、実際ちゃんとしたフェミニズムの観点から批判されうる所ってどこだろう? #isyuzoku 風俗業は女性の性的搾取だ、って意見(私は100%賛同はしかねる)なら このアニメに限った話じゃないしなぁ 2020/02/07 17:42:57 こういう反応があったので書きました。 まぁ、最初に断っておくと、私は別にフェミニズムの専門家ではありませんし、内容もフェミニズムの表層を撫でた程度の話にしかなっていないような気がします。が、こんな程度の低い話で専門家のご足労を願うのもどうかと思うので、フェミ発狂wwwと騒ぎたいミソオタ諸氏はこれで我慢してください。 なお、今回の批評は、アニメ版第1話と第2話のみに基づいています。それ以上見る気はしませんでした。 女性個人の消失 さて、本作をフェミニズムの観点から論じよう
2019年も終わりが近づいてきていますが、1月早々の西武・そごうの広告から、記憶にあたらしい赤十字の献血ポスターに至るまで、今年も女性表象をめぐっていくつもの「炎上」がありました。こうした「炎上」はなぜ繰り返されるのでしょうか。言い換えれば、表象の作り手と批判者の間には表象に対するどんな理解の齟齬があるのでしょうか。 ここでは特に理解の齟齬が生じやすい性的な女性表象の問題点について、私が以前に書いた小論「表象はなぜフェミニズムの問題になるのか」(『世界』2019年5月号)をふまえて、少し突っ込んで考えてみたいと思います。あわせてお読みいただけると嬉しいですが、この記事単体でも読めるようになっています。 【本文中のイラストは、ふくろ氏の作成】 ふくろ:兵庫県生まれ宮崎県育ち。東京外国語大学外国語学部卒業。編集職を経て現在は英日ゲーム翻訳者、字幕翻訳者。AAAタイトルを含め多数の作品の日本語ロ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く