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socioと宗教に関するgntのブックマーク (5)

  • 「山本太郎、とにかく迷惑でしかない。」

    藤枝市在住の2児のおかーさん@dedeiminさんが、地元で見た被災材受け入れ反対運動について思ったことなどをまとめてみました。 ※公式RT含む 「山太郎、とにかく迷惑でしかない。ここまで来ると立ち止まって考え無いように自分に暗示でもかけてるのだろうか…」 参考資料:環境省 広域処理情報サイト 続きを読む

    「山本太郎、とにかく迷惑でしかない。」
    gnt
    gnt 2012/02/21
    「情弱・バカだから」という切り捨てではなく、いつものとおり孤立が問題なのだと思うよ。おたくの市民病院のまわりをちょっとチャリで回って定点観測してみな。洗脳商法屋が空き店舗に入替り立替り
  • 上野修『スピノザ:「無神論者」は宗教を肯定できるか』 - 日曜社会学

    前半。 聞きまくり社会学―「現象学的社会学」って何? (ist books) 作者: 西原和久,岡敦出版社/メーカー: 新泉社発売日: 2006/11/01メディア: 単行 クリック: 16回この商品を含むブログ (8件) を見る 夕後半。 スピノザ―「無神論者」は宗教を肯定できるか (シリーズ・哲学のエッセンス) 作者: 上野修出版社/メーカー: 日放送出版協会発売日: 2006/07メディア: 単行購入: 4人 クリック: 25回この商品を含むブログ (30件) を見るこれすばらしいです。すごいです。おもしろいです。 この紙幅でこんな──啓蒙的かつ質的な──仕事ができちゃうなんて尊敬と驚愕に値します。 あと、腹抱えて笑える箇所多数。お得です。星5つ スピノザが「証明する」と言い出したら、当に証明するのである。[p.34] 考える自由は敬虔も平和も損ねない。いやむしろ、そ

    上野修『スピノザ:「無神論者」は宗教を肯定できるか』 - 日曜社会学
  • 「ことのは」問題を考える:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

    4月中旬、ブログ「絵文禄ことのは」の松永英明氏にインタビューした。すでに多方面で議論の的になっているが、インタビュアーはGrip Blogの泉あいさんとアルファブロガーのR30さん、それに私である。このエントリーやここ、ここなどに詳しい。いったいどのような事件が起き、なぜこのようなインタビューが実現したのかは、これらのエントリーを読んでいただければと思う。 私がこの企画に参加したのは、認識とコミュニケーションの断絶という問題にここ最近、ひどく囚われていたからだった。「総中流」といったような共通の土俵が日社会から徐々に失われ、人々の拠って立つ場所は細分化されつつある。余談になってしまうが、たとえば私は先日、産経新聞のコラム『断』に次のような短い原稿を書いた。 四月十一日の朝日新聞夕刊に、「『若者よ怒れ』 新宿ロフト代表の平野悠さん」という記事が掲載された。名門ライブハウスの六十一歳になる代

    gnt
    gnt 2006/05/22
    なんと言うべきか迷ったあげくに何も言っていない自分からすると、糾弾も擁護もなかなか勇気のあることだよなぁ、とか思う
  • [R30]: 言葉の磁場

    以前のエントリにも書いたことがあるが、93年にタイで出家していたことがある。その理由は、1つには高校時代のホームステイ先のホストマザーを喜ばせたいということだったが、もう1つはこちらのサイトで彼が書いているようなこととそっくりな理由だった。彼が91年、そして僕が93年だから、京都と東京という違いはあれど、あれはちょうどあの時代の共通な空気だったのかも知れない、と思う。僕はたまたまタイで出家ができた。彼はそれを日でやりたいと考えた。違いはそれだけだったのだろう。 僧侶だった間、僕はずっと自分と世界とのかかわりの法則について考えていた。当時の僕の頭の中は、マルクスとかデカルトとかカントとかヘーゲルとかヴィトゲンシュタインとか、そういうものでいっぱいだった。そして、タイで先輩僧侶に向かって「マルクスはこう言っている」とか「ヴィトゲンシュタインはこういう説を述べている」とか、つたないタイ語で必死

    [R30]: 言葉の磁場
    gnt
    gnt 2006/03/14
    んん〜。やっぱこういうのって時代性なのかなぁ。もちろん、後付けで(おもに大塚とか宮台とかによって)作られた偽史な感じもするけど
  • イチネタ そういうことだったわけですね

    ⇒■一連の疑惑について 07:13 ・ 過去の経歴の部分については、野田さんの公表されたとおりです。 これ以上騒ぎが広がらない時点で公表されてよかったと思う。 一般論として旧オウム信者が「旧団体代表への信仰心は現在ありません。」というとき、それをどう社会が受け止めていくのかは難しい。それは思想信条が裁かれるという意味ではない。過去に為したことをその主体が現在がどう受け止めていくか、それを社会はどう受け止めるか。後者は我々の課題。旧オウム信者が差別されている現状もその課題に含まれるという意味。 ⇒GripBlog 〜私がみた事実〜 : オウムとは無関係です 民主党の懇談会に参加した時のことを振り返っても、雑誌に取り上げられたような問題があったとは思えないし、大切なのは今だと考えていますので、松永さんとは、これからも変わりなくお付き合いさせていただくつもりでいます。それは、仮に過去オウムとの繋

    イチネタ そういうことだったわけですね
    gnt
    gnt 2006/03/13
    問題は大きいなぁ
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