慶州(キョンジュ)ナザレ園の日本人妻らの証言を記録したドキュメンタリー作家の金(キム)鐘旭(ジョンウク)さん(63)には、背中を押された存在があった。戦時中、日本の炭鉱へ動員された経験がある父、商振(サンジン)さん(1923~2017年)だ。
1942年(昭和17)年11月末の夜だった。北海道阿寒村(現・釧路市)の我が家に父が男を担ぎ込んできた。男は朝鮮の人で、名は福山さん。近くの雄別炭鉱で働かされていたという。仕事は厳しく、同じ死ぬなら一歩でも故国に近い所でと覚悟のうえ脱走し、畑で動けなくなっていたところを助けてきたそうだ。 後日、駐在所のお巡りさんが彼の引き渡しを求めてきたが、父は「俺の家族だから、指一本触れさせぬ」と拒んだ。困っている人を放っておけない性分の父。それをよく知るお巡りさんとの間で阿吽(あうん)の了解でもあったのか、我が家でかくまう脱走者は3人に増え、気づけば14人の大家族になった。〔下略〕 (出典:『朝日新聞』「声」欄への投書、2021年4月17日付) ◎解説 上記の新聞投書の筆者は、北海道在住の88歳の方。脱走した朝鮮人と接していたのは8、9歳の頃となる。年齢から考えてだいたいの状況を理解した上での記憶であ
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