和宗総本山・四天王寺(大阪市天王寺区)で、豊臣秀吉の寄進とみられる豪壮な厨子(ずし)が確認された。「文禄七(1598)年」の墨書があり、石山本願寺攻めの兵火で焼けた同寺を秀吉が再建したとの記録を裏付ける証拠としても注目されそうだ。 厨子は境内の六時堂にあり、高さ約2・8メートル、幅約1・6メートル、奥行き約0・8メートル。同寺を創建した聖徳太子の御(み)影(えい)(肖像画)を安置し、太子をしのぶ毎年4月22日の法要「聖霊会(しょうりょうえ)」に使われる。 老朽化したため修復することになり、建築史の桜井敏雄・元近畿大教授に調査を依頼。厨子内部の屋根近くから、「文禄七年」の墨書が見つかった。大工とみられる署名もあり、制作時の書き込みらしい。 文禄は5年(1596年)に改元されており、実際は慶長3年(1598年)に該当し、秀吉が死去した年にあたる。秀吉の治世が続いているという認識で、あえて「文禄