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場の空気に関するkiku-chanのブックマーク (100)

  • 「空気を読めない」んじゃなくて

    むしろその場にいる人間の誰よりも読んで理解しているわけですよ。 その場の空気の脆弱性を見つけ、そこを突いて空気が乱れる様を見るのが楽しいだけで。 そのためにはまずその場の空気を100%読み切らないといけないので大変ですよ。 もちろん読むだけでは駄目で、その100%理解した空気を完膚無きまでに破壊するコードを自分で考えなきゃいけない。 さらにそのコードをシンプルかつエレガントな必要最小限の単語数でもって、当事者全員にも理解できる自然言語で実装しないといけない。 んでもって口から吐き出して実行する際にも見せ方が重要でこれには天性のセンスが必要なわけです。 その空気を読んだ瞬間から実行までの約1ミリ秒の間にこのような高度に知的な脳内活動行為が存在するわけです。 その事を理解もせずに「空気読め」とだけしか言ってこない人間に対しては心外とまでは思いませんけど何だかなぁとは思うわけです。 http:/

    「空気を読めない」んじゃなくて
  • 「空気」を気にする日本人の精神主義的教育論 - Backlash to 1984

    歴史教科書における沖縄戦の記述をめぐる検定意見に、またぞろ感情的な反発が起きているようだ。一般人に対して自決するよう軍命令が出ていたわけではないが多数の集団自決があったことは史実であって、それを誤解させないように記すべしとの意見が、なぜに「旧軍の関与を否定した」ことになるのか。このような主張は、それこそ、「集団自決せよとの軍命令があってはじめて旧軍がそれに関与したと言えるのであって、そのような命令がなかったのであれば、住民の集団自決に軍の関与があったことにならない」と主張しているのと同じであろう。つまり右派がそんな馬鹿げた主張をしているのではなく、実は左派こそが主張しているのも同然ではないか。 命令もないのに人が自決したとしたら、その方が余程恐ろしいことではないか! - Munchener Brucke 題名のとおり、そのとおりである。「命令もないのに人が自決したとしたら、その方が余程恐ろ

    「空気」を気にする日本人の精神主義的教育論 - Backlash to 1984
  • 命令もないのに人が自決したとしたら、その方が余程恐ろしいことではないか!  - Munchener Brucke

    一般に自由主義史観とか反自虐史観の立場の人は、どうも「旧軍を悪者にするな」という点に執着し過ぎている気がする。それが文部科学省の検定にどこまで影響力を与えているかは知らないが、政府首脳の顔ぶれから、影響力は無視できない状況であろう。 今回の検定の論点は「集団自決に軍の正式な命令はなかった」という点だが、命令系統の正当性を争って旧軍の責任を最小化する運動にどのような意味があるのか? 私はいっそのこと軍の命令であってくれた方がよほどすっきりする。それならばそんな非道な命令を下すような軍隊を今後作らなければいいという明確な反省ができる。むしろ「軍の正式な命令がないのに、これだけの民間人が集団的に自決した」ということの方が、余程悪質に感じられる。教育や法にのっとらない社会的な圧力や同調的な意思決定を駆り立てによって、人間が自決するとしたら我々はいったいどうすればいいのか? 現代社会にも様々な同調圧

    命令もないのに人が自決したとしたら、その方が余程恐ろしいことではないか!  - Munchener Brucke
    kiku-chan
    kiku-chan 2007/03/31
    このニュース見たときにそう思った。ちょうど山本七平読んでいたところ
  • ライブドアの判決 - カフェ・ヒラカワ店主軽薄:楽天ブログ

    2007.03.17 ライブドアの判決 (15) カテゴリ:ヒラカワの日常 堀江貴文に対する東京地裁の判決が出た。 ちょうど、進行中の『株式会社という病』が書き終わったときであった。 どうしようかと思ったが、やはり書き加えることにした。 裁判の「空気」に違和感を感じたからである。 (以下抜粋) 書をあらかた書き終わった二〇〇七年三月十六日、世間を騒がせたライブドア事件の主犯として起訴されていた堀江貴文氏に対する、東京地方裁判所の判決が下った。懲役二年六ヶ月の実刑判決であった。堀江貴文氏の言動に関しては、書でもすこし触れてはいるが、ここではかれのパーソナリティーやライブドアという会社の性格に関して書く必要もないだろう。 個人的には、私は堀江貴文氏にも、ライブドアにもほとんど何の興味も無いからである。こういったことは、過去にもいくらでもあったし、現在も似たような事案は進行している。私は、ベ

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  • Mammo.tv >> 今週のインタビュー(2002.09.02-09.15号 Part1) 中島 義道 さん

  • コミュニケーション能力をウリにする人が醜悪な理由

    たいして中身のない人が、コミュニケーション能力を武器に、要領よく立ち回って得意げになってるのって、いやな感じですよね。 あのいやらしさって、どこからくるのでしょう? もちろん、中身とコミュニケーション能力の両方を兼ね備えた人が理想なわけですが、現実には、どちらかに偏っている人はよくいます。そして、中身かコミュニケーションかのどちらかをウリにして自分の居場所を確保していることがよくあります。 そして、コミュニケーション能力を取り柄に自分の居場所を確保しているタイプの人間って、一見、外面がよく人当たりがいいから、多くの人がだまされるんだけど、いざ、仕事格的にコラボレーションすることになったりすると、その精神の腐臭が鼻につくことが多い。 あの腐臭はどこから来ているのでしょうか? コミュニケーションすれば問題が解決するわけじゃない よく、「みんなで集まってこの問題を解決しよう」と言って集まるん

    コミュニケーション能力をウリにする人が醜悪な理由
  • いっつあんのひとり言-コミュニケーション能力って何

    春の伊予国漫遊記。松山・今治と愛媛の魅力を満喫してきました。 法事を兼ねて愛媛観光へ 2024年のGWは、毎年恒例の名古屋帰省ではなく自宅でゆっくり過ごしておりました。というのも、4月に法事のため愛媛・松山に親族大集合というイベントがありまして、そちらをGWの旅行代わりにしたという理由です。法事は日曜日の予定ということ…

    いっつあんのひとり言-コミュニケーション能力って何
  • 「おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し - 分裂勘違い君劇場

    空気読めについての7人種 「空気を読む」という能力について、以下の7種類の人がいる。 (1)空気の奴隷:自分が空気を読む能力が低いことを自覚しており、自分の思い通りに空気を操ろうとすると怪我するので、空気に媚びへつらって集団に受け入れられようとする人 (2)はずしてる奴:空気を読む能力が低いくせに、無神経な発言をして、みんなの顰蹙を買うやつ (3)サーファー:空気を読む能力が高く、サーファーが波を乗りこなすように、空気を自在に乗りこなす人 (4)空気の操縦者:空気を読み、乗りこなせるだけでなく、空気を操ったり、支配できる人。サーファーの乗る波を自ら作り出す人。(ケネディーとかヒトラーとか) (5)ファイター:空気を読む能力が高く、空気自体の中に不健全なものを感じ取り、空気そのものと戦う人(ニーチェとか) (6)隠遁者:空気を読む能力が高いが、空気に同調するのはいやだし、積極的に空気を乗りこ

    「おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し - 分裂勘違い君劇場
  • 「空気が読めない」という時の「空気」の研究:インフラコモンズ今泉の多方面ブログ:オルタナティブ・ブログ

    株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。 山七平が「『空気』の研究」(文春文庫)というを書いているのを知り、ひょっとして「空気が読めない」という時の「空気」かと思って取り寄せてみたら、まじめにその「空気」を論じているでした。 日の企業における意思決定のあり方を考える際に、有用な知見が得られると思います。 山七平。むかーしイザヤ・ベンダサン名でベストセラーになった「ユダヤ人と日人」を読んだことがありますが、それ以降、縁はなかったですね。 彼の非常に意地が悪い論調(日=劣等というステレオタイプ認識)がものすごく気になりますが、それをがまんして読み進めると、少し見えてくるものがあります。 まずその「

    「空気が読めない」という時の「空気」の研究:インフラコモンズ今泉の多方面ブログ:オルタナティブ・ブログ
  • 山本 七平 『「空気」の研究』 | 本の中の名言・格言

    どのような「空気」を盛り上げて 「水を差す者」を沈黙させても、 「通常性」は遠慮なく「水」を差しつづけるのである。 われわれは常に、論理的判断の基準と、 空気的判断の基準という、 一種のダブルスタンダードのもとに生きている。 われわれが通常口にするのは論理的判断の基準だが、 当の決断の基準となっているのは、 「空気が許さない」 という空気的判断の基準である。 戦後直後、「自由」について語った多くの人の言葉は結局 「いつでも水が差せる自由」 を行使しうる「空気」を醸成することに専念しているからである。 人は、何かを把握したとき、 今まで自己を拘束していたものを逆に自分で拘束し得て、 すでに別の位置へと一歩進んでいるのである。 人が「空気」を当に把握し得たとき、 その人は空気の拘束から脱却している。 山七平【「空気」の研究】より 「空気」の研究 山 七平

  • 場の空気 - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2020年5月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2020年5月) 出典検索?: "場の空気" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 場の空気(ばのくうき)とは、日における、その場の様子や社会的雰囲気を表す言葉[1]。とくにコミュニケーションの場において、対人関係や社会集団の状況における情緒的関係や力関係、利害関係など言語では明示的に表現されていない(もしくは表現が忌避されている)関係性の諸要素のことなどを示す日語の慣用句である。近年の日社会においては、いわゆる「KY語」と称する俗語が流行語となって以来、様々な意味を込

  • あちら側とこちら側の日常: 「ウケねばならぬ」の空気が教師をいじめに走らせた。という考察

    福岡県筑前町のいじめ自殺問題について、いろいろと報道されています。中でも今回は、教師が直接いじめに関与していてたということが、問題視されています。 教師の責任問題は当然のことですが、今回は、なぜ教師がいじめに加担するようになったかということを考察してみます。 報道によれば、「ウケねらい」や「からかいやすかった」というような言葉が見られます。知り合いの教員に聞いてみると、そうやって教室でウケねらいで、生徒をいじる教師は、わりと見受けられるようです。 学級崩壊がいわれて久しいですが、授業の話だけをしていると生徒が騒ぎ、教室には 「先生、何かおもしろいこといってくれ。そうでないと退屈」という空気がその場を支配していたのではないかと思います。 あるいは、この先生は、元来誰か特定の生徒をいじって場を盛り上げるという手法をとってその場の空気を盛り上げるタイプだったのかもしれません。 現在ではテレビのバ

  • http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061206-00000000-san-soci

  • void GraphicWizardsLair( void ); // J-CASTニュースで「モヒカン族」が取り上げられたがオレの肩書き違うな

  • 『livedoor ニュース - 場の空気が読める男』へのコメント

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    『livedoor ニュース - 場の空気が読める男』へのコメント
  • Webマガジンen

    いろいろなところで「管理」への要請が強くなってきているのが感じられます。しかし一方で「管理」という言葉には、自由を阻害するものとしての否定的な意味合いがあるのも確かです。様々な角度から「管理」をとらえたときに何が見えてくるのか――各界気鋭の研究者の方々にご寄稿いただきます。 香山リカ かやま・りか − 1960年北海道札幌市生まれ。東京医科大学卒。精神科医・帝塚山学院大学人間文化学部人間学科教授。学生時代より雑誌等に寄稿。その後も臨床経験を生かして、新聞、雑誌で社会批評、文化批評、書評なども手がけ、現代人の“心の病”について洞察を続けている。専門は精神病理学だが、テレビゲームなどのサブカルチャーにも関心を持つ。 著書に『老後がこわい』(講談社現代新書)、『テレビの罠―コイズミ現象を読みとく』(ちくま新書)、共著に『チルドレンな日』(七つ森書館)など多数。 ときどきテレビの生放送番組で

    kiku-chan
    kiku-chan 2006/10/04
    場の空気ってこういうこと? それにしてもセキララな発言ですこと
  • 少年犯罪への対処法を論じた藤井誠二氏との対談での宮台発言(抜粋)です - MIYADAI.com Blog

    (一部は思想塾公開イベントでの藤井氏と宮台のやりとりを流用しています。だいたい「続きを読む」以下が思想塾でのやりとりです) 宮台 マイケル・ムーア監督『ボウリング・フォー・コロンバイン』というドキュメンタリーは「コロンバイン高校事件はボウリングが原因で起こった」という意味の皮肉なタイトルです。タイトルが嘲笑するのは「メディアが悪影響を与えた」という「メディア悪玉論」。「ならば銃を乱射した高校生は登校直前ボウリングをやっていたから、ピンを倒すこの野蛮なゲームが原因だ」と(笑)。 問題はその先です。こうしたトンチンカンな帰属処理(責任を何かに帰属してスッキリすること)が暴走する空洞化した社会だからこそ、想像を絶した犯罪が起こるのだという分析が彼にあります。その意味で、集団犯の付和雷同と単独犯の凶悪行為は分けて考えるべきですが、俯瞰すれば、付和雷同的暴走が生じる背景にある「〈生活世界〉の空洞化」

    kiku-chan
    kiku-chan 2006/09/06
    キャラ 場の空気 解離、“広義の教育は「成育環境の設計」を含みます。”
  • 梅花女子大学 総合学術ポータルサイト 学び舎 | 特集

    kiku-chan
    kiku-chan 2006/07/12
    場の空気について こちらは批判的
  • sociologic - 空気の読める社会(2)

    空気の読める社会(2) Communication | Society 前回の「空気の読める社会(1)」は大きな反響を頂いた。いかに多くの人が、「空気を読む」ということに対して思うところを持たれているかということを示していると思う。そこで、コミュニケーションの形態によって、空気を読むということが求められる度合いがどのように変わってくるかということを検討し、それに基づいてより良く過ごすためのヒントについて考えてみたいのだが、まずは、何故、価値観が多様化したにも関わらず、コミュニケーションを成立するために論理的な言語によるやりとりが発達するのではなく、ますます空気を読むことが求められるようになったのかについて、いくつかの補足を加えながら、改めてまとめておきたい。 前回も書いたように、コミュニケーションの場においてますます空気を読むことが求められるようになった最大の要因は、「相手の感情を害しては

  • sociologic: 空気の読める社会(1)

    空気の読める社会(1) Communication | Society 以前、子どもたちの間では「空気が読めないこと」が最も嫌われる、という話があったが、これは、大人の間でも共通しているようである。価値観が多様化した、とされる社会では、「素直に」考えれば、ハイコンテクストな(共有する文化的・社会的背景や情報が多い)コミュニケーション空間からローコンテクストな(共有する文化的・社会的背景や情報が少ない)コミュニケーション空間へと変化するということであり、「コミュニケーション」の来の意味である、(特に異なる価値観の人の間での)意思疎通のためにはより明確に言語化した対話が重要になると考えるのが一見自然である。 しかしその一方で、冒頭の「空気を読む」というのは、明確に言語化されたコミュニケーションの手法とは全く異なるようにも思われる。このねじれは、一体どういうことを意味しているのだろうか。今回の

    kiku-chan
    kiku-chan 2006/07/12
    場の空気について 意外と肯定的か