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震災に関するmonochrome_K2のブックマーク (9)

  • 【震災から10年】なすびさんと一緒に福島第一原発を見てきた - イーアイデム「ジモコロ」

    2011年に起きた東日大震災と、福島第一原子力発電所の事故から10年。ライターのヨッピーさんが、原発の内部を見学してきました。復興の状況、廃炉への道のり、汚染水(トリチウム水)の処理問題……タレントのなすびさんや、いわき市小名浜の「上野台豊商店」上野臺 優さんの話と共に、現地の様子を伝えます。 先日、福島第一原発に行った。 10年前のあの日、「会社を辞めるぞ!」と決意したこともあって、退職手続きのあれこれに追われていたことを思い出す。 何事も「面倒臭いことは全部後回しにする」というややこしい性質を持っている上、「どうせもう辞めるし」と完全に会社を舐めてかかっていたので退職にまつわる書類の提出も期限ギリギリになって大目玉をらった。 「今すぐ持って行け!」と上司に言われ、しぶしぶ東京の社ビルに出向き、経理課長から「お前はいつも提出が遅い。最後の最後まで……」などとお小言をらっている最中

    【震災から10年】なすびさんと一緒に福島第一原発を見てきた - イーアイデム「ジモコロ」
  • 津波対策「あまり関わるとクビになるよ」調書を公開

    政府は、福島第一原発の事故調査委員会の調書127人分を公開しました。震災前に当時の規制当局の原子力安全・保安院で、巨大津波対策を検討しようとしたところ、複数の幹部にとがめられたとする証言があったことが分かりました。 新たに公開された調書によりますと、2010年ごろ、当時、保安院・耐震安全審査室の小林室長が、過去に福島で起きた巨大な貞観(じょうがん)地震のリスクを検討し、新たな津波対策を提案しました。これに対し、保安院の複数の幹部から、「余計なことを言うな」「あまり関わるとクビになるよ」と言われたと証言していることが分かりました。室長は、2011年3月に東京電力の担当者に対し、新たな津波対策の必要性を伝えましたが、担当者は「2012年秋の土木学会の評価の見直しを待ちたい」と答えたということです。室長は「それでは遅い」と話しましたが、その4日後に東日大震災が起きました。これで合わせて202人

    津波対策「あまり関わるとクビになるよ」調書を公開
    monochrome_K2
    monochrome_K2 2019/09/28
    これは当時の担当者が津波問題を認識していたにも関わらずえらいさんが握りつぶしたということか。何と言うかこういう日本の隠蔽体質は本当にどうにかならないのかなと思う
  • 東北は5県、だった…?

    リンク Wikipedia 東北地方 東北地方(とうほくちほう)は、日の地域のひとつであり、州東北部に位置している。「奥羽地方(おううちほう)」ともいう。 その範囲に法律上の明確な定義はないものの、一般には青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県を指す。これら6県は、州の約3割の面積を占める。東北地方は東日に位置するが、気象や歴史地理学などでは北海道と一緒に北日とされる。 プレート理論では、東北地方は北海道とともに北アメリカプレート上に存在し、東側から太平洋プレートが日海溝で潜り込んでいる。そのため、海溝型を中心に地震

    東北は5県、だった…?
    monochrome_K2
    monochrome_K2 2016/06/12
    支援したいけど福島産のものは売れないから敢えてこうしてるってことか。これがコープ側の問題なのか消費者の問題なのかはもう少し見極める必要があると思う
  • 福島第一原子力発電所へ。 - ほぼ日刊イトイ新聞

    震災から5年が経とうとするある日、 1通のメールが届きました。 ちいさな縁はつながって、 福島第一原子力発電所のなかを 視察できることになりました。 約3時間の視察。 そこで、見たこと、感じたこと。 すこし長いレポートになりました。 担当は、ほぼ日の永田です。 福島第一原子力発電所がどういう存在であるかは 見る人の立場や考え方によって、 さまざまに変わってくるのだと思う。 事故のあった原子炉として語られることもあるし、 ある思想の象徴としてとらえる人もいる。 そこに好きとか嫌いとかの感情や、 是か非かみたいな主張が交ざると、 さらに複雑な見え方をすることになる。 福島第一原子力発電所は、いわば多面的な存在で、 だからこそ、それについてなにか書くときは、 なんとなく前置きや注釈を添えなければならず、 そこが、すこし、ややこしい。 昨年の11月、糸井重里と、 原子物理学者の早野龍五さんとともに

    福島第一原子力発電所へ。 - ほぼ日刊イトイ新聞
    monochrome_K2
    monochrome_K2 2016/03/11
    政治のバイアスやテレビのような演出がないとここまで生々しく伝えられるのかという感じ。でもずっとこのままで良いわけではなくいつかは答えを出さなくてはならないと思うとしんみりしてしまった
  • 「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト

    オーストラリアに生まれ、日に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。

    「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト
  • 【アンジュルム】朝日新聞の震災被害のあの子は佐々木莉佳子だったんだな : ハロプロまとめトーク

    気仙沼で活動する小学生アイドル・佐々木莉佳子親子の2年「思い出は流れたけど、私たちには未来がある」 http://wpb.shueisha.co.jp/2013/03/23/17875/ 震災から2年たち、前に進み始めた佐々木親子。自然な笑顔も出るようになってきた 莉佳子ちゃんが通っていた南気仙沼小学校。津波は校舎の2階まで押し寄せた。現在は閉校となり、更地になっている SCK GIRLS・佐々木莉佳子の誕生 2月中旬、自宅のあった場所に建てた新工場が完成した。 地震が起きてから数ヵ月、海を見るのも怖かったという莉佳子ちゃん。 最近ようやく「早く美しかった頃の気仙沼の海に戻ったら、海水浴に行きたいな」と笑えるようになった

    【アンジュルム】朝日新聞の震災被害のあの子は佐々木莉佳子だったんだな : ハロプロまとめトーク
  • 朝日新聞デジタル:いま、雅子さまは 被災地に同行取材して - 社会

    仮設住宅の入居者に声をかける皇太子ご夫=8月20日、宮城県七ケ浜町、関田航撮影みそ加工場を視察する皇太子ご夫=8月20日、仙台市、代表撮影仮設住宅を訪れ、住民と話す皇太子ご夫=22日午後3時27分、福島県郡山市、関田航撮影2002年4月、記者会見する皇太子ご夫。雅子さまは報道陣を前に、愛子さまが誕生した喜びを話した=東京・元赤坂の東宮御所、代表撮影  その日、雅子さまはグレーのジャケットに白のカットソー、アイボリーのスラックス姿に黒いパンプスという、モノトーンでまとめたスタイル。被災地のお見舞いということからか、アクセサリーはつけず、小さめのクラッチバッグを抱えていました。 皇室とっておき(10月1日開設予定)  今月22日、福島県郡山市の仮設住宅。雅子さまは皇太子さまとともに腰をかがめ、避難生活を送る住民一人ひとりに声をかけていきます。  雅子さまはお年寄りたちの話に「そう」とや

  • 朝日新聞デジタル:震災後の義援金、米と台湾が最多 最貧国30カ国からも - 社会

    海外から日赤への義援金  東日大震災後、海外から日赤十字社に寄せられた義援金の額を、日赤が国・地域別にまとめた。昨年末時点で米国、台湾が29億円を超え1、2位。一方で最貧国30カ国からも支援があった。全体では179カ国・地域から計227億円にのぼる。  今回日赤が集計した義援金は自治体を通じて被災者の支援にあてられるもので、日赤の活動にあてられる救援金とは異なる。  台湾と国交はないが、政府は「破格の支援を受けた」(菅義偉官房長官)として、先月の震災追悼式に参加した代表を他国と同様に扱った。中国からの義援金は約9億円で5位。香港とあわせると約16億円で、タイに次ぎ4位になる。  国連が認定する後発開発途上国(最貧国)49カ国のうち30カ国からも計約6億円が集まった。多い順にバングラデシュ1・6億円、アフガニスタン1億円、ブータンや東ティモールからも9千万円を超えた。アフリカも17カ国に

  • 消えた震災がれきの謎:日経ビジネスオンライン

    東日大震災の発生から2年がたった。 筆者は震災直後から6度にわたって東北地方のがれき処理の状況や復興の状況を現地調査し、復興がなかなか進まない現状を見てきた。国や自治体がこれまで明らかにしていた震災がれきの処理状況もはかばかしくない。 まだ現場の混乱が続いていると思いきや、今年2月22日に環境省が発表した震災がれきの処理進捗率は、岩手県38.8%、宮城県51.1%、福島県30.9%、東北3県合計46.3%で、数字の上では急進展している。宮城県はわずか2カ月程度で20ポイントも進んだことになる。 何か数字のマジックがあるのではないかと思い、2月末に再び東北を訪問した。 被災地を回ってみてまず驚いたのは、震災がれきの処理が目に見えて進展していたことだ。岩手県と宮城県の現地を見るかぎり、どの被災地でも震災がれきの撤去はほぼ完了していた。一次仮置き場に十数メートルの高さに積み上げられていた震災が

    消えた震災がれきの謎:日経ビジネスオンライン
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