当初、服飾その他のモノに金を注ぎ込むということはむしろ「良い子」であろうとすることだと思えた。もしもそうしなければ、モノを媒介にした人間関係の中で仲間外れにされてしまうからだ。そして、親や教師は多くの場合仲間外れにされた子供の味方ではない。明確な「いじめ」が発生しなかったとしても、自然に過ごしていただけで一々親や教師から雷を落とされていたのでは、どうして自尊心を持てるだろうか。 Leiermannさんの記事の本題とは外れたトコロを突っ込むことになってしまうんですが、引用部分で引っかかる点があったので、絡ませてもらいますね。 この文章を読んで僕は、「誰にとっての良い子であろうとするのか?」という視点が、Leiermannさんには抜けているなぁ、と感じました。 【誰にとっての「良い子」なのか】 学校という場では大まかに言って、 ・教師&親 ・クラスメート というふたつの勢力・価値観があ