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プログラミングとコードレビューに関するrryuのブックマーク (2)

  • コードレビューを受けるのがつらくなったときは - めるノート

    そういうときがよくあります。 コードレビューがある会社は今が初めてだけど、きっとこれから先もコードレビューがある限りは、なくならない気持ちなんだと思います。 だから、そんなときに振り返れるようなものを残しておきます。 「コードレビュー つらい」でググってみると、はてな匿名ダイアリーのこんな記事が見つかりました。 anond.hatelabo.jp さすがに、ここまでヒドいケースを経験したことはないし異常だと思ったけれど、以下のくだりは自分の胸にすごく刺さりました。 私はプログラマに向いていないんじゃないかと思う。よいプロダクトを作る上で強い言葉を交えた議論が必要不可欠ならば、それに強いストレスを感じてしまう私はプログラマとして適正がないのでは? 刺さったのですが、それでも自分はここでやっていかなくちゃならないと思っているので、つらくなったときにいつでも読み返せるよう、見つけた記事・資料をま

    コードレビューを受けるのがつらくなったときは - めるノート
    rryu
    rryu 2017/11/11
    上司や先輩がコードレビューしているのがアレな原因なんじゃないだろうか。作家だって先輩がレビューしたらなんか嫌な感じのものが発生しそう。
  • クソコードに対する怒りとコードレビューにおける人格攻撃について | おそらくはそれさえも平凡な日々

    デキるプログラマだけが知っているコードレビュー7つの秘訣 7つの秘訣の1〜5は当にそのとおりだと思います。 「怒り」って言葉を使っているところはなかなか画期的だと感じた。というのも僕は前から「人格攻撃に思われて」しまうような、コードで人を殴るようなことをしてしまう人が出てきてしまうのは何故かということを考えた時に、そこには「コードに対する怒り」があるからだろうなと思っていたからである。怒りがあるからこそ強く指摘しすぎてしまうことが起こりうる。 「怒り」というのはつまり「感情」である。であれば、「その『怒り』はコードに向けられたものであり、書いた人に対してのものではないので、その人に対しての攻撃ではない」というのは、理屈ではかろうじて通るかもしれないが、書いた人の「感情」的には通らないこともあることは理解したほうが良いと思う。 じゃあ怒らなければ良い、という話にはしたくなくて、どうしても怒

    クソコードに対する怒りとコードレビューにおける人格攻撃について | おそらくはそれさえも平凡な日々
    rryu
    rryu 2014/08/20
    どんなに優しい表現をしたとしても自分の作ったものが否定されることは結構痛いので、怒りという形態を取られただけでアレげ。
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