「オウム事件経験世代とそうじゃない世代は、新興宗教に対するスタンスが違ってくるのでは?」とプロ書評家・インタビュアーの吉田豪氏がツイートし、そこからオウム事件の「思い出」のツイートが目に就くようになりました。 よく考えたら、もう20年以上だから記憶にない人、生まれてもいない人も多いのですよね…吉田氏のツイートや、リツイートしたものを中心に、そんな記憶や思い出のメモ的保存です。 カテゴリーは一応「歴史」に。 ツイートを使わせていただいたアカウントはこちら(※追加は除く) @WORLDJAPAN @KTxKR @world_fantasia @momoyazaasai @RAM_RIDER @okiteporsche @JY_TK68 @milk4742 @mechacaramel @nattourin @mokenosuke2 @tkasuga1977 @mtsan_savage @ichi
ロシアの捜査当局は、首都モスクワなどにある「オウム真理教」の信者の滞在先など20か所以上を一斉に捜索したと発表し、信者がロシアなどで活動を続けている実態が浮き彫りとなっています。 捜索では儀式に使う道具などを押収したということで、重大事件を担当する捜査委員会のマルキン報道官は地元メディアに対し、「市民に物理的、心理的な圧力をかけて財産を差し出すよう強要していた」と述べ、刑事事件として捜査を始めたことを明らかにしました。 ロシアではソビエト崩壊後、多くの人たちが新たな心のよりどころを求めたこともあって、オウム真理教の信者が一時3万人余りまで増えましたが、1995年に東京で起きた地下鉄サリン事件のあとロシアでも活動が禁止されました。 先月下旬にも旧ユーゴスラビアのモンテネグロで、信者とみられる日本人やロシア人などおよそ60人が、滞在に必要な手続きを怠ったとして一時拘束されていて、信者がロシアな
オウム施設摘発=ネットで信者拡大−ロシア報道 【モスクワ時事】ロシア主要メディアは20日までに、モスクワ中心部で「オウム真理教の施設が摘発された」と伝えた。ロシアでは活動が禁止されており、当局は「国民の権利を侵害する団体創設」の疑いで捜査を開始した。ロシアに54施設あり、交流サイトやインターネット電話などで拡大した信者、布施を取られた被害者は計数千人に上るとの情報もある。 ロシアのカルト教祖逮捕=麻原死刑囚に例えた報道も 報道によると、信者はクレムリン近くの住宅に週3回集まり、祈りやヨガの修行のほか、食事や睡眠を断つ「荒行」を行い、救急車が出動する騒ぎも起きた。 オウムは1990年代初めにロシアに浸透し、3万人以上の信者がいたとされる。2000年にはロシア人信者が元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚奪還を目的に日本での爆弾テロを計画し、逮捕された。(2015/10/21-07:15)2
【東京】松本麗華(りか)さん(31)は、小さいころに父親の膝の上に座り、そのひげで遊んでいたことを思い出す。「温かくて大きな人」だったと言う。父親の弟子であるベビーシッターたちもよく面倒を見てくれた。 タイ国タンマガーイ寺院、その奇抜な建物と資金調達術 20年前、麻原彰晃を名乗っていた麗華さんの父親の別の顔が世界にさらされた。1995年3月20日の朝、彼が率いる狂信的教団、オウム真理教の信者たちは、混雑する東京の地下鉄3路線の車内で神経ガスのサリンが入ったビニール袋を破り、13人を殺害、6300人を負傷させた。
麻原の四女は家出した際、幹部信者から父の「獄中メッセージ」と呼ばれる文書を手渡された。弁護士が接見で聞き取り、教団へ伝言したもので、必要に応じて信者に伝えられた。一定のステージ(位)以上の者はその全文を見ることができる。 「父は逮捕後も教団に指示を出していた」。麻原が平成7年5月から約2年の間に発したメッセージに、教団は従ったという。 産経新聞が四女から入手した文書によると、7年11月には、教団が任意団体に移行するとした上で「尊師は新しい任意団体の名称を下記の通り指示」とし、続いて「『アレフ』とする」という文字が記されている。教団がアレフに名称を変える4年以上前のことだ。 8年2月には「取調官の言葉の意味そのものを全く理解しない(中略)、音としてすら認識しなかったとしたら(中略)、一切の苦しみから解放されることになる。これが解脱です」とのメッセージを発し、逮捕された幹部を黙秘に転じさせた。
オウム真理教による一連の事件を首謀した教祖、麻原彰晃(60)=本名・松本智津夫。その四女(25)が地下鉄サリン事件の発生から20年を控え、産経新聞の取材に応じた。 平成7年3月20日、教団最大の拠点があった山梨県旧上九一色村。その建物群の一つ、麻原ファミリーが暮らす重要施設「第6サティアン」の麻原の部屋の前で、四女は父と立ち話をしていた。 「今日はいいことが起きているんだよ」 麻原はこう言い、冷たく笑った。その直後、教団幹部らが緊張した面持ちで現れた。「向こうに行っていろ」。四女は父に追い払われ、父と幹部らは部屋の中に消えていった。 この日朝、東京都心で地下鉄サリン事件が起きた。このとき、四女は5歳。父との立ち話は、幼少期の鮮烈な記憶となっている。 “最後の別れ”はせず その2日後、警視庁などによる強制捜査が始まる。「麻原、どこだ!」。連日のように捜査員の声がこだました。約2カ月後の5月1
元オウム教団アレフと松本家の関係をめぐって、最近いろいろな報道が出始めた。団体規制法に基づく観察処分は3年ごとに可否が判断されるのだが、その期限が2015年1月に訪れる。公安調査庁は観察処分の更新を公安審査委員会に請求することを決めているのだが、そのキャンペーンとして「旧オウム不気味な拡大」(11月8日付産経)などの報道が出るようになっているのだ。公安情報というのは、ある思惑のもとになされるから、本当ならそれをそのまま報じるのでなく、アレフや松本家関係者にあてて裏をとっていかなければならないのだが、実際は公安情報だけが一方的に流されているのが現実だ。 私は松本家の三女とは、1996年、彼女が13歳の時に初めてインタビューして以来、何度も会って来たし、四女とも時々会っている。今回、松本家の家族、特に子どもたちがどういう状況にあるのか、10月に長男がアレフを訴えたという報道がなされたが、どうい
2014-05-03 オウム真理教とパソコン通信とサブカルチャー 前回ははてなユーザー会に沢山の生温かい反響を頂きありがとうございます。いくつかユーザー会の企画を考えているのですが、それを巡って手斧を持った人々で揉める前に、せっかくGWに入ったので思い出話を書かせてください。オウム真理教とパソコン通信の思い出。 私は福島県相馬市に生まれて、人口4万人のド田舎だったので、コンテンツといえばテレビか本(オカルト)しかありませんでした。例外なく私はオカルト少年になって、小学5年生の頃から雑誌『月刊ムー』の愛読者になっていました。相馬の本屋さんでは『ニュートン』の隣に『ムー』が平積みされていたのです。 超古代文明は核戦争で一度滅んでいる。世界はフリーメーソンが影で支配している。アメリカ政府(マジスティック12)は宇宙人から軍事技術を入手してエリア51で極秘実験を行っている。ヨハネ黙示録に預言された
オウム真理教の平田信被告の裁判で東京地方裁判所は「被告は事前に拉致事件の説明を受けて犯行に加わった」と指摘し、事件の計画を知らなかったとする被告の主張を退けて、懲役9年の判決を言い渡しました。 オウム真理教の平田信被告(48)は、17年近い逃亡の末に逮捕され、東京・品川区で起きた公証役場事務長の拉致事件や杉並区のマンションに爆弾が仕掛けられた事件、それに教団の東京総本部に火炎瓶が投げられた3つの事件で起訴されました。 裁判は教団による一連の事件で初めて裁判員裁判で審理され、被告は拉致事件について事前に計画を知らなかったなどと主張していました。 判決で東京地方裁判所の齊藤啓昭裁判長は「被告は事前に麻原彰晃、本名、松本智津夫死刑囚の指示で拉致することなど教団幹部から事件について説明を受けたうえで、犯行に加わった」と指摘し、被告の主張を退けて懲役9年を言い渡しました。
地下鉄サリン事件が起きて3月で19年になるのを前に、オウム真理教から名前を変えた教団、「アレフ」の施設がある東京・足立区の住民がデモ行進をして教団の解散を訴えました。 「アレフ」は4年前から足立区入谷のビルを教団の施設としていて、区によりますと、およそ50人の信者が生活する最大の活動拠点とみられています。 地下鉄サリン事件が起きて今月20日で19年になるほか、平田信被告の裁判が行われていることから、きょうは地元の住民およそ200人がデモ行進を行いました。 住民は「オウム反対」と書かれた旗などを持ってシュプレヒコールをあげながら施設の周辺を歩きました。 この後、施設の前で、「危険な教えを広めようとする集団は認められない」として、教団の自主的な解散を求める抗議文を読み上げました。 住民グループの齋藤洋一会長は、「毎日、不安や恐怖感が拭えない。 1日も早く元の町に戻したい」と話していました。 「
「麻原以外の死刑勘弁を」=執行延期目的、否定せず―出頭理由で平田被告・東京地裁 時事通信 2月20日(木)19時26分配信 オウム真理教による仮谷清志さん=当時(68)=拉致事件の逮捕監禁罪などに問われた教団元幹部平田信被告(48)の裁判員裁判の第17回公判が20日、東京地裁(斉藤啓昭裁判長)であり、3日目の被告人質問が行われた。平田被告は、出頭理由について「麻原(教団元代表松本智津夫死刑囚)以外の死刑執行は勘弁してもらえないかという気持ちがあった」と述べた。 この供述について、検察官から「自分が出頭すれば執行が延びるということでは」と問われると、平田被告は「それは否定しない」と話した。 約17年間逃亡していた理由としては、同居していた元信者の女性(51)の証言と同様、関与していない警察庁長官銃撃事件の犯人と疑われていたことを挙げた。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く