岸田文雄首相は19日夜、公明党の支持母体である創価学会の池田大作名誉会長が15日に死去したことを受け、東京都新宿区の創価学会本部別館を訪れた。自民党総裁として弔問し、原田稔会長や池田氏の長男、博正主任副会長と面会したという。 池田氏の死去を受け、首相は18日に「国内外で、平和、文化、教育の推進などに尽力し、重要な役割を果たされ、歴史に大きな足跡を残された」とするコメントを発表。自身のX(旧ツイッター)には「深い悲しみにたえません」と投稿していた。(木佐貫将司)
池田が天才的なオルガナイザーぶりを発揮するのはその後である。11人いた理事を、45年には1700人にも増やし、実質的に理事たちの権限を奪ったのである。学会の元幹部は、「理事とか副会長は名誉職で会員への“ニンジン”なんです。池田さんが気に入ったらどんどん与える。励みになりますから」というが、私は究極の権力構造がここで完成されたように思う。理事が数人なら、権限が集中して池田を追い落としかねないが、1700人もいれば理事に権限がないに等しく、池田以外はその他大勢という逆T字型の権力構造ができる。現在、副会長が200名近くいるのも、これと同じ構図だろう。宗教学者の丸山照雄が、「あれだけの組織で、池田の本は腐るほど出てるのに、香峯子(かねこ)夫人の一冊以外、ナンバー2の本が出たことがない。他の宗教にくらべて非常に珍しい」と言うように、池田はナンバー2を許さなかったのだ。 池田の追い風となったのが、学
11月15日、創価学会の池田大作名誉会長が東京都内の自宅で老衰のため死去した。95歳だった。日本最大規模の宗教団体を長年率い、1964年に公明党を創設してからは政界でも大きな影響力を発揮してきた。 宗教団体のありかたが問われた2023年、池田氏の死は今後にどんな影響を及ぼすのか。2010年に「週刊文春」に掲載された記事を期間限定で再公開する。 (初出:「週刊文春」2010年12月2日号/年齢・肩書等は公開当時のまま) ▼▼▼ 半年振りに近況が報じられた池田大作氏(82)だが、健康状態を危ぶむ声は尽きない。今では“王朝”の奥深く隠れ、幹部ですら会うことがままならない。かつて若い魅力的な宗教指導者として社会に登場した池田氏は、どこから、なぜ変わったのか。 今から47年前の『週刊文春』(昭和38年2月25日号)に、「折伏(しやくぶく)に生きる若き指導者・池田大作」と題したこんな記事がある。創価学
創価学会の池田大作名誉会長は、2023年11月15日夜、新宿区の居宅で老衰のため、逝去いたしました。享年95歳。 近親者のみで家族葬を行いました。お別れの会を別途、日時を改めて開催する予定です。 原田会長・池田主任副会長が談話 1928年1月2日生まれ。東京都出身。1947年入会。 1960年5月3日、第三代会長に就任。約20年にわたる在任中に、創価学会の飛躍的・国際的な発展をもたらした。 1975年、SGI(創価学会インタナショナル)の発足にともない、SGI会長に就任。1979年、創価学会名誉会長。今日に至る。
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