稲田大臣の辞任を思い出す すでに二代前の防衛相の話になるが、外務大臣との兼務を一週間こなした岸田文雄氏、二回目の防衛相就任となった小野寺五典氏と比して、あまりに低評価だった稲田朋美防衛相が内閣改造の一週間前に辞任したのは、南スーダンPKOに派遣した自衛隊員の日報隠ぺい問題の不手際の責任をとってのことだった。 稲田元大臣が残した負の遺産は大きい。その最たるものは、日本のPKOへの貢献に対するマイナス効果だろう。 もともと自衛隊の南スーダンからの撤収は、これまでのPKO派遣とは違い、国連ミッションが終了する前に一方的に撤収を図るという点で、初めての出来事だった。現代の国連PKOに日本が参加することの難しさが露呈した事件であった。 撤収が発表された3月11日、私は次のようにブログに書いた。 「これまで自衛隊の撤退を要求する人々は、常に抽象的かつ非現実的な言い方で、自衛隊ではない平和への貢献の仕方