ソ連海軍が作成した地図。北海道や対馬など占領を検討した地域には印がしてある(ロシア連邦外交政策文書館所蔵) 第2次世界大戦の日本の敗戦を機に、当時のソ連軍が北海道全島をはじめ、対馬や朝鮮半島南部の港など広範囲の占領を検討していたことが、ロシア連邦外交政策文書館がオンラインで公開している公文書に記録されていた。記載内容を、岩手大の麻田雅文准教授(東アジア国際政治史)が確認した。 【動画】「前にいた軍人が爆弾の直撃受け…」満州でソ連軍の侵攻を経験した男性の証言 確認されたのは、1945年8月16日にソ連首相のスターリンが、北海道北半分をソ連軍の占領地域とするよう米側に要求した内容の基になった草案。ソ連の赤軍参謀総長アレクセイ・アントーノフらが同日にモロトフ外務人民委員に提出したもので、「日本の主要な島々を、連合国のための占領地域に分割し、特にソ連には北海道を割り当てる」と、北海道全島占領を求め
July 6 – 1950: Under Soviet pressure, GDR leader Otto Grotewohl signs the Görlitz Treaty, recognizing Poland’s post… https://t.co/bZp4ggixAL
第2回米朝首脳会談がベトナムで開催される。北朝鮮とベトナムはともに一党独裁の社会主義国で親密な関係にある。このため北朝鮮はベトナムを開催地に選んだと報じられる。しかし、事はそれほど単純ではない。例えばカンボジア・ベトナム戦争において、北朝鮮は中国と結び、ヘン・サムリン政権を認めなかった。朝越両国の複雑な関係の変遷をたどる。 米大統領のドナルド・トランプは、2019年2月5日夜に一般教書演説で第2回米朝首脳会談を2月27~28日にベトナムで開催することを明らかにした。さらに、米国の北朝鮮担当特別代表スティーブ・ビーガンと北朝鮮の代表、金革哲(キム・ヒョクチョル、元駐スペイン大使)が2月6~8日に平壌で協議したのを受けて、開催都市がベトナムの首都ハノイに決まったことを8日にツイッターで明らかにした。 それにしてもベトナムは、米朝両国にとってずいぶん因縁の深い場所である。ここは1953年の朝鮮戦
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