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日本と公文書と第二次大戦に関するEreniのブックマーク (10)

  • ソ連軍、北海道全体の占領を検討・対馬や済州島にも野心…ロシアの公文書に記録(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

    ソ連海軍が作成した地図。北海道や対馬など占領を検討した地域には印がしてある(ロシア連邦外交政策文書館所蔵) 第2次世界大戦の日の敗戦を機に、当時のソ連軍が北海道全島をはじめ、対馬や朝鮮半島南部の港など広範囲の占領を検討していたことが、ロシア連邦外交政策文書館がオンラインで公開している公文書に記録されていた。記載内容を、岩手大の麻田雅文准教授(東アジア国際政治史)が確認した。 【動画】「前にいた軍人が爆弾の直撃受け…」満州でソ連軍の侵攻を経験した男性の証言 確認されたのは、1945年8月16日にソ連首相のスターリンが、北海道北半分をソ連軍の占領地域とするよう米側に要求した内容の基になった草案。ソ連の赤軍参謀総長アレクセイ・アントーノフらが同日にモロトフ外務人民委員に提出したもので、「日の主要な島々を、連合国のための占領地域に分割し、特にソ連には北海道を割り当てる」と、北海道全島占領を求め

    ソ連軍、北海道全体の占領を検討・対馬や済州島にも野心…ロシアの公文書に記録(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
  • 731部隊や関東軍の文書公開 ロシアが歴史問題で日本けん制か | 毎日新聞

    ロシアのプーチン政権が第二次大戦中の日軍の戦争責任を強調する動きを続けている。8月には旧関東軍の細菌兵器開発などに関する文書を公開。今月には旧ソ連が日の戦犯を裁いた「ハバロフスク裁判」に関する学術会議を開き、プーチン大統領が歴史の「改ざん」を批判するメッセージを寄せた。専門家の見方を交え、その背景を考える。 「事実や公文書に基づく議論は、第二次世界大戦の歴史をゆがめる試みに対抗するために重要だ」 ロシア極東ハバロフスクで今月6日に開かれた学術会議の冒頭で、司会者がプーチン氏のメッセージを読み上げた。ラブロフ外相も「日の軍国主義者の残虐行為を将来まで記憶することが重要」と述べるビデオメッセージを送った。 ハバロフスク裁判は1949年に関東軍の幹部や、細菌兵器の開発などに取り組んだ731部隊の隊員らを裁いたソ連の軍事裁判だ。ロシアの情報機関・連邦保安庁(FSB)は8月、学術会議に先立って

    731部隊や関東軍の文書公開 ロシアが歴史問題で日本けん制か | 毎日新聞
    Ereni
    Ereni 2021/09/13
    以前露は,中国と組んで「第2次大戦は独ソ不可侵条約でなく,盧溝橋事件により始まった」と学者に言わせてるhttp://bit.ly/1DF7cZu ソ連がナチと組んだ事実を消そうと,壮大に修正主義に走ってる為,西側から激しく批判されてます
  • 原爆投下でチャーチル英首相が7月1日に最終同意署名 1945年の秘密文書(1/3ページ)

    43年8月、チャーチルとルーズベルトがカナダ・ケベック州で原爆を共同開発すると決めた秘密協定「ケベック協定」。米国が核兵器開発に成功しても英国が同意しなければ使用できない=英国立公文書館所蔵(岡部伸撮影) 【ロンドン=岡部伸】第二次大戦中の1945年7月、英国のチャーチル首相(当時)が米国による日への原爆使用に最終同意して署名していたことが、英国立公文書館所蔵の秘密文書で判明した。約1カ月後の広島と長崎への原爆投下に至る意思決定に、チャーチルが深く関わっていたことを裏付ける資料として注目されそうだ。 同館所蔵ファイル(CAB126/146)によると、原爆開発の「マンハッタン計画」責任者、グローブス米陸軍少将が45年6月初め、英国側代表のウィルソン陸軍元帥を通じて英政府に日に対する原爆使用を許可するよう求めた。 打診は、米国が核兵器開発に成功しても英国が同意しなければ使用できないなどと定

    原爆投下でチャーチル英首相が7月1日に最終同意署名 1945年の秘密文書(1/3ページ)
    Ereni
    Ereni 2018/08/10
    チャーチルが44年9月、ルーズベルトの別荘を訪れた際結んだハイドパーク協定で、2人は「原爆が完成すれば、熟慮後、おそらく日本に使用される」等と合意。原爆完成後はドイツではなく日本へ投下する事が米英で密約さ
  • <米海軍>原爆投下前に電文「長崎、小倉、広島入らぬよう」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

    1945年8月9日の長崎への原爆投下を前に、米海軍への長崎出撃などを禁じた同軍の極秘電文3通が米国立公文書館で見つかった。同1~4日付電文で、太平洋艦隊司令長官が日近海で部隊を率いる第3艦隊司令官に送信していた。米兵の被ばく防止と原爆投下を計画通りに進める狙いがあったとみられる。第3艦隊の攻撃目標も長崎から東北地方に変更され、その後の東北空襲につながったことも判明した。 【写真特集】被爆3日後の惨状生々しく 記者が撮った40枚の写真 米軍資料から空襲の実態を調べる市民団体「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」の工藤洋三事務局長=山口県周南市=が昨年、同公文書館保存のファイルから発見した。いずれの電文も太平洋艦隊司令長官ニミッツが、前線で第38任務部隊を率いる第3艦隊司令官ハルゼーに送っていた。工藤事務局長によると、海軍の前線に原爆投下に関する情報が事前に伝わっていたのが確認されるのは初め

    <米海軍>原爆投下前に電文「長崎、小倉、広島入らぬよう」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
  • 『https://www.yna.co.kr/view/AJP20180227003600882』へのコメント

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    Ereni
    Ereni 2018/02/27
    ソウル大研究チームが2016年に発見した慰安婦虐殺現場の写真と同じ場所で撮影されたものと確認〜米国立公文書記録管理局(NARA)に保管されている資料をしらみつぶしに探し、ばらばらになったフィルムの山を一つずつ確認
  • 旧日本軍の朝鮮人慰安婦虐殺 映像資料を初公開=ソウル大研究チーム | 연합뉴스

    Ereni
    Ereni 2018/02/27
    https://youtu.be/DbmcBD2aN-k 『1944年9月に中国・雲南省の騰衝で米中連合軍が撮影したもので、44年9月13日夜に日本軍が朝鮮人女性30人を銃殺したという内容の米中連合軍の文書を裏付ける記録だ』
  • ソ連に拘禁され獄死、悲劇の外交官 邦人保護に奮闘:朝日新聞デジタル

    敗戦直後に赴任先の旧満州でソ連(当時)に拘禁され、モスクワで獄死した外交官がいる。外務省が12日に公開した外交文書で、謎に包まれていた終戦前後や晩年の様子の一端が明らかになった。部下の報告書やその後の目撃証言から、邦人保護に奮闘する姿や監獄での日々が垣間見えた。 中国東北部ハルビンの総領事だった宮川船夫さん。1945年8月9日未明、日の傀儡(かいらい)国家・満州国で関東軍が展開する拠点へ、日ソ中立条約を破ったソ連の攻撃が始まった。 公開文書はこう記す。 「午前3時ごろ爆撃機が飛来し浜江駅に爆弾を投下」「ソ軍は瞬く間に国境線を突破し、刻々牡丹江、哈爾浜(ハルビン)方面に進撃」「逐次日軍の数も増加し、人心は漸次緊張の度を加えた」 文書によると、宮川さんはハルビンを「非武装都市として宣言するよう(関東)軍に要請」。無血開城を主張したが拒まれ、15日の無条件降伏を迎える。銀行に借金して料品を

    ソ連に拘禁され獄死、悲劇の外交官 邦人保護に奮闘:朝日新聞デジタル
    Ereni
    Ereni 2017/01/12
    敗戦直後に赴任先の旧満州でソ連に拘禁され、モスクワで獄死した外交官。外務省が公開した外交文書で、終戦前後や晩年の様子の一端が明らかになった。部下の報告書やその後の目撃証言から、邦人保護に奮闘する姿や
  • 外務省が外交文書を公開 戦後ソ連の日本軍捕虜「赤化工作」が明らかに 政府に危機感「相当な効果」(1/2ページ)

    戦後、旧ソ連が抑留した日軍捕虜を徹底した共産主義の思想教育で洗脳しようとした「赤化工作」の実態が12日公開された外交文書で明らかになった。当時のソ連は、抑留者の中からアクチブ(活動分子)を養成し、ソ連の協力者として帰国させ、日を共産主義化しようとしていた。文書ではソ連の工作が「相当な効果を上げている」と分析され、日政府が危機感を強めていたことがうかがえる。 公開された文書は、抑留を経て帰国したハルビン総領事館員が昭和23年12月に作成した報告書。それによると、ソ連当局は日軍の序列を維持しながら支え合ってきた将校と兵の感情的な溝につけ込んで両者を分断し、収容所の「民主化」を宣伝。各収容所には「民主グループ」が組織され、将校たちから収容所内の実権を奪っていった。 グループは民主会、反ファシスト委員会と名称を変えつつ勢力を拡大。壁新聞を発行し、批判会や夜間講習会も開催した。収容所では「天

    外務省が外交文書を公開 戦後ソ連の日本軍捕虜「赤化工作」が明らかに 政府に危機感「相当な効果」(1/2ページ)
    Ereni
    Ereni 2017/01/12
    1.12 収容所では「天皇制打倒」「祖国日本を米国の植民地化から救え」などのスローガンが派手な色彩で描かれ、レーニンやスターリンら〜の肖像画/抑留者に対し「日本政府並びに占領軍当局に誠意なく,(引き揚げ)船を出(
  • 「ソ連が対日参戦へ」…在外公館情報、生かされず

    第2次世界大戦の終戦間際にソ連が日に侵攻する可能性が指摘されていたにもかかわらず、情報が生かされなかったことが分かりました。 外務省が公開した文書によりますと、当時のドイツ領ケーニヒスベルクの日総領事館職員が1945年6月1日、当時の東郷外務大臣宛てに「ソ連は対日攻勢に転じるとの確信を持った」という報告書を提出していました。しかし、この情報は生かされることなく、2カ月後にソ連は日ソ中立条約を破棄して満州に侵攻しました。また、1983年から84年にかけての日中首脳会談の記録も公開されました。防衛力の整備に理解を求めた当時の中曽根総理大臣に対し、中国の胡耀邦総書記が「いかに日が自衛力を拡大させようと、中国と戦うことにはならないと信じる」と理解を示しています。

    「ソ連が対日参戦へ」…在外公館情報、生かされず
    Ereni
    Ereni 2017/01/12
    外務省公開文書 ドイツ領ケーニヒスベルクの日本総領事館職員が1945年6月1日、当時の東郷外務大臣宛てに「ソ連は対日攻勢に転じるとの確信を持った」という報告書/1983年から84年にかけての日中首脳会談の記録も公開。
  • 抑留犠牲者83人の新情報 ウクライナ公文書館 露と対立、KGB資料機密解除へ(1/2ページ)

    【モスクワ=遠藤良介】旧ソ連による第二次大戦後の日人強制抑留をめぐり、ウクライナ国立中央公文書館に収蔵されている資料から、現在の同国領で死亡した83人に関する新たな情報が明らかになった。強制抑留は一般に「シベリア抑留」と称されるが、実際には多数の日人が中央アジアやカフカス地方、ウクライナなど旧ソ連各地に移送されて強制労働を課された。ロシアと対立するウクライナは、旧ソ連時代の機密文書公開を積極的に進める方針を示しており、抑留問題の実態解明につながることが期待されている。 中央公文書館は情報開示請求に基づき、日人情報を含む埋葬者名簿などの写しを産経新聞に提供した。これを日の厚生労働省が公表している抑留死亡者名簿と照合したところ、厚労省名簿には記載のない4人の氏名が見つかったほか、76人の死亡年月日と3人の埋葬地に関する情報が新たに判明した。 これらの情報は、ウクライナ東部ドネツク州の第

    抑留犠牲者83人の新情報 ウクライナ公文書館 露と対立、KGB資料機密解除へ(1/2ページ)
    Ereni
    Ereni 2016/07/04
    ウクライナのソ連時代の公文書公開で、日本に関係する物がでてくるとは。
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