国家主席である習近平(シー・ジンピン)ら中国の現役指導者と長老らが意見を交わす「北戴河会議」が終わろうとしている。河北省の海辺にある避暑地を舞台に繰り広げられる秘密裏の攻防は、中国共産党の権力闘争の象徴でもある。その激しさを生々しく伝えるエピソードを当事者の口から東京で聞く機会があった。7月24日、都内のホテルでは中国国民から敬愛された元総理、周恩来(1898~1976年)の生誕120年と、日
記者会見で発言する「世界南モンゴル会議」のショブチョード・テムチルト代表=6月1日、参院議員会館(原川貴郎撮影) モンゴル民族の自決権確立を目指す国際組織「世界南モンゴル会議」は1日、東京・永田町の参院議員会館で記者会見し、中国の文化大革命期(1966〜76年)に内モンゴル自治区で起きた虐殺・拷問に関する記録を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(記憶遺産)への登録を目指すと発表した。当時の客観的な一次資料を中心に収集、英訳を進め、来年6月ごろに登録を申請する予定だ。 文革については中国政府も多数の犠牲者を出したことを認めており、90年代に出版された内モンゴル自治区史には、自治区で迫害を受けて死亡した人を「2万7900人」と記している。拷問を受けて死亡したケースもあり、10万人以上が犠牲になったとの指摘もある。 ドイツから来日した会議のショブチョード・テムチルト代表は「文革期に
先日、最後の元老・西園寺公望のひ孫が日本人最初?の紅衛兵ではないか?と記事をかいた。 愚記事: 「みんなありがとう」 ぼくは..。日本人最初?の紅衛兵、最後は孔子さまに到る、あるいは公望の成果 違うかもしれない。 1966-1967年、北京には150人の日本人紅衛兵がいた、というのだ。 びっくり。 日本人が外国で同じ日本人に集団暴行をはたらく ―こんなことがあってもいいのだろうか。北京のいまの異常なふんいきがこういった”国籍不明”の人間をつくりだしてしまうのかもしれないが、わたしはつくづく考え込んでしまった。 北京の”日本人紅衛兵”というのは、日共と中共の蜜月時代に留学した学生たちで、元日共幹部子弟も多いという。短くて二、三年、長いのになると十年近くいるものもある。日本とほとんど縁がきれてしまったような連中が、北京で生活しようとすれば、中国人とおなじようにしなければ生きていけない。百五十
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