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日本と東ドイツに関するEreniのブックマーク (2)

  • 世界平和評議会 - Wikipedia

    世界平和評議会(せかいへいわひょうぎかい、英語: World Peace Council)は、ポーランドのワルシャワで設立された組織。冷戦当時に東側諸国(社会主義国)政府の主導で設立された。日からは日共産党系の日平和委員会が加入している[3]。 歴史[編集] 壇上にパブロ・ピカソによる『鳩』を掲げた東ベルリン会議。1952年7月1日。 1949年4月、パリで平和擁護世界大会(World Congress of Partisans of Peace)の第1回大会が開かれた。冷戦が激化し始める中、フランス政府が東側諸国代表の入国を拒否したため、東側諸国の1国であるチェコスロバキアのプラハでも同時開催された。 1950年11月16日-22日、ワルシャワで第2回平和擁護世界大会が開かれ、81か国から2065人が参加。冷戦下においてアメリカや日、西ドイツなどの西側諸国と対峙するソビエト連邦や

    Ereni
    Ereni 2018/08/30
    “東側諸国の強い影響を受ける団体であることから、日本と西ドイツの「再軍備」を非難したものの、東ドイツやポーランドの「再軍備」については触れずじまい/1987年7月30日-31日、日本で世界平和評議会軍縮委員会
  • 東京新聞:日朝貿易へ「用意ある」 中曽根首相、86年訪中時 外交文書公開:政治(TOKYO Web)

    外務省は二十日、外交文書二十五冊を一般公開した。中曽根康弘首相が一九八六年十一月に訪中して中国共産党の胡耀邦(こようほう)総書記と会談した際、中国との国交樹立を希望する韓国の意向を伝えていたことが明らかになった。橋渡し役を果たそうとすると同時に、日と国交がない北朝鮮との貿易に向けても「用意がある」と表明し協力を求め、中韓と日朝の同時並行的な関係改善を提起した。胡氏は、いずれの提案にも、希望に沿えないとの考えを示した。 一連のやりとりからは首脳間の信頼関係を土台に、日が朝鮮半島の平和実現に向け、独自外交を展開しようとした軌跡が浮かび上がる。一部の事実は共同通信が当時「中韓橋渡しは不首尾に」などと報じていた。 日中首脳会談は八六年十一月八日、北京の人民大会堂で行われた。九日付極秘公電によると、中曽根氏は「韓国首脳から『中国との国交、それに至らぬとしても、交流を拡大するよう希望していると伝え

    東京新聞:日朝貿易へ「用意ある」 中曽根首相、86年訪中時 外交文書公開:政治(TOKYO Web)
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    Ereni 2017/12/23
    中曽根氏は韓国が米中朝との四者会談を望んでいるとも伝えた。胡氏は,南北が友好的な対話を通じ,緩やかな連邦制をとる必要があるとの見方を語った。中国として米朝韓の対話を働き掛けたものの北が中国提案に「怒った
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