三浦誠・赤旗社会部長 @redbear2014 旧イギリス連邦出身の友人が「安倍元首相の国葬なんてやめて、エリザベス女王の葬儀で日本の首相が安倍さんの遺影を持って参列すればいいじゃん。エリザベス女王の葬儀には、世界各国から要人もくるのだし。そうすれば、無駄がなくなる」と。 妙に納得。 #国葬やめよう 2022-09-09 10:02:50
タイのワチラロンコン国王は8日夜(日本時間9日未明)、姉のウボンラット王女が総選挙でタクシン元首相派の政党の首相候補になったことについて、王室メンバーが政治にかかわることは「不適切だ」と表明した。王女の立候補はタイ政治の構図に大きな影響を与えるとみられたが、国王の反対表明で情勢は再び混沌(こんとん)としてきた。 国王は声明で「王室の高位の者が政治の世界に入ることは、いかなる理由や方法であれ、非常に不適切だ」と批判。王室は政治の上に位置し、政治的に中立であるべきだとの考えを強調した。 8日朝、タクシン派政党の一つ、タイ国家維持党が王女を党の首相候補として擁立し、選管に届け出ていた。ウボンラット王女も自身のインスタグラムに「国を繁栄に導きたい」と書き込み、意欲を見せていた。 王室メンバーが特定の政党の…
【動画】タイ国家維持党の首相候補になったウボンラット王女。「恋するフォーチュンクッキー」を歌って踊る動画が話題になった タイのタクシン元首相派の政党の一つ、タイ国家維持党は8日、3月24日の総選挙に向けた党の首相候補として、故プミポン前国王の長女でワチラロンコン現国王の姉のウボンラット王女(67)を届け出た。王室関係者が、特定の政党の首相候補になるのは極めて異例だ。 一方、タイ軍事政権のプラユット暫定首相も同日、親軍政政党の首相候補となることを受諾した。 今回の選挙は2014年のクーデター以降、4年以上も続く軍事政権からの民政移管に向けたもの。プラユット氏を選挙後に正式に首相に就けることで軍主導の政権の継続を目指す親軍政勢力と、対立するタクシン元首相派を軸にした争いになるとみられてきた。 だが、タクシン派がウボンラット王女を首相候補にしたことで、選挙の構図は一変しそうだ。タイでは王室は批判
タイで3月に実施される総選挙に向け、ウボンラット王女(67)を首相候補としたタクシン元首相派の政党は9日、「不適切だ」とするワチラロンコン国王の声明を受けて事実上、擁立を断念した。異例の擁立劇は1日で収束した形だが、今回の事態が招いた波紋は王室を巻き込んで尾を引く可能性がある。 8日に王女を首相候補として届け出たタイ国家維持党は9日、「党は国王の声明に従う。我々は王室の伝統を尊重する」との声明を発表した。国王は8日深夜に出した声明で「王室の高位の者が政治の世界に入ることは、いかなる理由や方法であれ非常に不適切だ」と指摘しており、これを受けて擁立を事実上、断念した形だ。 同党は9日午後に予定していた選挙関連の行事も中止。王女は同日、インスタグラムに「励ましと支援に感謝する」と投稿した。 政界関係者からは「王女が国…
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2017湾岸・アラビア半島地域サウジアラビア 公開日:2017/06/21 6月21日朝、サルマーン国王は、ムハンマド・ナーイフを皇太子・副首相・内相の役職から解任し、ムハンマド・サルマーン副皇太子・国防相を皇太子・副首相・国防相に任命する勅令を発出した。サウジ国営通信の発表によると、国王や皇太子の選出を担う忠誠委員会において、ムハンマド・サルマーンの皇太子任命に関する採決が行われ、34人中31人の同意が得られた。これにより、ムハンマド・サルマーンの皇太子就任が認められたことになる。21日夜には国民からの忠誠の誓いを受けるバイアの儀式が執り行われることが発表されている。 このほか、王族の人事異動に関する複数の勅令が発出されている。空席になった内相の後任には、アブドゥルアジーズ・サウード・ナーイフ内務省顧問が任命された。アブドゥルアジーズは故ナーイフ皇太子・内相の孫、サウード・ナーイフ東部州
2017湾岸・アラビア半島地域オマーン 公開日:2017/03/03 3月2日、カーブース国王は勅令を発出し、アスアド・ビン・ターリク国王代理を国際関係・協力担当副首相兼国王特別代理に任命した。アスアドは、有力な次期国王候補の一人で、2002年から国王代理の職に就き、国際会議や式典などでカーブース国王の代理を務めてきた。 副首相の任命は、過去47年のカーブース政権下では4人目であり、1994年にファハドが閣僚評議会担当副首相に任命されて以来、23年ぶりのことである(なお、ファハド自身は1979年から法務担当の副首相職にある)。80年代から90年代前半にかけては安全保障・国防担当、経済・財務担当、法務担当と副首相が3人いる体制がとられていたが、90年代半ばに安全保障・国防担当、経済・財務担当の副首相がそれぞれ死去した後は、ファハドが唯一の副首相であった。 評価 今回のアスアド副首相任命は、事
(英エコノミスト誌 2016年1月9日号) 砂漠の王国は、中東を支配すると同時に、自国経済を現代化しようと苦闘している。 サウジアラビアは長年にわたり、惰性で動いているように見えた。石油が生む莫大な富と米国の庇護の力を頼みに、国内では平穏を手に入れ、近隣諸国には停滞を強いてきた。だが、原油価格は急落し、米国は中東の主導者的立場から身を引き、中東地域は戦火に包まれている。サウジアラビアの権力も新世代に移った――なかでも特に目立つのが、サルマン国王のお気に入りの息子であるムハンマド・ビン・サルマン副皇太子(30歳)だ。変化の砂嵐が砂漠の王国を目覚めさせつつある。 その結果として目に見えて現れているのが、国内での反体制派の容赦ない取り締まりと、国外での強硬な姿勢だ。つい最近も、そうした傾向が身も凍るような出来事として示されたばかりだ。 1月2日、サウジアラビアは47人の死刑を執行した。その大半は
それは本来、タイの軍事政権の強硬な王党派としての資質を強力に示す公式表明になっているはずだった。プミポン国王の海辺の宮殿に近い陸軍所有地に、歴代の国王7人の巨大な銅像が建造されたのだ。 9月の落成以降、そびえ立つ銅像は次第に大きな関心を集めてきた。ただし、その理由は将軍たちが意図したものではなかった。 銅像プロジェクトの請負業者に賄賂を要求したとされるスキャンダルは、発足18カ月の軍事政権を悩ませる一方、軍部による国家運営を概ね控えめに批判してきた人々に新たな推進力を与えた。 タイでは、王族を批判から守る厳格な不敬罪法の違反容疑に対する取り締まりが拡大しており、身柄を拘束された人のうち少なくとも2人が拘留中に不審死を遂げたことで生じた不穏な空気が今回さらに高まった。 政情不安、経済不振で高まる不安感に拍車 反腐敗運動に乗り出し、選挙を繰り返し延期して権力基盤を強化しようとしていた将軍たちに
ヴィルヘルム2世(1908年) ベルンハルト・フォン・ビューロー デイリー・テレグラフ事件(デイリー・テレグラフじけん、独:Daily-Telegraph-Affäre)は、1908年10月28日、『デイリー・テレグラフ』紙にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世とイギリス陸軍大佐エドワード・ジェームズ・モンタギュー=スチュアート=ワートリー(英語版)の対談が掲載され、英独両国の世論の怒りを招いたスキャンダルである。 発生[編集] スキャンダルの発端は、ヴィルヘルム2世が休暇でイギリスに滞在中、ワートリー大佐と何度か個人的に対談したことにあった。なお、ヴィルヘルム2世はイギリス王女(プリンセス・ロイヤル)ヴィクトリアを母に持ち、英語は堪能であった。ワートリー大佐はインタビューを恣意的に要約し、それを『デイリー・テレグラフ』に送りつけた。 『デイリー・テレグラフ』では従来通りきちんとベルリンに原稿を送り
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