福岡市に隣接し、ベッドタウンとしても人気が集まる福岡県大野城市。太宰府天満宮がある太宰府市も隣にあり、古くからこの地域の要衝として栄えてきました。 街の中心部には弥生時代などの遺跡があり、貴重な住居跡などが見つかっていますが、ことしの調査では当時の遺構とともにある意外なモノが“発掘”されました。 それは76年前に終わった戦争に関するものでした。 (福岡放送局 記者 野依環介)
8月9日(土)の早朝4時台『ラジオ深夜便』の人気コーナー「明日へのことば」で、戦時中の放送にたずさわったアナウンサー・山口岩夫さん(96)のインタビューを放送しました。この中で、貴重な発掘音声を放送することができました。 今回の「発掘ニュース」は番組のアンカーを務めた大阪放送局の住田功一アナウンサーが寄稿してくれました。 右側が住田アナウンサー、放送直前の準備風景です。 『ラジオ深夜便』は、ラジオ第1放送で夜11時20分(土日祝は11時10分)から放送が始まり、翌朝午前5時までという長丁場。お年寄りをはじめ、夜なかなか寝付けない皆さん、タクシーやトラックの運転手さんなどなど、幅広い皆さんに根強い人気の番組です。 この日は"関西発"の深夜便。戦時中の「空襲警報」の発掘音声が放送されたのは「明日へのことば」というコーナー。午前4時過ぎに始まりました。 「明日へのことば、戦時下で放送を続けた日々
白球を追いかけた者なら誰もが憧れる甲子園。夏はことしで100回目を迎えますが、歴史上ただ1度だけ、公式には数えられていない「幻の甲子園」と呼ばれる大会があったのをご存じでしょうか。この昭和17年(1942年)の大会で決勝の舞台に立ったキャッチャーが、ホームベースから見つめていた景色とは。(京都放送局記者 佐藤崇大) 原田清さん ことしの夏の高校野球京都大会。車いすで球場に向かう男性の姿がありました。原田清さん(91)です。 平安中学=今の龍谷大平安高校のキャッチャーとして「幻の甲子園」に出場、準優勝を果たしました。 球場で母校の選手を応援するのは、そのとき以来初めて。龍谷大平安のコーチに出迎えられ、現役の選手たちに「がんばってね」と声をかけます。 少しでも日陰で見てもらおうと選手の親たちが車いすを持ち上げてバックネット裏の日陰まで運んでくれました。 紺色に白で平安のHの字が入った、母校の帽
加計学園の獣医学部新設をめぐり、3年前、安倍総理大臣は加計理事長と面会したのか。 即座に否定した安倍総理大臣が、根拠の1つとしたのが報道各社の「首相動静」だ。「首相動静などで調べるしかないが、それを見るかぎりお目にかかっていない」と。しかし、首相動静は本当に根拠となるのか。そもそも、総理のすべての動きを捉えたものなのか。 今回は、私たち総理番記者が「首相動静」をどのように取材し、書いているか明らかにしよう。そして、いつから、なぜ始まったのか、その起源をたどってみた。 (政治部総理番 佐久間慶介) 「首相動静」の記事をご存じだろうか。新聞社によって名前は違うが、全国紙などの片隅に毎日、小さく掲載されている。NHKでもウェブサイト上に「総理、きのう何してた?」というコーナーで日々更新している。 総理の行った場所、面会者を記録したもので、「何時何分、誰それと面会」などと記載されている。 総理の日
住民や元兵士の音声証言やアメリカ軍が撮影した映像をもとに軍民合わせて20万人が犠牲になった沖縄戦を時系列に沿って伝えます
「道路工事の現場で穴が見つかった」。こう聞いても人は驚かない。しかし、この穴がはるか昔、3万年前の地層から出てきたと聞けばどうだろう。3万年前といえば縄文時代よりもさらに古い旧石器時代だ。稲作の文化もなければ、土器すらない。その穴は複数あり、どれも四角い形をしていて、きれいに一列に並んでいるという。聞けば聞くほどミステリアスだ。3万年前に何があったのかー。訪れた現場の様子は、想像を超えていた。そこから、この奇妙な穴の謎に迫る取材が始まった。(科学文化部記者 国枝拓) 穴が見つかったのは、三浦半島の南西、神奈川県横須賀市にある船久保遺跡。相模湾を見下ろす丘の上にあり、遠く望む富士山が雲の切れ間からわずかに頭をのぞかせていた。 この遺跡は、道路建設の際に小さな石器が発見されたことをきっかけに、5年前から発掘調査が行われている。穴は、地表面を数メートル掘り下げた3万年前の層に、くっきりと口を開け
天皇陛下が退位され「平成」が幕を閉じるまで、あと1年。NHKは、天皇陛下の歩みの原点を探ろうと、少年時代の側近が書き残した日誌を専門家とともに分析しました。日誌には、国の形が定まっていない終戦直後の混乱期に、将来の天皇をどのように育てていくべきか、側近らが模索を重ねた様子が詳しく記されていました。 (社会部記者 亀山拓也 鈴木高晴) なぜ今回、側近の日誌に注目したのか。それは、近現代史の重要な事実の多くが、国家の中枢にいた人たちが保管していた文書や、重要人物の周辺にいた人の日記など、個人の資料から明らかになってきたからです。 それは皇室も同じ。昭和天皇の崩御後、元侍従長や元宮内庁長官などの日記やメモの内容が明らかになり、昭和天皇や昭和史に関する研究が大きく進みました。 「昭和天皇実録」で示された典拠(赤線部分) もちろん、宮内庁には側近などが記した公的な記録がありますが、4年前に公開された
「人類の負の遺産」、ホロコースト。 戦後70年余りがたち、生き残った人々の証言をどのように伝えていくのか。 ドイツ メルケル首相 「(生き延びた人の)証言を保存し、人類の記憶として教育に役立てることが大切。」 今、世界ではデジタル技術を駆使した「記憶の保存」が始まっています。 遺体の処理を強制されたユダヤ人がつづったメモ。 時空を超えて、よみがえりました。 さらに、AI=人工知能が“新たな語り部”を誕生させています。 ホロコーストの語り部 “食べ物はすべて腐っていたが、食べるしかなかった。” ホロコーストを語り継ぐ、最先端の取り組みです。 増井 「第2次世界大戦中、ナチス・ドイツがユダヤ人などをヨーロッパ各地に設けた強制収容所に送り、600万人に上る人々を組織的に殺害したホロコースト。」 花澤 「終戦から70年余りがたち、生き延びた人たちの高齢化が進む中、新たな技術で証言や残された遺品を後
東京のど真ん中で「幻の遺跡」が見つかった。そんな情報を知らせるメールが届きました。その遺跡は、明治時代に発見の記録が残されているものの、その後、所在がわからなくなっていたと言います。密林や砂漠でもないのに、遺跡の場所がわからなくなるなんてことがあるの?調べていくと、東京の都心部では、所在不明になったり、全く知られていなかった遺跡が見つかる事例がほかにもいくつかあることがわかってきました。“都心に消えた遺跡”の秘密を探ります。(ネットワーク報道部記者 高橋大地) 「池袋で、『幻の貝塚』として知られる遺跡が見つかったらしい」 知り合いの考古学者から記者のもとに1通のメールが届きました。 「あの池袋に遺跡?」「幻の貝塚?」 これは大ニュースではないかと、早速、現地に向かいました。 池袋駅から1.6キロほどの教えられた住所を目指して住宅街を歩いて行くと、そこだけぽっかりと浮いたような空き地で発掘作
来年で、明治元年から150年となることを受けて、国土交通省は、初代の内閣総理大臣を務めた伊藤博文の旧邸宅などがある神奈川県大磯町のおよそ6万平方メートルのエリアを公園として整備し、一般に公開することを決めました。 政府の有識者による検討会は「立憲政治の確立に重要な役割を果たした先人の建物が、歩いて移動できる範囲に集中して残っていて、ほかに例を見ない」と高く評価し、保存の必要性を訴えていました。 このため国土交通省は、来年で明治元年から150年となることを受けて、次の世代に残すため公園として整備することを決めました。 建物や敷地は、いずれも民間企業が所有しているため現在は公開されていませんが、国土交通省は今後、老朽化した建物の修復工事などを行い、来年10月をめどに一般への公開を始めるということです。
江戸時代などに朝鮮半島から日本に派遣された外交使節団、「朝鮮通信使」。 先月、当時の様子を記録した資料が、ユネスコの「世界の記憶」に登録されました。 慰安婦問題や島根県の竹島を巡る問題などで、関係がたびたび冷え込んできた日本と韓国。 両国の友好につなげたいと、日本と韓国の民間団体が共同で登録を申請しました。 韓国側 「これは日本と朝鮮の交流が残した文化遺産だと思います。」 日本側 「両国民が深く認識し合う、理解し合う活動を進めていかなければ。」 両国の歴史認識を巡る違いをどう乗り越えたのか。 「世界の記憶」登録の舞台裏に迫ります。 増井 「ベートーベンの手書きの楽譜、第2次世界大戦の迫害の悲劇をつづった『アンネの日記』。 こうした世界各地に伝わる貴重な資料を人類の財産として保護する目的で始まった事業が、ユネスコの『世界の記憶』です。」 花澤 「その『世界の記憶』として、新たに『朝鮮通信使』
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