タグ

建築と原子力に関するbt-shouichiのブックマーク (2)

  • 白井 晟一原爆堂プロジェクト

    このサイトは白井晟一(1905-1983)によって1955年に計画された「原爆堂」の建設を実現するための活動の一環として開かれた「白井晟一の原爆堂」展(2018年6月)を受けて、展覧会で製作、公開されたCG動画、プロモーションビデオ、年表と、それに加えて展覧会をご覧になった方たちのアンケートを引き続き公開するものです。 また原爆堂計画および建設活動にかかわる情報、議論、企画等をアップしてまいりますのでよろしくお願いいたします。 原爆堂プロジェクト "野外に出て無限な蒼穹を仰ぐとほっとする。これが理想の色かと思う。生きている当の理由が、身内に湧いてくるのである。自然の叡智が人間の自由な生命をあらゆる強制から解きほぐしてくれるからだ。" 白井晟一のエセー「めし」の冒頭です。この2年前かれは「原爆堂 TEMPLE ATOMIC CATASTROPHES」のプロジェクトに取り組み、広島、長崎の市

    白井 晟一原爆堂プロジェクト
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2019/02/11
    Temple Atomic Catastrophes
  • 白井晟一の「原爆堂」展──新たな対話にむけて:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

    会期:2018/06/05~2018/06/30 Gallery5610[東京都] 311の原発事故を経て、新しい意味を獲得したことから、「白井晟一の『原爆堂』展」が、表参道のGallery5610で開催された。丹下健三の《広島平和記念資料館》(1955)とほぼ同時期に、白井が構想した原爆に対する建築からのもうひとつのアンサーである。誰かに依頼されたわけではない、半世紀以上も前のアンビルドのプロジェクトだが、もともと時流を意識せず、時代を超越したデザインのため、いま見ても古びれていない。目玉のひとつは、岡崎乾二郎の監修によって武蔵野美術大学の展示の際に制作された模型が出品されていること。これはすぐに壊れそうないわゆる建築系の白模型ではなく、重厚感をもち、モノ自体がアート的な迫力を獲得していた。また今回のために新規に制作された竹中工務店によるCGのムービーは、入口から地下にもぐり、螺旋階段を

    白井晟一の「原爆堂」展──新たな対話にむけて:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2019/02/11
    “「原爆堂」というのは、すごい名前である。大阪万博でさえ、展示で原爆を入れようとしたら、アメリカへの忖度から政府が変更させたというから、公共施設としては、絶対に成立しなかったネーミングだろう。”
  • 1