NHK公式【大河ドラマ「光る君へ」】時代考証を担当する倉本一宏さんに、藤原道兼の人物像や交友関係などについて伺いました。<ドラマをもっと楽しむコラム>
(CNN) 古典古代の巻物の文章を新たに解読した結果、ギリシャの哲学者プラトンの埋葬場所や、死の床で奏でられていた音楽に対するプラトンの感慨が判明した可能性がある――。イタリアの研究チームがそんな調査結果を明らかにした。 このいわゆる「ヘルクラネウムの巻物」は紀元79年のベスビオ火山噴火後、灰に埋もれ黒焦げになったもので、今も専門家が人工知能(AI)その他の技術を駆使して調査を続けている。 伊ピサ大学文献学・文学・言語学学科のラツィアーノ・ラノッキア教授(パピルス学)によると、新たに判明したのは、プラトンがアテネの学園「アカデメイア」内に設けられた詩神の祭壇付近の秘密の庭に埋葬されたとみられる点。 これまでは学園内に埋葬されたということしか分かっておらず、具体的な場所は未確定だったという。ラノッキア氏が4月30日、CNNの取材に明かした。 プラトンの学園は紀元前86年、ローマの将軍スラによ
教科書検定で指摘を受けた申請段階の令和書籍の教科書。「現存する世界最古の国家は、我が国なのです」という記述は改められた=東京都千代田区で2024年、宮武祐希撮影 文部科学省は19日、2025年度から中学生が使う教科書の検定で「未了」となっていた社会の歴史の2点について、合格にしたと発表した。過去4回にわたり不合格とされた「令和書籍」の教科書で、日本を「現存する世界最古の国家」とした記述など100カ所以上を修正して検定を通過した。 同社は多くの欠陥を指摘されたこれまでの申請図書を「文部科学省検定不合格教科書」と銘打ちネットなどで販売してきた。保守色の強い中学の歴史教科書は、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆した自由社版や、育鵬社版などがあるが、文科省によると、24年度の需要に対するシェアは両社合わせて約1%にとどまる。 「令和書籍」の社長は作家の竹田恒泰氏。21年度検定版として販
歴史で謎解き!フランス語文法 NEW! 第46回 フランス語では、car や autocar が「長距離バス」って、どういうこと? NEW!新着記事
ここのところ「枕草子周辺論」(下玉利百合子先生)からの話が多い。 この本、本当に面白くて、今のところ取り上げたのは「御匣殿騒動」だけだけど、いずれまた別の記事について書きたいと思ってる。 出来事を時系列に並べての詳細な検証や解説はすごいボリュームで自分にはちょっと手に余るんだけど、理解半分にしてもパラパラ斜め読みしてるだけで楽しい。 (こんな読み方でいいのか…?😅)。 先生の執筆意図とは軽薄にかけ離れてしまうけど、ここではお気に入りの箇所を少しだけ切り取ってみたい。 行成を形容する言葉ざっと拾ってもこの量! 「能吏」とか「誠実」「有能」あたりのよく見る表現が物足りなく感じるw らうらうじき男(=気がきいている。 才たけている。 洗練されている) きわめて多感なソフトマインドの持ち主たるこの青年 俊秀にしてしかも秘められたるやさしさの持主たる彼 この能吏の智謀と才幹 愛妻との仲むつまじく、
https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/blog/bl/ppzGkv7kAZ/bp/pboVrJom5q/ 大河ドラマ「光る君へ」第14回において、藤原道長(柄本佑)らの反対を押し切り、娘・定子(高畑充希)を中宮にしようと画策する藤原道隆(井浦新)。先例のなかった皇后と中宮の並立について解説します。 ――娘・藤原定子の立后(りっこう)を望む道隆 永祚2年(990)に父・藤原兼家が死去して新たに摂政となった道隆は、自らの政治的な立場を強固なものとするために、一条天皇に入内(じゅだい)していた娘・定子を天皇の正妻である皇后にすることを望みました。しかし当時、太皇太后、皇太后、皇后の三后はすべて埋まっており、定子を立后させることは難しい状況でした。 【太皇太后(たいこうたいごう)】 昌子内親王(まさこないしんのう) … 63代・冷泉天皇の皇后
2024年大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部と藤原道長。貧しい学者の娘はなぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか。古記録をもとに平安時代の実像に迫ってきた倉本一宏氏が、2人のリアルな生涯をたどる! *倉本氏による連載は、毎月1、2回程度公開の予定です。 連載第1回はこちら 定子入内と兼家の焦り 大河ドラマ「光る君へ」13話では、十一歳という史上最年少で元服した一条天皇に、兼家(かねいえ)の孫・道隆(みちたか)の一女で十五歳の定子(ていし)が入内した。正暦元年(九九〇)正月のことである。一条の方は身体が大人になっておらず、定子を懐妊させる「可能性」はなかったはずである。自身の寿命を危惧した兼家の焦りの表われと言えよう。 ただ、これまで大人の中だけで育ってきた一条にとって、定子ははじめて現われた近い年輩の者だったであろうし、詮子(せんし)や女官たちを除くと、はじめて接した女性となったはずで
吉川弘文館 出版図書目録2023―2024年版より転載(時代別50音順) ※目録は無料でお送りしております。またPDFでもご覧いただけます。 →詳しくはこちらのページへ
中国駐留軍をめぐる近衛首相と東条陸相の対立 1941年(昭和16年)10月2日、ハル国務長官から覚書のかたちで、9月25日の日本側提案に対するアメリカ政府の回答が示された。それは、三国同盟問題では日本側の姿勢を評価しながらも、より明確な回答を求めていた。 さらに、中国に軍隊を駐屯させる要望は容認しえず、日本軍の仏印および中国からの撤退を明確に宣言する必要があるとのことだった。また、日中間の地理的条件による経済的特殊関係の承認についても受け入れられないとしていた。 このハル覚書をうけ、10月5日、東条英機陸相は近衛文麿首相と会談した。東条は、アメリカの態度は、駐兵拒否、三国同盟離脱であり、これらは譲れないと述べた。 近衛は、駐兵が問題の焦点だ、「一律撤兵」を原則的には受け入れ、「資源保護などの名目で若干駐兵させる」ことにしてはどうか、との意見を示した。 東条は、それでは「謀略」となり「後害」
(歴史学者・倉本 一宏) 蘇我氏が改姓した氏族 かつて触れたところであるが(倉本一宏『蘇我氏 古代豪族の興亡』中公新書)、『日本文徳天皇実録(もんとくてんのうじつろく)』巻六の斉衡(さいこう)元年(八五四)十二月甲寅条(三日)の石川長津(ながつ)の卒伝も印象深い。 この日、木工頭正五位下石川朝臣長津が木工寮の中で頓死した。月次祭および神今食などの神事は、所司に通例のとおりに奉祭させた。長津は、中納言正三位兼宮内卿豊成(とよなり)の孫で、正四位上武蔵守河主(かわぬし)の子である。弘仁十年三月に内舎人となった。弘仁十二年二月に右京大進となった。弘仁十三年六月に修理大進となり、閏九月に民部大丞となった。弘仁十四年正月に遷任して皇太后宮少進となった。四月に従五位下に叙され、五月に大和介となった。天長八年七月に木工助となった。天長九年正月に従五位上に叙された。承和十年三月に加賀介となった。嘉祥二年十
横路孝弘氏は、昭和16年に北海道札幌市で生まれ、昭和44年に衆議院議員に初当選。5期目に北海道知事選挙へ立候補のため衆議院議員を辞職し、北海道知事を3期12年務めました。知事退任後に再び衆議院議員に当選し、知事就任以前とあわせて、12期34年余にわたり衆議院議員を務め、平成17年9月から平成21年7月まで衆議院副議長、平成21年9月から平成24年11月まで衆議院議長を歴任しました。 令和2年から令和4年までの間に記録されたインタビューで、横路氏のこれまでの人生の歩みを辿り、国会での質疑の数々や議員・知事としての政治決断、そして衆議院議長・副議長として担われた重責や当時の想い等を振り返ります。 インタビュー実施期間 令和2年2月から令和4年11月まで(全28回) 口述記録 全体版 上巻一括ダウンロード(PDF:7.14MB) 下巻一括ダウンロード(PDF:7.39MB) 分割版 【上巻】 表
2024年大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部と藤原道長。貧しい学者の娘はなぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか。古記録をもとに平安時代の実像に迫ってきた倉本一宏氏が、2人のリアルな生涯をたどる! *倉本氏による連載は、毎月1、2回程度公開の予定です。 無能な公卿として描かれる道綱 大河ドラマ「光る君へ」では、癒しキャラとして道長の異母兄である道綱(みちつな)が登場する。『小右記』をはじめとする古記録では、道綱はしばしば無能な公卿として描かれるが、はたして道綱は何故に無能になってしまったのであろうか。 当時の政事は年中行事などの儀式を先例どおりに執り行なうことが、一番の眼目とされていた。ところが未だ確固たる儀式次第のスタンダードは確立しておらず、『延喜式(えんぎしき)』などの法令と、各家の日記に記録された先例(故実)、時には父祖からの口伝(くでん)、貴族社会の規範である道理などをもとに
千年の時を超え、世界最高の文学と称えられる『源氏物語』。不遇な学者の女(むすめ)から中宮彰子への出仕に至った作者・紫式部の生涯を追い、物語執筆の謎に迫る。平安京や須磨・明石、宇治を訪ね、物語の舞台に想いを馳せる。 王朝の文化サロンと中宮彰子の後宮 Ⅰ 紫式部の履歴書 家系と生い立ち 少女時代 結婚と夫との死別 〈越前に下向/結婚と上京/宣孝の死〉 源氏物語の執筆 〈『源氏物語』の起筆/料紙の問題/宮廷政治史との関連/『源氏物語』の執筆〉 中宮彰子への出仕 〈彰子への出仕/里居の日々/敦成親王の誕生/土御門第行幸と五十日の儀/敦良親王の誕生/一条朝の終焉〉 三条朝の紫式部と晩年 〈実資の取り次ぎ役/紫式部の死〉 人物相関 コラム 紫式部と清少納言 Ⅱ 源氏物語の構想 源氏物語の構想 源氏物語の構成 Ⅲ 源氏物語をあるく 紫式部の遺跡 源氏物語の風景 紫式部略年表
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