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坂本龍一に関するbt-shouichiのブックマーク (63)

  • 坂本龍一さんと「島唄」と美しさ 元BOOM宮沢和史さんの願い(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

    「島唄」などの曲で知られる元「THE BOOM(ザ ブーム)」のボーカル宮沢和史さん(58)は、坂龍一さんの音楽にある「美しさ」にあこがれてきた。坂さん亡き今、伝えたいこととは。 【写真】坂龍一さんは師匠 「非戦」へ小さい声でも 吉永小百合さんの覚悟 ――出会いは? もちろん音楽でした。中学2年生のある日、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の「DAY TRIPPER(デイ トリッパー)」を聴き、体の血液が入れ替わり、生まれ変わったような衝撃を受けた。そこから、YMO、坂さんの音楽はすべて聴いています。 最大の魅力は、「音の良さ」だと思います。世の中の価値をひっくり返すような「実験的音楽の革命児」から、自然音に回帰し、遺作「12」まで、一貫してゆるぎがない。その音楽キャリアは水脈のようでした。 実際にお目にかかったのは、デビュー後です。ニューヨークで一緒に釣りをしたことも。緊

    坂本龍一さんと「島唄」と美しさ 元BOOM宮沢和史さんの願い(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2024/04/01
    “坂本さんも、沖縄民謡、ブラジルやジャマイカの音楽などを採り入れていました。僕が足を運ぶ国々とその土地の音楽や音楽家に触れると、坂本さんの足跡がありました。光でした。”
  • 坂本龍一さんの「先生」 李禹煥さんが語る晩年 けがれなき音:朝日新聞デジタル

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    坂本龍一さんの「先生」 李禹煥さんが語る晩年 けがれなき音:朝日新聞デジタル
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2024/04/01
    “彼の晩年のコンサートを聴いたとき、もうほとんどその音は音符通りの演奏ではなくて「自分の手とピアノとの間で起こっている出来事」のような感じでしたね。”
  • 「関ジャム 完全燃SHOW」坂本龍一特集のために回答したアンケートを公開! Ryuichi Sakamoto | 12

    2023年2月12日に放送された「関ジャム 完全燃SHOW」坂龍一特集のために人が回答したアンケートを未公開分もふくめ公開します。 Q:「関ジャム 完全燃SHOW」はご覧になった事はありますか?また、番組の印象はいかがでしょうか? ありません。 ずっとアメリカに住んでいますし。 だけど、評判は聞いたことがあります。 今回も番組で扱っていただけるということで関係者が番組のことを熱く語ってくれました。 それから関ジャニ∞は知っています。 この何年か、治療で入退院を繰り返していてすっかり世間にうとくなってしまって・・・あまり世間で起こっていることはフォローしていないのです。 ごめんなさい。 ▼作品作りをする上で最新の機材、技術に関する質問 Q:普段見えない電磁波を音や光にしたり、曲の1音1音をNFTにしたり昔も今も新しい技術を積極的に取り入れられていると思うのですが、いま気になる技術(演奏機

    「関ジャム 完全燃SHOW」坂本龍一特集のために回答したアンケートを公開! Ryuichi Sakamoto | 12
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2024/02/16
    2023年2月12日に放送された「関ジャム 完全燃SHOW」坂本龍一特集のために本人が回答したアンケート
  • 決して忘れない― 坂本龍一さん、高橋幸宏さん、遺志は受け継がれる SUGIZO「YMOは僕の原点」 - スポニチ Sponichi Annex 芸能

    決して忘れない― 坂龍一さん、高橋幸宏さん、遺志は受け継がれる SUGIZO「YMOは僕の原点」

    決して忘れない― 坂本龍一さん、高橋幸宏さん、遺志は受け継がれる SUGIZO「YMOは僕の原点」 - スポニチ Sponichi Annex 芸能
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/12/30
    体育会系な坂本に驚き、彼から行動することを学び、スティーブ・ジャンセンに紹介され対面した幸宏に「SUGIZOくん。知っているよ。“教授の”でしょ」と言われビビった杉様
  • https://twitter.com/soshiyamaguchi/status/1682664678567333888

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/07/23
    “恒例の近所の盆踊り 坂本龍一 千のナイフ”
  • FILT NO SMOKING NO LIFE 細野晴臣

    失われかけているものの中にこそ、かけがえのないものがある。ミュージシャン・細野晴臣が、今後も「遺したいもの」や、関心を持っている「伝えたいこと」を語る連載の第11回。一つ一つの言葉から、その価値観や生き方が見えてくる。 消えないスピリット。 最後に会った日。 2023年になってから、当にいろいろなことがあったね。幸宏、鮎川誠くん、岡田徹くん、そして教授。みんな立て続けだったから、気持ちが追いつかなかった。落ち着いてひとりひとりにさよならも言えない、仲間が戦死していくときの気持ちってこういうことなのかな、と。 幸宏の印象はいまも2019年当時のまま、その後の4年のあいだ止まってる。僕がロサンゼルスでライブをしたとき、幸宏が観にきてくれて、そのあと呼ばれたDJパーティにも幸宏が来た。ちょうど幸宏の誕生日だった。だからバースデー・パーティになってね。そのときの元気な印象が強く残ってる。それから

    FILT NO SMOKING NO LIFE 細野晴臣
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/07/20
    細野が幸宏と坂本龍一について語る
  • 熊野大学公式サイト|高澤秀次「追悼:大江健三郎と中上健次」

  • 坂本龍一さんと違う道歩くしかなかった 小室哲哉さんの憧れと劣等感:朝日新聞デジタル

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    坂本龍一さんと違う道歩くしかなかった 小室哲哉さんの憧れと劣等感:朝日新聞デジタル
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/05/04
    意識せざるを得ない存在でもあり憧れでもあった。近いと感じたのはBTTBのAqua、最も距離を感じたのはラストエンペラー/「日本にも貴族っているんだな」と思うほどの洗練/TKはあと7年で教授の享年に達する
  • (2ページ目)「ぼくと細野さんは仲が悪かったんだ」それでも坂本龍一・細野晴臣・高橋幸宏の3人が「史上最高に仲良く」なれたワケ | 文春オンライン

    細野「そう、そこに気づくともう新しい名前を考えるのがめんどくさくなっちゃう。とくに、YMOの活動がHASYMO以降はひんぱんになってきて、その度に名前を考えるというわけにもいかなくなってきた。もう名前を考えなくてもいいじゃないか、YMOでいいんじゃないかと」 HAS以降、それなりの期間(かつてのYMOよりも長い!)の活動を共にしてきた3人。80年代のYMOの息苦しさもあった関係とちがい、ほどよい距離感でお互い独立したアーティストとして尊敬の気持ちで接することができるようになったからこそのYMOという名義の使用だろう。 これはとくに坂龍一において顕著で、1980年代の鋭い刃のような他への接し方、とくに細野晴臣への接し方が変わっていた。 「デリック・メイ(デトロイト・テクノの創始者のひとり)はすごいYMOファンで、会うたびにYMOの珍しい話をしてくれなんてせがまれる。あるとき、意を決してこれ

    (2ページ目)「ぼくと細野さんは仲が悪かったんだ」それでも坂本龍一・細野晴臣・高橋幸宏の3人が「史上最高に仲良く」なれたワケ | 文春オンライン
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/04/17
    YMOファンのデリック・メイに、あるとき意を決して細野と仲が悪かったことを打ち明けると…“彼はそんなことは100年前から知ってる、ファンはみんなわかっている、だって(笑)」”
  • 特別公開:坂本龍一さん3万字インタビュー後編「この日本という国では『やめる』という決定を誰もできない。撤退ができない国なんです」|じんぶん堂

    記事:平凡社 坂龍一さん(2013年5月撮影) 撮影:榎佳嗣 書籍情報はこちら 【前編はこちらから】特別公開:坂龍一さん3万字インタビュー前編「音楽の大きなテーマは、亡くなった者を悼むということ」 震災のことは、一日も忘れたことはない ――東日大震災からすこし時間が経って(インタビュー時は2013年)、社会が平熱に戻った感じがします。被災地では、被災地だからこそ「ようやく震災や原発のことは考えず穏やかに過ごせる時間が増えた」という方もいるようですね。 坂:うーん……。僕は、忘れるという感じはまったくありません。 ――時間が経つにつれて、ふだんの暮らしと「変えていかなくちゃ」という気持ちとをどう両立させていくのかが大切なテーマだと考えるようになってきました。安倍政権に代わってから「原発を動かそう」というムードが強まっていますよね。けれど「どんなふうに暮らしていけば、おなじことを二度

    特別公開:坂本龍一さん3万字インタビュー後編「この日本という国では『やめる』という決定を誰もできない。撤退ができない国なんです」|じんぶん堂
  • 3月11日と坂本龍一の「津波ピアノ」 - ブー先生の音楽教室

    ようこそ!ブーです。 今日は、坂龍一さんの作品「津波ピアノ」について紹介します。 3月11日 と言えば、細かい説明は要らないですよね。 「津波ピアノ」は、辛く耐え難い日々を忘れないための芸術作品として生み出されました。 坂龍一 坂龍一(Sakamoto ryūichi1952年1月17日~、東京都出身)は日を代表する音楽家で、今は拠点をニューヨークに移して活動しています。 「教授」という愛称で親しまれている彼は、常に日に最先端の音楽をもたらしてくれる人物です。 音楽性はクラシック音楽が根幹にありますが民族音楽や現代音楽にも造詣が深く、現在では『持続する音・消えない音・減衰しない音に憧れを持って、恥ずかしくないものを残したい』と考えています。 音楽活動のほかには、社会活動にも積極的です。 復興支援プロジェクトを自ら考えて震災にあった方々を応援し、震災のために壊れてしまった楽器を修復

    3月11日と坂本龍一の「津波ピアノ」 - ブー先生の音楽教室
  • 1981年に坂本龍一が選んだ140冊の本

    先日TwitterのTLを眺めていたら、1981年に当時29歳の坂龍一がおすすめの140冊を選出しているチラシの画像を見つけました。どうやら紀伊國屋書店による企画だったようです。 「坂龍一が選んだ。坂龍一の世界が見えた。The 龍一 BOOK HUNTING」と題されたこのチラシは、残念ながら誤字脱字があったり、分野別に整理されておらず見にくかったり、40年後の今日から見ると書誌情報の追加が必要だったりと難点があるので、これらの不備を補完してみました。 案外に詩集が多いことと数学書が含まれていることが興味深いですね。 「坂龍一が選んだ。坂龍一の世界が見えた。The 龍一 BOOK HUNTING」 【音楽】 柴田南雄『楽のない話——柴田南雄自選著作集』、全音楽譜出版社、1976年。 柴田南雄『音楽の骸骨のはなし——日民謡と12音音楽の理論』、音楽之友社、1978年。 高橋悠治

    1981年に坂本龍一が選んだ140冊の本
  • 追悼 坂本龍一氏「もうちょっと枯れたらいいなと思ってます」

    音楽家の坂龍一氏が3月28日に亡くなりました。71歳でした。追悼の意を込めて、日経ビジネスが2019年2月4日に掲載したインタビューを再掲載します。謹んでご冥福をお祈りします。 1970年代から世界で活躍する音楽家、坂龍一氏。2014年に病を患った後も、映画音楽やオリジナルアルバムのリリースなど音楽シーンの最前線で活躍を続けている。「津波ピアノ」のような“自然な音”を模索するなど、新しい音楽の探求にも積極的だ。 中国の台頭などで国際的な存在感が低下しているとも言われる日。だが、坂氏のように長く世界で活躍し続けている人物や果敢に世界に打って出る人物もいる。日経ビジネスは2月4日号の特集「世界を動かす日人50」で、世界を舞台に新たな地平を切り開いている日人にフォーカスした。特集記事では、坂氏を含む50人を紹介している。 2014年に中喉頭がんを公表した後、1年ほど休養していました

    追悼 坂本龍一氏「もうちょっと枯れたらいいなと思ってます」
  • <寄稿> 坂本龍一さんを悼む:中日新聞Web

    世界的に活躍した音楽家の坂龍一さんが3月28日に亡くなった。坂さんが晩年参加したアーティスト集団「ダムタイプ」創設時からのメンバーで作曲家の山中透さん、音楽批評家の佐々木敦さんの2人に功績を振り返ってもらった。 ダムタイプとして活動し始めたばかりの一九八四年、坂さんが出した五作目の「音楽図鑑」というアルバムに僕と、リーダーの古橋(悌二さん)は非常にショックを受け、その影響下でダムタイプの初期作品の音楽は作られた。サンプラーをはじめ、当時の最新音楽機材を使って録音された「音楽図鑑」は、音色、音質がどの曲も素晴らしく、ポップの枠に収まらない。当時の僕は音楽がアナログからデジタルに変わっていくと、漠然とではあるが創作の未来に感じていた。今聴いてもその時の感動がよみがえる。 一方、坂さんはドビュッシーから多くの影響を受けていたと言っていた。それが感じられる「戦場のメリークリスマス」「ラスト

    <寄稿> 坂本龍一さんを悼む:中日新聞Web
  • 特別公開:坂本龍一さん3万字インタビュー前編「音楽の大きなテーマは、亡くなった者を悼むということ」|じんぶん堂

    記事:平凡社 坂龍一さん(2013年5月撮影) 撮影:榎佳嗣 書籍情報はこちら バッハの「マタイ受難曲」を聴くと、まさに「音楽に救われる」という感じがする ――東日大震災と原発事故はだれしもにとってたいへんショッキングなできごとだったと思います。坂さんはどうお過ごしでしたか。 坂龍一:うーん……、直後はやっぱり、音楽を聴く気になれませんでした。 ――音楽家の方でも、音楽が聴けなくなるんですか。 坂:ええ、(音楽家には)きっとそういう人は多いと思いますよ。それで、ずいぶんと経ってから……、ひと月ほど経ってからかな、やっと聴いてみようかなと思ったのは。 ――そのときに、慰めや励ましになったもの、あらためて立ちかえったものってありますか。 坂:それは、やっぱりどうしてもバッハの「マタイ受難曲」です。僕のまわりの音楽好きでも同じようにいう人は多いけれど、やっぱり特別な曲ですね。「また

    特別公開:坂本龍一さん3万字インタビュー前編「音楽の大きなテーマは、亡くなった者を悼むということ」|じんぶん堂
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    bt-shouichi 2023/04/08
    “2014年に刊行された『もんじゅ君対談集 3.11で僕らは変わったか』には、坂本さんが震災後に考えたご自身の「生き方」について語るインタビュー原稿が収録されています。”
  • 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼|INITIATORS’ BLOGS(ARCHIVE)|REALKYOTO FORUM|ICA京都

  • TKMC ARCHIVES NON EDIT TALK

    小室:こんばんは。小室哲哉です。ええと、この番組終わって明けるとですね、もう6月になるんですが、学校とかですね、衣替えの季節ということになりますが、果たして、芸者さんも衣替えをするのでしょうか? えぇと、芸者という言葉でですね、もう今日のゲストの方は、みなさん御存じだと思うんですけども、GEISHA GIRLSのプロデューサー……、ということではないんですけども、坂龍一さんに来ていただきました。 坂:はい。こんばんは。 小室:御無沙汰してます。 坂:御無沙汰です。お久し振りです。 小室:お久し振りで。実際にこうやって、二人で話をするってっていったらもう。 坂:10年ぐらいです。 小室:10年ぐらいですかね? 10年ぶりぐらいですね。変わらないですね? 坂:小室さんも変わらないですね。 小室:俺は、もっとガキだったじゃないですか。 坂:まあ。 小室:って感じですよね、きっと。けっ

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    bt-shouichi 2023/04/05
    ゲイシャガールズのころ/日本の音楽シーンを語ることでそれとなくTKを批判してるようにもみえる。映像で見るとまた違うのかもしれないが/フジテレビさんはTK MUSIC CLAMPのページを今後も残しておいてほしい
  • 「完璧な音楽機械」坂本龍一さん、人間として逝く 浅田彰さんが悼む:朝日新聞デジタル

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    「完璧な音楽機械」坂本龍一さん、人間として逝く 浅田彰さんが悼む:朝日新聞デジタル
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    bt-shouichi 2023/04/04
    浅田彰/テクノであれ映画音楽であれタンゴであれ、完璧にシミュレートすることができる精密な「ポストモダン音楽機械」だった坂本が、闘病を経て、asyncや12で、仮面を脱ぎ捨て自分の音楽を「発見」したと
  • 【同窓生シリーズ】坂本龍一

    龍一(さかもとりゅういち):22回生 1952年東京生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲家卒、同大学院修士課程修了。 78年「千のナイフ」でソロデビュー。同年、 細野晴臣、高橋幸宏とイエロー・マジック・オーケストラを結成、日発のテクノポップサウンドで世界を席巻。84年、映画「戦場のメリークリスマス」で英国アカデミー賞作曲賞を、88年には「ラストエンペラー」で米国アカデミー賞作曲賞を日人として初めて受賞。音楽活動の傍ら平和問題・環境問題に関わる社会への提言も多く、地雷撤去運動、脱原発運動を始め、森林保全団体「モア・トゥリーズ」、東日大震災で被災した学校を支援する「こども音楽再生基金」の設立に携わるなど、数多くの運動を率いている。 ―新宿高校と聞いて最初に思い出すのは? 昔の古い校舎ですね、もう跡形もないんでしょうねえ。何とかの鐘ってのがあって、鐘の塔が残っていましたね。そう、戦艦三笠の

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/04/04
    組織が嫌いなので、中核派にいたというのは誤り。バリケード封鎖された校舎の音楽室でヘルメットをかぶったままドビュッシーを弾いたというのは四方田犬彦の作り話だと思われるが、してないとは断言できないとw
  • https://twitter.com/AtTheBlackLodge/status/1642755252209475584