富士見多聞の概要 多聞とは、城郭の石垣上に建てられた長屋で、城壁よりも強固な防御施設でした。 江戸時代の江戸城本丸には、このような多聞が、各所に築かれていましたが、現存するのは、この富士見多聞だけです。 今は見られませんが、かつては、この富士見多聞から、実際に富士山を望むことができたと考えられます。 富士見多聞の場所は、皇居東御苑内にあります。 富士見多聞地図(PDF形式:532KB)へ(別ウインドウで開きます) 皇居全体図へ 皇居東御苑の略図へ [最寄りの交通機関から各門までの所要時間]
トレッキングは少し急なところや険しいところでは苦しくなることもあるので もう少し歳をとっても続けられるようにと トレッキングに加えウォーキングも始めることにした。 目次のページにも書いたが どうせ歩くなら 山を巡ろうかと 「江戸東京百名山を行く」という本を参考にしてみた。 この本の最初の江戸東京百名山は皇居大内山である。著者の手島さんは東御苑を大内山とされているようであるが たまたま 皇居乾通りの 一般公開があったので 皇居の紅葉山から始めることにした。 ということでこの日のスタートは日比谷駅からで、坂下門、紅葉山下、西桔橋、天守台、富士見櫓、本丸広場、汐見坂、大手門、 東京駅前、三笠山、つつじ山、ミッドタウン、銀座プレイス、有楽町駅のコースである。
世界遺産・二条城(京都市中京区)の二の丸御殿唐門(からもん)(国重要文化財)に施されている皇室の象徴・菊紋の下から、徳川家の家紋である葵(あおい)紋が見つかった。 徳川家康が築いた二条城は、1884年に当時の宮内省に所管が移っており、菊紋はその時期に取り付けられたとみられる。 二条城を管理する京都市によると、二つの紋が重なっていたのは、唐門の屋根を支える部材の先端部分にある飾り金具12個。金箔(きんぱく)を張り直すため、銅板で金具に固定された直径約9センチの菊紋を外したところ、下からほぼ同じ大きさの葵紋が現れた。 二条城は1867年の大政奉還の舞台として知られ、その後、京都府や陸軍省などを経て、1939年まで宮内省が管理。京都市元離宮二条城事務所の後藤玉樹・建造物保存整備担当課長は「江戸から明治にかけての激動の時代を映す貴重な資料」としている。唐門は今月、約2年がかりの修理が完了。今
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