「西欧近代」の成立には、古代ギリシャ・ローマの「古典」を連綿と読み続ける作業が必要不可欠だった――。朝日新聞の7月8日付朝刊「文化の扉」に掲載された「西欧近代 古典が源流」(朝日新聞デジタル版は「(文化の扉)西欧近代、古典が源流 古代ギリシャ・ローマの分析、多様な学問生む」)は、イタリア出身の20世紀の歴史学者、アルナルド・モミッリャーノ(モミリアーノ)の研究をもとに、「歴史学の歴史」の大きな流れを紹介した。ただ、紙幅の都合から記事で触れることができなかった論点も多い。記事のベースになった、歴史学者でギリシャ・ローマ史が専門の木庭顕・東京大学名誉教授とのやりとりの全体を紹介する。(聞き手・文化くらし報道部 大内悟史) ――とても大きな質問から始めますが、「西欧近代」あるいは「近代」にとって、古代ギリシャ・ローマの影響は極めて大きいものだと言われます。でも、考えてみればこれは少々不思議な話だ
木庭顕が協力した朝日の記事に対して一部から「今更のヨーロッパ中心史観」「中世・イスラーム無視」とか頓珍漢な噴き上がりがあったようだ。後者については「紙面が限られていることを無視したないものねだり」ですませてもよいし、そもそもイスラームが古典期ギリシア・ローマの継承者であり、後期中世と人文主義における古典受容がそれを経由していることなど別に言うまでもない前提だろうと茶々を入れてもよいのだが、前者についてはそうもいかない。 ここではっきり言っておくと、木庭史観は当然ながらものすごい「西洋中心主義」である。ただしそこでいう「西洋」とは「古典期ギリシア・ローマの継承」くらいの意味である。そのように考えたとき、日本人は当然のこととして西欧人もまた「西洋によって知的に植民地化され教化された蛮族」に他ならない。「政治とは何か、法とは何か」を絶えず問い返しつつ実践することなしには、誰も「西洋の正統なる継承
明治以来の「宿題」領域に向けて 日本の法律学は、明治以降、フランスやドイツ、イギリスなどから、法律体系それ自体やその基礎となる考え方を取り入れることで発達してきた。また特に戦後は、これらの国を凌ぐ大国となったアメリカが、日本の法律学にとっても重要な参照対象として加わった。その時代その時代の世界地図は、法学部の研究・教育内容をもまた、直接・間接に規定している。駒場から法学部に進学したとき、「ここでは明治維新がまだ続いている!」という印象を覚えたが、このこともそうした事情に由来するものであろう。 大きく「西洋法の継受」と呼ばれるこの百年余の営みは、単に「輸入法学」として片付けることのできない、比較法的に見ればむしろ創造的なものを多く含むプロセスであった。今日の日本の法律学は、西洋法の理解としても、またわが国で独自の発展を見た各個別領域の点としても、国際的にかなりの水準に達しており、学部生として
Masahiro Kozuka @Masahiro_Kozuka って批判(?)対象レビューは前者に特定されていましたね。それにしても内容が香ばしすぎますね。例えば"「日本国憲法は日本語が正文だ、篠田は自衛隊合憲派だ」、という指摘があるだけ"と論難していますが、レビュー中の"憲法は国内法なのであるから…"の下りは正文の問題に止まらない指摘では? 2017-08-28 21:02:59 Masahiro Kozuka @Masahiro_Kozuka "最後に一言。私の最終学歴は、〔LSE〕のPhD.(国際関係学博士)である。博士号すら持っていない憲法学者の方々にルサンチマンを抱いている、などと言われる立場ではない"←捨て台詞の破壊力凄すぎ…。博士号がそこまで偉い?そらLSE Ph.Dは凄いけど学者の勝負の肝は著作自体でしょ? 2017-08-28 21:17:59
「平和構築」を専門にする国際政治学者 篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文その他の情報や、時々の意見・解説を集めています。以前にホームページとして掲載していた情報ともリンクさせています。 http://shinodahideaki.blog.jp/ というブログを最近読み始めました。 実は読み始めの時は、6月にちょっと心に引っかかっていた、この人と直接はつながらなかった。あとからと同一人物と気づいた。 読売・吉野作造賞:篠田英朗氏「集団的自衛権の思想史」に https://t.co/t5CXIXBntt— 毎日新聞ニュース速報 (@mainichijpnews) 2017年6月8日 吉野作造賞が決まった篠田英朗氏は1993年のカンボジアPKO参加者だったか。 「『なぜカンボジアに行くのか、政府に騙されているのではないか』といったメディア取材にさらされた」と
憲法学者・樋口陽一が、基本に立ち戻り、戦後日本を代表する英知・加藤周一と丸山眞男の「憲法論」と「思想」を再読し、その本質を語り尽くす。【「TRC MARC」の商品解説… 加藤周一と丸山眞男 日本近代の〈知〉と〈個人〉 [著]樋口陽一 / 学問/政治/憲法—連環と緊張 [編]石川健治 自民党改憲草案では、現憲法の「個人」という言葉が「人」に差し替えられている。些細(ささい)な違いとも見えるが、個人を基礎とする国家という近代の基本枠組みの否定となりかねないというのが、樋口陽一ら憲法学者たちの見解である。 戦後日本を代表する知識人たちと自らとの関係を述べた『加藤周一と丸山眞男』で、樋口は若き丸山の「弁証法的全体主義」という謎の概念に注目する。国家が個人をのみ込む全体主義と、欲望追求だけの個人主義との双方を批判し、個人は国家をつくるが、「しかも絶えず国家に対して否定的独立を保持」すべきだと丸山は述
【今日の言葉】 「学術的」とは別の言葉で言えば「批判的」とも言えるだろう。 (長谷川修一「聖書考古学」) 【読書日記】 こんばんは。ともです。 今日は、木庭顕「デモクラシーの古典的基礎」「法存立の歴史的基盤」を解釈した地点から、―いわば「斜め後ろ」から―、憲法96条を読んでみたいと思います。あくまで私の「解釈」ですので、みなさまは「批判的」にお読みください。 ■憲法96条を素直に読んでみる まず、素直に条文を読んでみましょう。 日本国憲法 第9章 改正 第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。 2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこ
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
久しぶりに政局の話を書きます。 報道によると、自民党と公明党が内閣不信任決議案を共同で提出することで一致し、6月上旬にも提出されるようです。 通常国会が会期末に向かって、政局が具体的に動き出してきたようです。しかし多くの国民は、「この震災の対応を菅さんに任せておくのは不安だけど、いま政局をやるときなのか」という複雑な思いを抱いているのではないかと思います。 それに菅おろしが活発にならないのは、ポスト菅がはっきりとしていないからです。結局、このタイミングで不信任決議案を提出してもそれは国民不在の政局でしかなく、だからこそ国民も菅おろしに期待をしていないのだと思います。こんな中で不信任決議案を提出しても、国民の国政離れがただ加速するだけです。 いま日本に必要なのは、東日本大震災からの復興と福島第1原子力発電所事故の被害を最小限に抑えるための強いリーダーシップです。そして国民が求めているのは、そ
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