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政治と政治学と法学に関するbt-shouichiのブックマーク (13)

  • masahiro noguchi on Twitter: "「稀代の思想家か、ナチのイデオローグか」。「両方」とかいうと、軟弱だからダメなんだろうか。蔭山宏 『カール・シュミット』(中公新書、2020年6月) https://t.co/B7hjs5uM8H"

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    bt-shouichi 2020/06/19
    中公新書から出るシュミットの新書の帯に対するツッコミ。“「稀代の思想家か、ナチのイデオローグか」。「両方」とかいうと、軟弱だからダメなんだろうか。”ちょっぴり大人です
  • 木庭顕氏に聞く 古典と近代の「複雑な関係」  - 木庭顕|論座アーカイブ

    「西欧近代」の成立には、古代ギリシャ・ローマの「古典」を連綿と読み続ける作業が必要不可欠だった――。朝日新聞の7月8日付朝刊「文化の扉」に掲載された「西欧近代 古典が源流」(朝日新聞デジタル版は「(文化の扉)西欧近代、古典が源流 古代ギリシャ・ローマの分析、多様な学問生む」)は、イタリア出身の20世紀の歴史学者、アルナルド・モミッリャーノ(モミリアーノ)の研究をもとに、「歴史学の歴史」の大きな流れを紹介した。ただ、紙幅の都合から記事で触れることができなかった論点も多い。記事のベースになった、歴史学者でギリシャ・ローマ史が専門の木庭顕・東京大学名誉教授とのやりとりの全体を紹介する。(聞き手・文化くらし報道部 大内悟史) ――とても大きな質問から始めますが、「西欧近代」あるいは「近代」にとって、古代ギリシャ・ローマの影響は極めて大きいものだと言われます。でも、考えてみればこれは少々不思議な話だ

    木庭顕氏に聞く 古典と近代の「複雑な関係」  - 木庭顕|論座アーカイブ
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    bt-shouichi 2019/10/18
    モミッリャーノ
  • 木庭顕の西洋中心主義 - shinichiroinaba's blog

    木庭顕が協力した朝日の記事に対して一部から「今更のヨーロッパ中心史観」「中世・イスラーム無視」とか頓珍漢な噴き上がりがあったようだ。後者については「紙面が限られていることを無視したないものねだり」ですませてもよいし、そもそもイスラームが古典期ギリシア・ローマの継承者であり、後期中世と人文主義における古典受容がそれを経由していることなど別に言うまでもない前提だろうと茶々を入れてもよいのだが、前者についてはそうもいかない。 ここではっきり言っておくと、木庭史観は当然ながらものすごい「西洋中心主義」である。ただしそこでいう「西洋」とは「古典期ギリシア・ローマの継承」くらいの意味である。そのように考えたとき、日人は当然のこととして西欧人もまた「西洋によって知的に植民地化され教化された蛮族」に他ならない。「政治とは何か、法とは何か」を絶えず問い返しつつ実践することなしには、誰も「西洋の正統なる継承

    木庭顕の西洋中心主義 - shinichiroinaba's blog
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    bt-shouichi 2019/07/13
    “人類普遍の「政治」とか「法」の基本形を「西洋」が体現しており、他の遅れた地域はそれを模範として追随する、とかいうのではない。「政治」も「法」も今でいう南欧の片田舎で生まれたごくごく特異な現象なのだ”
  • UTokyo BiblioPlaza

    明治以来の「宿題」領域に向けて 日の法律学は、明治以降、フランスやドイツ、イギリスなどから、法律体系それ自体やその基礎となる考え方を取り入れることで発達してきた。また特に戦後は、これらの国を凌ぐ大国となったアメリカが、日の法律学にとっても重要な参照対象として加わった。その時代その時代の世界地図は、法学部の研究・教育内容をもまた、直接・間接に規定している。駒場から法学部に進学したとき、「ここでは明治維新がまだ続いている!」という印象を覚えたが、このこともそうした事情に由来するものであろう。 大きく「西洋法の継受」と呼ばれるこの百年余の営みは、単に「輸入法学」として片付けることのできない、比較法的に見ればむしろ創造的なものを多く含むプロセスであった。今日の日の法律学は、西洋法の理解としても、またわが国で独自の発展を見た各個別領域の点としても、国際的にかなりの水準に達しており、学部生として

    UTokyo BiblioPlaza
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    bt-shouichi 2017/10/28
    福岡安都子、自著を語る/西洋法の継受…「駒場から法学部に進学したとき、「ここでは明治維新がまだ続いている!」という印象を覚えた」
  • 玉井克哉(Katsuya TAMAI) on Twitter: "国民主権とか一般意思とか民主政とかに2.0だの4.0だのつけてるのって、馬鹿馬鹿しくて相手にできませんわ。ルソーも泉下で泣いているだろう。奴は嫌いだけど、いくらなんでもかわいそうやろ。(これでもいちおう思想史研究者の端くれ。)"

    国民主権とか一般意思とか民主政とかに2.0だの4.0だのつけてるのって、馬鹿馬鹿しくて相手にできませんわ。ルソーも泉下で泣いているだろう。奴は嫌いだけど、いくらなんでもかわいそうやろ。(これでもいちおう思想史研究者の端くれ。)

    玉井克哉(Katsuya TAMAI) on Twitter: "国民主権とか一般意思とか民主政とかに2.0だの4.0だのつけてるのって、馬鹿馬鹿しくて相手にできませんわ。ルソーも泉下で泣いているだろう。奴は嫌いだけど、いくらなんでもかわいそうやろ。(これでもいちおう思想史研究者の端くれ。)"
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    bt-shouichi 2017/10/12
    「ルソーも泉下で泣いているだろう。奴は嫌いだけど、いくらなんでもかわいそうやろ」w/あずまん以外にもdisられてる人がいるかな。まぁそれはともかく、つぶしあえ
  • 『ほんとうの憲法』の書評(@密林)にむけて

    Masahiro Kozuka @Masahiro_Kozuka って批判(?)対象レビューは前者に特定されていましたね。それにしても内容が香ばしすぎますね。例えば"「日国憲法は日語が正文だ、篠田は自衛隊合憲派だ」、という指摘があるだけ"と論難していますが、レビュー中の"憲法は国内法なのであるから…"の下りは正文の問題に止まらない指摘では? 2017-08-28 21:02:59 Masahiro Kozuka @Masahiro_Kozuka "最後に一言。私の最終学歴は、〔LSE〕のPhD.(国際関係学博士)である。博士号すら持っていない憲法学者の方々にルサンチマンを抱いている、などと言われる立場ではない"←捨て台詞の破壊力凄すぎ…。博士号がそこまで偉い?そらLSE Ph.Dは凄いけど学者の勝負の肝は著作自体でしょ? 2017-08-28 21:17:59

    『ほんとうの憲法』の書評(@密林)にむけて
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    bt-shouichi 2017/08/29
    篠田氏、読売・吉野作造賞ももらったし、活発に政治的発言するようになったしな。バカだと思われたくない改憲派の中にはこの本を使おうという人たちも出てくるだろうから、叩くべきとこは叩いといたほうがいいだろう
  • 『「平和構築」を専門にする国際政治学者』ブログ(篠田英朗氏)が最近面白い。筆者は吉野作造賞をこの前受賞。 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    「平和構築」を専門にする国際政治学者 篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文その他の情報や、時々の意見・解説を集めています。以前にホームページとして掲載していた情報ともリンクさせています。 http://shinodahideaki.blog.jp/ というブログを最近読み始めました。 実は読み始めの時は、6月にちょっと心に引っかかっていた、この人と直接はつながらなかった。あとからと同一人物と気づいた。 読売・吉野作造賞:篠田英朗氏「集団的自衛権の思想史」に https://t.co/t5CXIXBntt— 毎日新聞ニュース速報 (@mainichijpnews) 2017年6月8日 吉野作造賞が決まった篠田英朗氏は1993年のカンボジアPKO参加者だったか。 「『なぜカンボジアに行くのか、政府に騙されているのではないか』といったメディア取材にさらされた」と

    『「平和構築」を専門にする国際政治学者』ブログ(篠田英朗氏)が最近面白い。筆者は吉野作造賞をこの前受賞。 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
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    bt-shouichi 2017/08/18
    やはり注目している人は増えているようだ。篠田先生、きてるよね~/(あれ、ここでいう「面白い」の意味、俺のと違うっぽい…?)
  • 「加藤周一と丸山眞男 日本近代の〈知〉と〈個人〉」 個人・社会・国家、あるべき姿探る|好書好日

    憲法学者・樋口陽一が、基に立ち戻り、戦後日を代表する英知・加藤周一と丸山眞男の「憲法論」と「思想」を再読し、その質を語り尽くす。【「TRC MARC」の商品解説… 加藤周一と丸山眞男 日近代の〈知〉と〈個人〉 [著]樋口陽一 / 学問/政治/憲法—連環と緊張 [編]石川健治 自民党改憲草案では、現憲法の「個人」という言葉が「人」に差し替えられている。些細(ささい)な違いとも見えるが、個人を基礎とする国家という近代の基枠組みの否定となりかねないというのが、樋口陽一ら憲法学者たちの見解である。 戦後日を代表する知識人たちと自らとの関係を述べた『加藤周一と丸山眞男』で、樋口は若き丸山の「弁証法的全体主義」という謎の概念に注目する。国家が個人をのみ込む全体主義と、欲望追求だけの個人主義との双方を批判し、個人は国家をつくるが、「しかも絶えず国家に対して否定的独立を保持」すべきだと丸山は述

    「加藤周一と丸山眞男 日本近代の〈知〉と〈個人〉」 個人・社会・国家、あるべき姿探る|好書好日
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    bt-shouichi 2015/02/11
    「自民党改憲草案では、現憲法の「個人」という言葉が「人」に差し替えられている」「個人を基礎とする国家という近代の基本枠組みの否定となりかねないというのが、樋口陽一ら憲法学者たちの見解である」
  • ノンフィクション・歴史・古文書の出版社 - 柏書房

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    bt-shouichi 2014/02/15
    萍憲法研究会。学界官界実務界の長老格と若手憲法研究者で構成。主導者は山川端夫(加藤高明内閣・第1次若槻内閣の法制局長官)、牧野英一(刑法)、高柳賢三(英米法、憲法調査会会長)、小林次郎(参院事務総長)
  • 憲法:制定時の折衝の様子「当時語れなかった」資料発見 - 毎日新聞

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    bt-shouichi 2014/02/15
    萍憲法研究会:日本国憲法制定に関わった貴族院議員らが、制定経緯の記録、憲法の問題点の検討、改正案の作成を目的に結成。非公開ながら参院議長公邸などで行われ、「半公式的性格」を持った/柏書房から刊行される
  • ギリシャとローマの交錯点としての憲法96条―木庭顕「デモクラシーの古典的基礎」「法存立の歴史的基盤」から読む - ともの読書日記

    【今日の言葉】 「学術的」とは別の言葉で言えば「批判的」とも言えるだろう。 (長谷川修一「聖書考古学」) 【読書日記】 こんばんは。ともです。 今日は、木庭顕「デモクラシーの古典的基礎」「法存立の歴史的基盤」を解釈した地点から、―いわば「斜め後ろ」から―、憲法96条を読んでみたいと思います。あくまで私の「解釈」ですので、みなさまは「批判的」にお読みください。 ■憲法96条を素直に読んでみる まず、素直に条文を読んでみましょう。 日国憲法 第9章 改正 第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。 2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこ

    ギリシャとローマの交錯点としての憲法96条―木庭顕「デモクラシーの古典的基礎」「法存立の歴史的基盤」から読む - ともの読書日記
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    bt-shouichi 2013/05/13
    「「民主の原理」=ギリシャ型デモクラシーと、「自由の原理」=ローマ型法システムが、「個人の尊厳」=「最後の一人」を守るという共通の原理に貫かれいること」
  • 基本的人権が自由を破壊する!?--あるいは一部日本におけるバ○ク主義についての覚書 - 特急 東海1号静岡行

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    基本的人権が自由を破壊する!?--あるいは一部日本におけるバ○ク主義についての覚書 - 特急 東海1号静岡行
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    bt-shouichi 2013/03/31
    保守主義を標榜する人にこういう疑問をぶつけてみたいが、「いや俺のはバーク的なのじゃなくメーストル的な保守主義だし」と返されたらどうしようと思って訊けない
  • 内閣不信任決議案をめぐる政局。 : 神山玄太のホームページ

    久しぶりに政局の話を書きます。 報道によると、自民党と公明党が内閣不信任決議案を共同で提出することで一致し、6月上旬にも提出されるようです。 通常国会が会期末に向かって、政局が具体的に動き出してきたようです。しかし多くの国民は、「この震災の対応を菅さんに任せておくのは不安だけど、いま政局をやるときなのか」という複雑な思いを抱いているのではないかと思います。 それに菅おろしが活発にならないのは、ポスト菅がはっきりとしていないからです。結局、このタイミングで不信任決議案を提出してもそれは国民不在の政局でしかなく、だからこそ国民も菅おろしに期待をしていないのだと思います。こんな中で不信任決議案を提出しても、国民の国政離れがただ加速するだけです。 いま日に必要なのは、東日大震災からの復興と福島第1原子力発電所事故の被害を最小限に抑えるための強いリーダーシップです。そして国民が求めているのは、そ

    内閣不信任決議案をめぐる政局。 : 神山玄太のホームページ
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    bt-shouichi 2011/05/29
    基本法第67条:建設的不信任決議「ドイツでは、政局で内閣不信任決議案を提出できないように、不信任決議をする相手に変わる新たな首相候補を擁立しなければ、不信任決議案自体を提出することができません」
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