宮城県東松島市にある遺跡から見つかった縄文時代の複数の人骨が、およそ3500年前にあった津波で流されて亡くなった人たちのものである可能性が高いという研究結果がまとまりました。 津波被害の痕跡とされる人骨の出土は初めてで、分析にあたった研究者は「災害の履歴を明らかにして復興に生かしていきたい」と話しています。 人骨が見つかったのは、宮城県東松島市の宮戸島にある室浜貝塚で、26日は発掘調査に当たった奥松島縄文村歴史資料館が記者会見を開きました。 資料館によりますと、2年前に行った発掘調査で見つかった9体の人骨について、放射性炭素を使った手法で年代を測定したところ、3500年余り前の縄文時代後期のもので、この地域を襲った津波の痕跡とみられる地層と年代が一致したことが分かりました。 また、これらの人骨は、いずれも人為的に掘った穴ではなく、くぼ地にはまり込んだような状況で見つかったほか、手足の一部が
東日本大震災から11日で1年半を迎えるのを前に、県警は九十九里浜が津波に襲われる様子を上空のヘリコプターから撮影した映像を初めて公開した。匝瑳市と旭市を流れる新川を津波が逆流する様子や、山武市の沿岸の住宅に迫る津波が克明に映されている。 大震災の当日、ヘリを操縦していた県警航空隊員の川嶋智成警部補(44)は「最初はどこが津波なのか分からなかった。川のように、道路に水が押し寄せてくるのを見て、初めて実感がわいた」と振り返る。 あの日、川嶋さんは休みで家にいた。体験したことのない揺れを感じ、テレビをつけると宮城沖でマグニチュード8・8の大地震。「東北へ応援か」。そう思って職場の成田空港の基地に出勤した。だが、指令は「市原に向かってくれ」。 五井海岸では、コスモ石油のコンビナートの火災で、100メートル近い火柱が上がっていた。市原市の上空から炎上する炎を撮影していると「外房に津波が押し寄せ
静岡県伊東市の川奈港に押し寄せる津波とみられる写真。防波堤の沖にうっすらと波が確認できる=伊東市教育委員会提供津波で1階部分が素通しになった民家=伊東市教育委員会提供津波で橋に乗り上げた漁船(市制施行記念写真展で市民から提供された写真)=伊東市教育委員会提供手前の建物は土台だけになっている=伊東市教育委員会提供つっかい棒で支えられている被災した建物=伊東市教育委員会提供関東大震災の震源域 1923(大正12)年の関東大震災の際に起きた津波が港に迫る瞬間を撮影したとみられる写真が、静岡県伊東市で見つかった。関東大震災では、相模湾周辺で津波の被害もあり200〜300人が犠牲になった。関東大震災の津波そのものをとらえた写真は、これまで確認されていなかったという。 写真は、十数年前に亡くなった郷土史研究家の竹田信一さんの遺品から、伊東市教育委員会の金子浩之さんが見つけた。竹田さんが伊東市川奈地
平成23年3月11日の東日本大震災を受け、「津波警報を聞いた場合、どこまで避難したらよいのか」など、市町村の「津波ハザードマップ」作成の検討材料と、具体的な住民の津波避難行動に繋げるための津波浸水予測図を作成いたしました。 なお、このページに掲載している津波浸水予測図は、「津波防災地域づくりに関する法律(平成23年法律第123号)」に定める「津波災害警戒区域」を指定しているものではありません。 津波避難のための津波浸水予測図 いざ地震、津波が発生した場合、津波避難行動を起こすために必要な情報は、気象庁が発表する津波警報です。 そこで、県民等の皆様が気象庁から発表される津波警報の情報を、安全で的確な津波避難行動に繋げていただく目的で、平成25年3月に気象庁で改善が予定されている津波警報に合わせた、以下の津波浸水予測図を作成しました。 津波予報区「千葉県九十九里・外房、千葉県内房」 津波高3m
米地質調査所によると、11日午後2時38分(日本時間同5時38分)頃、インドネシア・スマトラ島近くを震源とするマグニチュード8・7の地震があった。 震源の深さは約33キロ。
【復興日本】前へ進むために(10) ■速さ重視 甘い警報に ■「ここ数年の津波警報時とほぼ同じ。甚大な被害は出ないと思った」≪岩手県宮古市の山崎政典商業観光課長(当時)≫ 東日本大震災の発生直後に気象庁が出した津波警報は、実際の高さより大幅に低かった。このため住民には、逆に“安心情報”と受け取られ、避難の遅れを招いた。 なぜ、そんな事態になってしまったのか。気象庁の津波警報はマグニチュード(M)から津波の高さを推定し、地震発生の約3分後に発表される。気象庁は当初、M7・9と計算し「岩手3メートル、宮城6メートル」などと過小評価した第一報を発表。国内の地震計が振り切れてしまっていたこともあって、正確な再計算に手間取った。 この方式は短時間で計算できるのが利点であると同時に、巨大地震の場合は数字が頭打ちになる。その欠点が今回、もろに表れた格好になってしまった。 このため気象庁は年内
3.11 岩手県上閉伊郡大槌町 東日本大震災の津波の瞬間。津波が川の防波堤を越えてから、わずか10分で町が壊滅しました。 撮影者:佐藤明広 東日本大震災の記憶を風化させないよう、アップいたしました。 著作権管理が2019年12月1日から一般社団法人プロジェクトNext (http://www.project-next.com)から、特定非営利活動法人 遠野まごころネット(https://tonomagokoro.net) tonomagokoro@gmail.com に変更になりました。 In the moment of only a ten-minute, the tsunami of the catastrophic earthquake of eastern Japan wiped out the central part of Otsuchi-cho, Iwate Pref o
約150年前の先人が 我々に残してくれたメッセージ 大地震両川口津浪記石碑(安政大津波碑) 9月4日の淀川です。 各地に大きな被害をもたらした台風12号が去った後。 あふれんばかりの水位ですね。 (asahi.com) そういえば先日、大阪府が将来くるであろう津波の高さの想定を2倍にしたというニュースがありました。防災について関心が高まっています。 ところで大阪に大津波が来た歴史はあったのだろうか? 大正橋東詰、ここに安政大津波の碑があります。 安政2年(1855年)7月に建立されている。 その前年、嘉永7年(安政元年1854年)11月に大地震による大津波が大阪を襲ったようです。 大地震両川口津浪記。 裏面と側面にはびっしりと文字が刻まれている。 当時の被害状況がこまかく記録されているのだ。 これには全文が書かれているがちょっと今の時代の人には読みにくいかも。 これは読みやすい。 大地震両
naomi fukuda @naoming830 フジテレビで「わ・す・れ・な・い」という震災の特別番組を見て、今まであまり詳しく書かなかった、11日の私自身のことをちょっと長々とつぶやいてみようと思います。 2011-08-12 22:33:29 naomi fukuda @naoming830 私はあの日午前授業でした。放課後は国道45号線沿いにあるショッピングセンター(リプル)へ友達(以降S)と行きその後ファミリーマート、ドラックストア(ツルハ)という順に回る予定でした。 友達が校則違反をしたペナルティーである校内清掃をしなければならないとのことで友達が終わるまで 2011-08-12 22:42:28 naomi fukuda @naoming830 2時間ほど職員室で時間つぶしがてら数学を教わったり、進路の話をしたり、なぜかチェルノブイリ原発事故についての話をしたりしていました。
30年以内の発生確率が60~70%とされる東南海・南海地震が、東日本大震災と同じマグニチュード(M)9.0規模で起きた場合、大阪湾岸から約15キロ離れたJR大阪駅などのほか、大阪府北東部の北摂、河内地域など約40キロ離れた地点まで浸水被害を受ける可能性があることが、専門家の試算で分かった。津波の規模は、これまでの南海地震の想定より3メートル高くなるとみられており、自治体は早急に暫定的な対策を打ち出すことが必要となりそうだ。上町台地の府庁と府警、防災センターは被害を免れ 試算したのは、東日本大震災復興構想会議の委員で、関西大社会安全学部の河田恵昭学部長(社会安全学)。大阪府咲洲(さきしま)庁舎の安全性を検証する専門家会議への参加も内定している。 河田氏の試算では、東南海・南海地震がM9.0規模で起きた場合、大阪湾岸では高さ5.5メートルの津波が発生する可能性がある。地盤の高さと照らして浸水域
東日本大震災で被災した住宅や公共施設の移転用地として高台の開発需要が高まる中、岩手・宮城両県に約2万か所ある遺跡の存在が、復興を進める上での難題となっている。 両県では縄文時代の集落跡が高台に広く分布しているが、開発には教育委員会への届け出と事前調査が必要となる。1995年の阪神大震災の際には同様の事前調査に3年を要しており、「速やかな復興と文化財保護の両立は果たせるのか」と関係者は頭を悩ませている。 被災者の住宅建設予定地となっている岩手県宮古市田老地区の高台で、市教育委員会の長谷川真・主任文化財調査員(35)がスコップを手に土を掘り続けていた。 「あった」。土の中からは、縄文土器の破片が次々と出てきた。長谷川さんは「やっぱり事前調査は欠かせない」と話す。 文化財保護法では、遺跡として登録された土地を開発する場合、教育委員会への届け出が必要となる。各教委と事業者は、遺跡を保存するため計画
福島第1原発を襲った津波。集中廃棄物処理施設4階から、北側の4号機の原子炉建屋方向を向いて撮影=2011年3月11日午後3時42分ごろ、東京電力関連企業社員が撮影(東電提供) ↑クリック↑すると次の写真に進みます 東京電力は19日、福島第1原発に津波が到達した直後の連続写真を初めて公開した。海面から高さ10メートルの敷地にある重油タンク(高さ5.5メートル)が、到達後わずか1分間で水没するなど、津波が猛烈な勢いで押し寄せる様子をとらえている。 公開されたのは、3月11日午後3時40分ごろから撮影された計17枚。敷地の南にある集中廃棄物処理施設の4階から北方向(4号機タービン建屋方面)を東電の関連会社社員が撮影した写真は、同42分に海抜10メートルの敷地で浸水が始まり、約1分後には高さ5.5メートルの重油タンクが濁流で水没し始めた。タンクは一気にのみ込まれ、駐車中の乗用車も流されて補助建屋(
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