YOSHIKIデザインの楽天カードが紹介されたあと、YOSHIKIと三木谷氏は昨今の音楽業界についてのトークを展開していく。YOSHIKIはアメリカ・ロサンゼルスを拠点にしてアジア、ヨーロッパを回っているが、日本の音楽業界を「特殊だ」と表現。1989年にX JAPANがメジャーデビューして30周年を迎えるが、デビュー当時はちょうどアナログ盤からCD盤に移行している時期だったことを振り返りつつ、「そして今、アメリカではCDという単語すら聞かなくなりました」と海外の音楽事情について説明した。また日本と主にアメリカを比較し、「日本では頭の良い方々がCDにまつわるいろいろなシステムを作り上げましたけど、いい意味でも悪い意味でも日本を孤立させてしまった。もはや音楽をCDとして売っているわけじゃないですから。世界は完全にストリーミングにシフトしていて、そのギャップに僕は危機を感じています」と述べた。三
X JAPANのリーダー・YOSHIKIがあるランキングで“大暴れ”し、順位を巡って大混乱を引き起こしている。「さすがはYOSHIKI」との声まで上がる大暴れっぷりだ。 そのランキングはCDの売り上げではなく、何とキャラクターの人気投票。サンリオが毎年行っている「サンリオキャラクター大賞2018」だ。ファンの投票によってハローキティやマイメロディなどサンリオのキャラクターの人気ランキングを決定するもので、今年で33回目となる。この畑違いのランキングでYOSHIKIは初日の結果で第4位という好成績を残しているのだ。 「キティがYOSHIKIに扮した『YOSHIKITTY』というキャラクターでマイメロディの上、4位に食い込む健闘を見せています。昨年は7位ですから、大健闘と言っていいでしょう」(芸能ライター) SNSには「YOSHIKITTY強すぎ」「やっぱYOSHIKIはすごいな」と驚きの声が
頸椎椎間孔狭窄症と医師に診断されたYOSHIKIは5月にアメリカで人工椎間板置換手術を受けた。手術を受けてから初めての帰国となった今回、彼は自身の体調や7月に予定されているX JAPANのツアーについて、自らの口でファンと報道陣に向かって思いを伝えた。 YOSHIKIがゆっくりとした足取りで会見場に姿を見せると、ファンは温かな拍手で彼を迎える。「まずは、ただいま」とひと言目に挨拶をしたYOSHIKIは「立ってちゃダメ? この椅子に座ると、非常に首が痛いです」とハイチェアに座るのをやめ、立ったままで約1時間の会見に臨んだ。 現在の体調について司会者から聞かれると、彼は「よくないです。(首が)むちゃくちゃ痛い」と正直に明かす。首の右半分の感覚がなく、誰かに絞められているような苦しさが手術後にずっと続いていると言い、YOSHIKIは「早く人工の頸椎が体になじんでくれないかな、という思いです」と語
破滅に向かう、その瞬間ごとに勤勉な人たち X JAPANの20年振りとなる日本ツアー、横浜アリーナ4デイズの最終日となる12月4日公演に出向いて感じたのは、人を惹き付け続ける、人を虜にさせ続けるのは、もう絶対に、手法ではないということ。献身的なプレイという表現はおおよそ「丁寧」というイメージで使われるけれど、彼らの場合は文字通り「身を献上する」という意味合いを持つ。首や手首の状態が芳しくないYOSHIKI(Dr,Pf)、特に手首は靭帯が半分切れている状態だという。どのタイミングで身が寸断されてもおかしくないわけだが、彼らがMCで「破滅に向かって」と繰り返していたように、後先考えない献身的なプレイが続いた。 撮影:Japan Music Agency 来年3月12日のロンドン・Wembley Arena公演の前日に、20年振りとなるスタジオアルバムの発売が決定している。その制作は「順調に」遅
26日はPERSONZ@武道館、27日はLUNATIC FEST.@幕張メッセ(1日目だけ)、28日は自家発電@四谷OUTBREAKと週末をグッタリ過ごしてまいりました。 とりあえず本日はLUNATIC FEST.の感想。 10時過ぎ、海浜幕張駅からメッセに歩いていると、不穏な行列がそこここに見えてちょっとドキドキしましたが、こっちではなく「次世代ワールドホビーフェア」の方であるとわかって安心。よく見ると行列の色が黒くなかったから。案の定黒い人たちの方に流れていくとおよそすんなり入れました。 ■LUNACY LUNA SEAの初期表記で、2011年に東京ドームでバンドの初期音源のみという縛りでの無料ライブやる際に復活した名称。通称「しーわい」。 ということで今回も当然初期縛り。曲目の個体認識できない私でも楽しいのがメンバーの髪型。前回東京ドームではウィグ等も登場しましたが、今回は RYUI
5月18日、<LUNATIC FEST.>参加アーティストとして、BUCK-TICKとともにX JAPANの参戦が明らかとなった。世界ツアーの開催をはじめ、ニュー・アルバムの噂などX JAPANの動きが活発化している。ファンには嬉しいアナウンスが続々と聞こえてくるが、同時に気になるのはメンバーの体調や身体のコンディションだったりもする。 日本を代表する世界的知名度を誇るYOSHIKIは今、何を感じ、何を考え、何を行おうとしているのか。世界規模で様変わりをみせる音楽事情とともに、X JAPANの未来はどうなるのか…、YOSHIKI本人にぶつけてみた。 取材・文:BARKS編集長 烏丸哲也 ──X JAPANの<LUNATIC FEST.>参加が発表されましたが、YOSHIKIマネージメントによると、実はルナフェスとYOSHIKIの手の手術日程が重なっていたため、手術を延期したようですが? Y
【以前、プラネッツのメルマガに掲載した「ヴィジュアル系」論です。】 本稿は私が昨年2012年の秋、世界最大の書籍見本市「フランクフルト・ブックフェア」を訪れた後に執筆した報告書である。報告書であるため、公表を目的には書かれていない。そのため、本文では昨年同フェアを訪れた大澤真幸さんの報告書を紹介している。それを読んでいないと少しわかりにくいところもあるかもしれないが、全体を通して言いたいことは最後まで読めばお分かりいただけると思う(なお、大澤さんには、今回のこのメルマガでの拙文公表の許可をいただいている)。題材はちょっとおふざけのように思われるかもしれないが、真面目に書いたものである。このたび、プラネッツ・メルマガ編集部のご厚意により、ここに公表する。 國分功一郎 フランクフルト・ブックフェア出張報告書 ──日本の人文系研究の「ヴィジュアル系」 國分功一郎 私は2012年10月10日から1
「ROCK IS DEAD」…YOSHIKIはアメリカでの音楽状況を一言でこう語った。もちろんこれはYOSHIKIの意見ではない。アメリカで語られている現在の米音楽状況を憂う悲しきキーワードだ。EDM全盛の中、X JAPANのニューアルバムの行方はどうなっているのか。それ以前に、YOSHIKIという音楽プロデューサーは、激しく様変わりを続けている現在の音楽事情をどのように見ているのか。 ◆YOSHIKI画像 音楽の多様化という発展の20世紀を経て、音楽は所有する喜びから共有する楽しみへと、急速に変貌を遂げている。音楽産業が崩壊し既存のビジネスモデルを失いつつある音楽業界だが、皮肉なことに音楽に求められるエンターテイメント性はより加速し、音楽需要はまだまだ増大する傾向にある。粗製濫造は淘汰され、いいものだけが純粋に評価される健全な市場が広がる中で、ミュージシャンが音楽で食っていくことの難しさ
2013年5月、YOSHIKIが(Dr, Piano)がひさびさの来日。ナタリーでは彼にコンタクトをとり単独インタビューを実施した。2011年の夏フェス出演以来、アルバム制作に没頭していると噂されてきたX JAPANだが、一向にアルバム完成の知らせは届かないまま。今回のインタビューでは、新作の制作状況と今後の展望について話を聞いた。 取材・文 / 大山卓也 撮影 / 上山陽介 ──ナタリーでは前回から1年半ぶりのインタビューになります。お元気でしたか? そうですね、ちょこちょこ悪いところはありますけど(笑)。 ──YOSHIKIさんの体調はファンにとっては気になるところですが、今はどんな具合ですか? 週に4回は医者に行ってますね(笑)。今は腱鞘炎がけっこうひどくて、先月は2回ブロック注射を打ちました。あとは首がちょっと痛いなっていうのと、まあいろいろ。 ──演奏に支障はないんでしょうか?
2010年05月04日 hide with spread beaver - ピンクスパイダー hide with spread beaver - ピンクスパイダー(Pink Spider)'98年1位 12年前、HIDEの死の直後にリリースされ、X-Japanも含めて唯一のミリオンセラーになったシングル。筆者はspread beaverというバンド名にまず驚いた。以前、アメリカの某バンドのメンバーに、“日本ではこういうバンド名は問題にならないのか”と訊かれたことがある。それは、メスカリン・ドライヴ(Mescaline Drive)とカナビス(Cannabis)を指していたのだが、他にもピーズ(Pees)とか、ブッダ・ブランド(Buddha Brand)とか、どうかと思うようなグループ名もあった。そういう時には、アメリカにもサークル・ジャークス(Circle Jerks)とか、A.C.(An
2010年、ロサンゼルスから始まり、オークランド・シアトル・バンクーバー・シカゴ・トロント・ニューヨークと北米を巡り、2011年にはロンドン・パリ・ユトレヒト・ベルリン・大阪・東京・サンティアゴ・サンパウロ・ブエノスアイレス・リマ・メキシコシティ・ソウル・上海・香港・台北・バンコク…と、欧州/南米/東南アジア各地のライブを敢行してきたX JAPAN。国が変われど人種が変われど、X JAPANがオーディエンスの心に鳴り響かせた音楽の神髄は、何一つぶれることなく大きな共鳴を見せてきたのは、これまで逐一お伝えしてきたとおりだ。 ◆X JAPAN画像 世界ツアー最終となったバンコクでのパフォーマンスを終えた2日後の2011年11月10日、日本に帰国してきたYOSHIKIをキャッチした。ライブ直後も現地TVの取材を複数受け、ミート&グリートをこなし、極端な睡眠不足に陥っている状況であったが、YOSH
X JAPANのライブDVD「THE LAST LIVE 完全版」がリリースされた。これは1997年12月31日に東京ドームで行われたライブの模様を完全収録した映像作品。伝説として語り継がれている解散ライブの模様を、余すところなく味わうことができる。 ナタリーではこのDVDの発売を記念し、来日中のYOSHIKI(Dr, Piano)にインタビューを敢行。2007年10月にX JAPANの再始動を果たして以降、精力的な活動を続け、先日ワールドツアーを終えたばかりの彼に、さまざまな話を訊いた。 取材・文 / 大山卓也 インタビュー撮影 / 平沼久奈 ありがとうございます。 ──体調はいかがですか? ちょっと無理しすぎたんで、これからアメリカに戻って検査入院ですね。多分大丈夫だと思うけど。 ──激しいツアーでしたからね。 2年ちょっと前に首を手術したんですけど、そのときからこの3本の指(左手の中
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