36人が亡くなった京都アニメーション放火殺人事件は25日に判決を迎える。未曽有の被害を生んだ事件はなぜ引き起こされたのか。青葉真司被告(45)と同じ、バブル経済崩壊後の超就職難時代に社会に出たロスジェネ(ロスト・ジェネレーション)世代の作家・活動家の雨宮処凛さん(48)は、被告の中に強固に巣くう「一発逆転の呪い」に事件の淵源を見るという。青葉被告の判決を前にインタビューに応えた。(共同通信=武田惇志、野澤拓矢)
理想的な能力主義が実現しても“ダークサイド”はある ──著書『実力も運のうち 能力主義は正義か?』では、私たちが暮らす民主的な社会に取り入れられてきた能力や功績(メリット)という概念が凝結し、それが社会的敬意を根っこから蝕んでいると論じています。 具体的には、能力主義によって「勝者は自分たちの成功をみずからの手柄と考え、敗者はエリートから見下されていると感じるようになった」と主張されています。能力主義社会ではどうすれば勝者になれるのでしょうか。逆に言えば、能力主義社会における敗者とはどういう状態、どういう人なのでしょうか。 重要なのは、有能という(望ましい)意味の「メリット」と、「メリトクラシー(能力主義)」を区別することです。能力主義とはルールからなるシステムであり、人が何に値するかに基づいて所得や資産、影響力を分配する手段です。 まずは、きわめて常識的で反論の余地がない有能さとしてのメ
facebookでとても面白いイラストが紹介されていました。これです。 左は「平等equality」で、右が「正義justice」です。 左の「平等」は、つまりこういうことです。「みんなに平等に一個ずつの箱じゃないか」というわけです。しかし、そんな「平等」が、ニセものの「平等」であることは明らかです。一方、右側の「正義」は、三人の箱の数が違います。そういう意味で一見「不平等」にも見えるかもしれませんが、しかしむしろこちらのほうがほんとうの「平等」です。平等とは、どの子もみんな試合を見る権利が「平等にある」ということだからです。箱の平等は、そもそもこの子たちが何を目的としているのか、とか、この子たちの権利とは何か、という根本的なことからすると、まったくどうでもいいものです。むしろここでの「箱の平等」とは、「権利の不平等」を隠蔽するために使われています。サルトルに言わせると、これは、ニセの普遍
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く