専修大学戦史研究会 @senkenHQ 軍事や安全保障、歴史、政治などを研究し、会報・他校戦史研との交流・講演会参加・自衛隊基地見学などの活動を行っております。在学生・外部学生問わずお気軽に参加可能です。 質問等はリプ、DMまで。 専大、そして全国のミリヲタよ、団結せよ! #春から専修 ※(旧)専修大学戦史研究会(@nifccacec)より移行しました。 melonbooks.co.jp/circle/index.p…
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Published 2021/08/15 07:00 (JST) Updated 2021/08/16 11:56 (JST) 太平洋戦争末期、米艦に零戦機などで突っ込み、時に〝軍神〟とあがめられたり、時に「無駄死にだった」と切り捨てられたりもした特攻作戦の悲劇。出撃前の特攻隊員には覚醒剤「ヒロポン」が与えられていた。この問題は真正面から研究された様子がないが、大阪の元中学教員の相可文代さん(71)は、勤労奉仕で覚醒剤入りのチョコレートを包む作業に従事した女学生の実体験を知ったことをきっかけに独自に調べ、このほど冊子にまとめた。 覚醒剤と知らされず服用し命を散らした若者らの悲哀と、上官や国家体制の無責任さ。志願制とは名ばかりの死への強制の中で、最後には薬物も使った特攻作戦はまさに「統率の外道」(大西滝治郎海軍中将)だ。「祖国に命をささげた美談のように語られるが、実際には覚醒剤による高揚感に
コメント一覧 (4) 1. ラムちゃん 2017年02月28日 14:40 僕も、アクションを復刊時に読んでいたのと、評判が良かったので観に行きました。正直、う〜んな出来でしたね。もちろんクラウドファンディングで制作したことは、凄いですし、純粋にアニメーションとしても良かったです。ただ、イデオロギー的な面とこの作品を観て喜んでいる人には激しく違和感を感じました。須藤さんの仰るリアルじゃないんですよ。 制作サイドの「すずさんは、絶対いる」の思いで作りましたの言に対して、あんな奴いねーが感想です。 2. ラムちゃん 2017年02月28日 14:54 長くなりますが、続きです。 僕の父方の親戚は、戦争で死んでません。一方母方は、ゴロゴロ死んでます。んなもんで、やはり父方の方は戦時中の話は結構するんですけど、母方はまずしないです。双方のリアリティの違いなんだと思います。アレで感動できる人や世代っ
事実として認めたほうがいい過去 日本軍が起こした虐殺事件で最も有名なのは南京大虐殺です。 これはいまだに議論が盛んで、どういうわけかこの話になると普段は論理的な人も冷静さを失うほどです。 中国政府が発表する犠牲者の数が年々増えたり、多分に政治利用されているフシはありますが、火のないところに煙は立たないというか、数はともかく事実として事件はあったはず。 この、事実として受け入れるということが大事で、外からみたら日本の右派的な言説があれこれイチャモンをつけてなかったことにしようとしているように見えるので、かなり心象が良くないです。 今回は日本でも忘れられがちな「日本軍の虐殺事件」を見ていきたいです。 1. ラハ飛行場虐殺事件(1942年2月) 掃海艇破壊の報復で300名以上のオーストラリア兵とオランダ兵を虐殺 蘭印攻略を進める日本軍は1942年1月からアンボン島を空襲し、2月からオーストラリア
慰安婦や慰安所の実態はどこまでわかってきたのでしょうか。1993年、当時の河野洋平官房長官は「河野談話」で、慰安所の設置、管理に旧日本軍が関与していたことを明らかにしました。警察や軍の公文書などの資料をもとに、慰安所は軍の施設として設置されたことを明らかにした永井和・京都大大学院教授ら歴史研究者に、「河野談話以降」の研究の現状について聞きました。 ■募集や渡航、軍が警察に協力を要請 慰安施設設置のため、軍の規則改定 ――研究を始めた経緯は。 「1998年に授業で慰安婦問題をめぐる歴史論争を取り上げたのがきっかけで、慰安所成立の経緯を史料に即して解明しようと考え、2000年に最初の論文を発表しました」 ――明らかになった事実は。 「日本軍の慰安所は軍が設置した軍の後方施設であることを軍や警察の公文書で実証しました。軍の組織である以上、軍は慰安婦問題に対する責任を免れないことになります。『慰安
ご無沙汰しております。公私ともに色々とございまして、なかなかに更新もままならない状況にあります。 さて、この間、近所を歩いていた時の事でございますが、「売り家」と書かれた看板のある空家*1の塀に、そっぽを向いた男の横顔の下に「まっすぐ景気回復」と書いた色褪せたポスターが貼られておりました。そうです。景気回復どころか「まっすぐ安保改正」の宰相Aのポスターだったりします。家を売りに出した人々がこのポスターをどんな気持ちで見ていたのか気になるところではありますが、選挙公約など気にも掛けない人物であることは判っていたはずなのになぁ、と思います。 それにしても、異様なまでに安全保障関連法案改正に力を入れる、宰相Aでございますが、さすがにどこを見渡しても法案に賛成、という御仁に会った事はありません。日々のニュースから窺える宰相Aら閣僚の様子も支離滅裂なものになってきております。 さて、この連中がしきり
nos @unspiritualized TLが「特攻」の話題で盛り上がっているので、関連して、ものすごく恐ろしい話をしてみます。これからする話は、歴史研究者はあまりしたことがないものです。なぜなら実現しなかったから。しかし計画はあった。日本が、軍が、何を考えていたかを示す、「特攻」の本質の話です。絶対に知っておくべき。 2014-08-03 23:24:47 nos @unspiritualized 通常「特攻」というと、陸海軍による航空機に爆薬を搭載して突っ込むことを連想するでしょう。詳しい人は、舟艇による特攻もご存知かもしれない。フィリピン戦で始まった航空機による特攻は推進者みずからに「統率の外道」と自嘲されるとおり、軍事作戦上は正道にもとるものとされていました。 2014-08-03 23:29:33
前回の記事に多数アクセス・コメントいただき有り難うございます。 しかし多くのコメントを読む限り、前回の記事で書いたことがきちんと理解されているとはいえない状況のようです。そこで今回の記事では、それらのコメントの代表的なものにお答えしていき、もう一度前回の記事の趣旨について説明するとともに、最後に現在の僕の主張について改めて説明します。 「防衛力」とは、「人を殺す武力」のことであり、そしてそれは自分たちにも牙をむく Twitter / kudoh: 「シートベルトしてれば怪我しない」という主張を仮定してシート ... 「シートベルトしてれば怪我しない」という主張を仮定してシートベルト着用義務を批判してるって感じかね? Twitter / toronei_sub: アコムしていても泥棒に入られるからといって、鍵や扉が必要では ... アコムしていても泥棒に入られるからといって、鍵や扉が必要では
追記(2012/09/19 22:05):「尖閣諸島を守るために防衛力を持とう」というリアリストが一番怖い - 斜め上から目線という記事で、この記事に寄せられた言及・コメントに返信しました Archives 43は見つかりませんでしたという記事が人気です。おそらく、尖閣諸島・魚釣島問題での、日中の緊張の高まりを受けて、話題になっているのでしょう。 この記事ではフォークランド紛争やアジア・太平洋戦争、湾岸戦争という例を出しながら、過去「攻めてなんてこないだろう」と思っていた国が攻めてきたことがいくつもあったと示し、そこから「だからきちんと防衛力を持つことによって犠牲を防がなくてはならない」ということを主張しています。 よくある、現実主義者たちの理屈です。「防衛力を持つことこそが、平和への道」という。 もちろん、これらの例示自体に反論することは可能ですし、しなくてはならないでしょう。フォークラ
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