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な:南京事件とに:日中戦争に関するdimitrygorodokのブックマーク (11)

  • 「日本国紀」読者こそ読んでほしい 「南京大虐殺はウソ」論を検証 | 毎日新聞

    記者が購入した「日国紀」単行初版と上下巻からなる文庫版。下巻の付箋は誤りが放置されていたり、記者が気付いたりした単行からの修正箇所=吉井理記撮影 やはり書いておくべきだろう。単行に続いて文庫版も売れ行き好調、作家・百田尚樹さんの「日国紀」(幻冬舎)の「南京大虐殺」否定論だ。中国による香港やウイグル族らへの弾圧が報じられる今である。自国の過去の人権じゅうりんに向き合わず、他国のそれを批判していいのだろうか。1次資料や研究者の取材に基づき、否定論を検証する。【吉井理記/デジタル報道センター】 「南京大虐殺はフィクションです」 「否定論を語る人の特徴は虐殺を記録した1次資料、つまり当時南京で事件の渦中にいた外国人の記録類はもちろん、日軍の戦闘詳報や将兵の陣中日記などを無視することです。このも相変わらずですね……」 深々とため息を漏らすのは南京事件研究の第一人者で都留文科大名誉教授、

    「日本国紀」読者こそ読んでほしい 「南京大虐殺はウソ」論を検証 | 毎日新聞
  • 紛争解決に交渉は不可欠

    この間、中東における人質事件に絡んで「テロリストとは交渉しない」「テロに屈するな」といった「勇ましい」論調が社会を賑わせ、「解放交渉すべきだ」という意見が上がると「テロに同調するのか」「テロリストに味方するのか」などと恫喝して沈黙させられるケースが散見された。国会では、某参議が反テロ決議に棄権しただけで「非国民」などと蔑まれ、殆ど戦時体制と化している。 日華事変・日中戦争が始まると、それまでは辛うじて保たれていたわずかな言論の自由も失われ、軍部批判はもちろんのこと、戦争反対や平和を訴えただけで「非国民」「支那人の手先」と呼ばれ、特高に密告されて逮捕、牢獄で拷問を受ける社会になった。それまでは共産党員と完全なシンパのみを対象にしていた治安維持法が拡大解釈されて、合法社会主義者、反戦運動家、さらには自由主義者や宗教家にまで対象を広げていった。私の祖父が、市電に乗っていて皇居の横を通過した際に遙

    紛争解決に交渉は不可欠
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2015/02/19
    本当は怖い「交渉拒否の歴史」/安倍さんの場合妥協や譲歩は即敗北という思考の様だからひたすら殴り合う事しかできなさそう。しかし不満の根を絶たないと過激派は次々新手が誕生してしまう訳でキリがない……
  • 南京事件の「皇軍」に対する当時の日本人の嘆き:考察NIPPON

    昨日のエントリーで、 『「果たしてこれが皇軍か」と嘆いたのは、確か外務省の石射猪太郎だったかな?(ちょっとうろ覚え) 』 と書きましたが、その部分が書かれた棚から探し出してきましたので、メモ代わりに引用しておきたいと思います。 今回引用するのは、 前坂俊之著「太平洋戦争と新聞」というで、以前から拙ブログ左側のおすすめののところにも掲載しているものです。 P.332~ 当時の外務省東亜局長・石射猪太郎は、1938年1月6日の日記に、 「上海から来信、南京に於ける我が軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。 嗚呼、之が皇軍か」 と記述している。 ※元資料:石射猪太郎 『外交官の一生』 中公文庫P.332~P333 (1998年) ちなみに、この外交官・石射猪太郎氏(右写真)は、盧溝橋事件では不拡大方針を強く主張して懸命に事変拡大阻止に動いた人です。 この時代の事を

  • 虐殺の開始時期について - Apeman’s diary

    今日、12月13日に南京市で75周年という節目の追悼式典が行なわれていることが日のメディアでも小さく報じられていますが、相も変わらず「時間と場所を拡げて人数を水増ししようとしている」という妄言を繰り返す人がいるので、2年前のエントリをリマインドさせていただきます。 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100824/p2 中国側でも「13日」という日付でもって記憶されているのは、事件発生当時〜東京裁判まで、南京虐殺についての認識が当時城内(の国際安全区)にいた欧米人のもたらした情報に大きく依存していたことが、大きな要因になっていると思われます。当然のことですが、城内にいた欧米人は12日までの、場外での出来事については断片的な情報しか持ち得なかったからです。他方、上記エントリでも論証したように、大規模な集団殺害の多くは13日から発生しているというのが日側研究者の見

    虐殺の開始時期について - Apeman’s diary
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2012/12/13
    ↓日本軍の戦勝ってどういう意味で言ってるの?今、小林英夫の「日本軍政下のアジア」読んでるけど無残なものでしたよ。当時の日本軍はまるで目的を達成できてなかったです。
  • 新しい南京事件のデマについてメモ - 法華狼の日記

    新しい南京事件の受容についてメモ - 法華狼の日記でとりあげた「アルファルファモザイク」のコメント欄に、少し興味深い否定論を開陳するコメント群があった。 http://alfalfalfa.com/archives/4932262.html 用いている論法の一つが、南京攻略による被害の統計をとったスマイス調査を、加害者を調べていないので日軍が虐殺した根拠にならないというもの。 1241 学名ナナシ : 2011年12月08日 23:42 スマイス調査で日軍の虐殺があったとなんでわかる? 加害者が誰だか書いてないぞ。 そもそも足して30万にならない。 1246 学名ナナシ : 2011年12月09日 19:48 スマイスの「感想」を聞いてるんじゃないんだよw 調査票に加害者が書いてないだろ。 加害者が誰だか調べてないだろアホw 1251 学名ナナシ : 2011年12月10日 15:14

    新しい南京事件のデマについてメモ - 法華狼の日記
  • 首相訪中延期 歴史の溝浮き彫りに NHKニュース

    首相訪中延期 歴史の溝浮き彫りに 12月7日 4時5分 政府は、来週予定していた野田総理大臣の中国訪問を延期したことを受けて、日程を再調整する方針です。ただ、延期の背景には、訪問が「南京事件」の日と重なるのを避けたいという中国側の意向があったのではないかとみられ、歴史問題を巡る日中両国の溝の根深さが、改めて浮き彫りになりました。 野田総理大臣は、来週12日と13日の2日間、就任後初めて中国を訪れ、胡錦涛国家主席らと会談する方向で調整していましたが、中国側から訪問を延期できないかという打診があり、日中両政府が協議した結果、訪問を延期することになりました。延期の背景について政府関係者は、12月13日が、日中戦争中に中国の南京で、日軍が市民を殺害したり、暴行や略奪を行ったりしたとされる「南京事件」から74年に当たるため、野田総理大臣の訪問がこの日と重なることで、中国国内の反日感情が高まりをみせ

    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2011/12/07
    この件は日本側の自爆(というか逆切れ)が元になってるからなぁ…非常に恥ずかしい。
  • ことさら「諸説ある」と言われることの意味 - Apeman’s diary

    今年の8月17日に asahi.com に掲載された「軍都の風景2 南京大虐殺」という記事には南京大虐殺についての用語解説がついているのだが、驚くべきことにその大半は犠牲者数をめぐる“論争”についての記述に費やされている。 南京事件(南京大虐殺) 1937年12月、旧日軍が南京で捕虜や市民の殺害、略奪に及んだとされる事件中国側は、戦後の「南京軍事法廷」の判決などをもとに「犠牲者は30万人」と主張。日の研究者の間では「約4万〜20万人」の説が多数だが、「虐殺はない」との意見も。外務省は「殺害や略奪は否定できないが、被害者数の認定は困難」との公式見解を出している。 書き手の意図がどうであれ、結果としてこうした記述は「犠牲者数が不明で、諸説ある」ことこそが南京事件に関して特筆すべきことである、と主張していることになる。例えば国際法の歴史という観点から言えば、事件当時外務大臣であった廣田弘毅

    ことさら「諸説ある」と言われることの意味 - Apeman’s diary
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2011/11/17
    "虐殺数をドンドン水増ししまくってる"と仰る方もいるけれどどうやったら一度で数を確定できるか教えてほしいものだ/今年の地震でも犠牲者数はドンドン増えていったがこれも水増しかな?
  • 「南京!南京!」レビュー - 誰かの妄想・はてなブログ版

    8月21日、中野で1日だけ上映された「南京!南京!」を見てきました。 500人くらい入る小さなホールで、2回上映され、1回目の上映の後、陸川監督も参加するシンポジウムがありました。日酒好きだそうです。中国で新作を作成中に、この上映会のためだけに来日して、シンポ後すぐに羽田に向ったそうです。ちなみに「学生かよ」と思うくらい、めっちゃラフな格好で来てました。 史実との相違 捕虜を機関銃で虐殺したり、あちこちで斬首してたりとか、描かれた事件として特に史実と異なるものは見当たりませんでした。南京陥落直前に南京から逃げようとする中国軍兵士と門を守る中国軍兵士との衝突についてもリアルに描いています*1。 また、市街戦で抵抗する中国軍部隊(ちゃんと制服を着ているので便衣兵ではありませんよ)と日軍部隊の戦闘が中々にリアルですが、中国軍の陸剣熊隊長(リウ・イエ 劉菀)がかっこよすぎ。 戦闘終了後、難民か

    「南京!南京!」レビュー - 誰かの妄想・はてなブログ版
  • asahi.com:【戦争と詩人】3 南京-マイタウン三重

    ◆残虐行為 見聞をつづる◆ 2冊の従軍手帳がある。 手のひら大の黒革の表紙。錦米次郎が、癖のある豆粒のような字をびっしりと書き込んでいる。1939年分は合計98ページ、約6千行に及ぶ。 南京事件後の39年の元日、「南京で思い出し難いのは難民共のことだ」と記している。その後の4行は黒塗りされ、三重大教授の尾西康充(44)は「帰国の際、憲兵の検閲を受けて削除された」とみる。 黒塗りの後はこう続く。「世界大戦の時、巴里(ぱり)には処女は一人もいないとで読んだことがあるが、自分らのいた南京もそういえないことはない」「自分は正月を迎えるごとに南京を思い出すだろう。それほど南京の街町は自分の脳裏に焼き付けている」 南京攻略戦は、錦が所属した陸軍16師団などが中心となった。16師団長は南京警備司令官として「峻烈(しゅんれつ)な残敵掃討」を命じた。 錦の軍隊手帳では「37年12月2日から12

  • Gazing at the Celestial Blue 日中歴史共同研究第4回全体会合終了、その後

    このブログでも取り上げたことがあったはずと思って探すと、なんと約1年前の2008/01/06だったのだが「日中歴史共同研究」なる活動が政府主導で行われていた。その2008年1月のエントリでは「日中歴史共同研究(概要)」や会合の概要などの外務省内のコンテンツへのリンクも貼っている。 この日中歴史共同研究は、2006年10月に安倍晋三首相(当時)と胡錦濤国家主席の日中首脳会談で合意したもので同年12月に開始したのだそうだ。「古代・中近世史」「近現代史」の2分科会を設置して討議してきており、とりあえずの最終となる第4回全体会合が2009年12月24日に開かれて1ヶ月以内に報告書を公表するといった内容が、23日頃から一斉に各マスコミが報じていた。 その報道タイトルが、 「日中、来年も歴史研究継続へ 南京事件など隔たり」日経ネット(23日 07:00付) 「歴史共同研究を継続へ=日中、南京事件など隔

  • 中華人民共和国政府は反人権的だ。だから、南京事件が焦点化される。 - bat99のブログ

    アジア太平洋戦争での日が犯した戦争犯罪で、もっとも有名なのが南京事件(南京大虐殺)だろう。私自身は戦争犯罪よりはそれに対する戦犯裁判に関心があることと、ネット上でもかなりの資料や考察の蓄積があることから積極的には関わってこなかった。さらに殊更南京事件には興味がないと言いつつ言及する人たちの動機に不審があるのも関わろうと思えない理由の一つだ。 実際、前に書いたように実質的には中国政府に対する反感や蔑視感情を南京事件への疑問と称して表明しているとしか思えないコメントも良く見かける。 id:CloseToTheWallさんが端的に表現されているように 彼らは疑っている、というよりは中国の言うことだからウソ、誇張が混じっているのは当然だろうという、彼らのうちでは至極「常識的」な判断をほとんど脊髄反射のように行っているに過ぎないのではないかと思うからだ。 「でも、30万はウソなんでしょ?」とか「3

    中華人民共和国政府は反人権的だ。だから、南京事件が焦点化される。 - bat99のブログ
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