(このエントリは後から2箇所、訂正を行いました。) 先月、BShiで放送された番組『白球 選手たちは海を渡った』。 やっと録画しといたものを全部見ることができた。(すぐ書く予定が伸び伸びになっていました(^^; この番組は1940年代から1960年代にボールを追いかけた在日コリアンの野球選手にかなり焦点があてられており、植民地支配や朝鮮戦争による南北分断といった政治状況に翻弄されながらも「野球に生きた」在日コリアン1世2世を中心にインタビューを行っている。 日本で野球を学んだ彼らは韓国野球の歴史をつくっていくわけだが、在日コリアンといっても年代や世代によって、じつに多様であるので一括りにして語ることにならないよう、以下なるべく番組内の証言に依拠したかたちで、その多様な在日コリアンを紹介していきます。 金 星根(キム・ソングン)*1 1942年、京都生まれ。日本人のなかで育った在日コリアン2
……「マイク・ホンダ語る」と新聞に載っていたので胸を躍らせ不安半分*1で録画したら……たまたまイベントで見かけて参向したインタビューを番組最後近くに五分間だけって……落胆を通りこして笑ってしまった。検索してみるとネットの番組表でも「マイク・ホンダ語る」という内容紹介がされている様子。半分本気でJAROに電話したくなった。準備したものではなかったためか、質問や回答に目新しい視点がない。 幸いにも、番組全体は興味深い内容だったが。 番組の主要な視点は、境界線上にいたがため、日本人米国人の双方から敵視され、距離を取られてきた日系人の歴史。 登場する日系人の多くが米国への忠誠を口にする。世代を経たことはもちろん、移民国家の米国には他民族を受け入れやすい社会機構があったのだろうし、米国社会に溶け込むための同調圧力もあっただろう。ホンダ議員は日本文化への愛と米国への忠誠を語り、両方が自己を形成しており
下記のobiekt_JP氏はid:JSF氏のこと。 @obiekt_JP氏「私は韓国の達人だ」とのツイートが差別侮辱以前に不適当と批判される。 - Togetter*1 私は既に達韓。RT @kyokusen: @kuratan 嫌韓〜楽観〜呆韓〜達韓 のクラスチェンジ流れでしたっけか? obiekt_JP 2010-08-19 07:24:44 呆韓とか達韓というと一見、オトナな風(シャレた韻も踏んでるしね)だが各人・各組織の行動の評価を国や民族に拡大解釈してる段階で実は錯誤しており、その錯誤を得意げにひけらかされても馬鹿な人たちだなぁとしか思えない。本人たちはカッコつけてるつもりなのが余計に滑稽。 ChihiroShiiji 2010-08-19 11:24:19 頭の悪い嫌韓はウザ過ぎる。ああ、言っておくが私はハングル板の元古参なので、そっち系の知識はニワカの比じゃ無い。だから調子に
関東大震災時の朝鮮人虐殺について、国会ではどのような議論がなされてきたかを調べていてたまたま発見。1990年(平成02年)06月01日参議院内閣委員会での発言。 ○吉岡吉典君 官房長官出席の委員会ですので、今話題になっております朝鮮人強制連行問題について最初に少しお尋ねしておきたいと思います。 まず最初に、次の三点についてお答えを願いたいと思います。それは、強制連行問題の調査ではこれまでこれに関連することで政府は調査なさってきたことがあるのかどうか、これが第一点です。第二点は、名簿はともあれ、強制連行した朝鮮人の人数の概数ぐらいは現在わかっているかどうかということです。三番目の問題は、この調査というのは、名簿づくりだけなのか、それとも朝鮮人の強制連行の非常にひどいやり方、また連行されてきた在日朝鮮人がいかに大変な苦難を強いられたか、こういうことをも含めて調査なさるのかどうなのか。以上三点、
おはようございます。伊東です。 感想…になっていればいいのですが。 >「基地を負担していただいて感謝申しあげます」 >「いやあ、今まで殴ったりけったりさせてくれてありがとう。これからもまた殴らせてくれよな。よろしく!」 前者の部分で…。 今はじめて聞きましたが、はははははは、冗談だろ菅さん。 「どっきりカメラ」でも使えない一言ですね。 たたかれる人は菅さん自らしてくださいね。 後者の部分で。 なんかこの先この言葉が似合いそうなこと次々しそうで恐ろしいです。 長期政権したいとか言っていますが、さっさとぼん出して、長期にわたってとんでもない事しようとした元首相としてとして語り継ぐのが一番です。 お邪魔しました。
日本が1932年に中国東北部に建てた「満州国」で、最高学府として設立された「満州建国大学」(建大)の全体同窓会が8日の開催を最後に幕を閉じる。卒業生の高齢化が理由。日本、中国、朝鮮、モンゴル、白系ロシアの5民族の融和という理想と、日本による実質上の統治という実態。その矛盾を卒業生たちは戦後も背負わされ、シベリア抑留や政府による弾圧などの過酷な日々を生きてきた。 5月12日、東京・新橋のビルの一室に卒業生約10人が集まった。みな80歳以上。藤森孝一・同窓会長(89)は最後の同窓会について「建大の名に恥じぬよう、つつがなく終わらせたい」と語った。 建大は38年、満州国のエリート養成を目的として首都・新京(現在の中国吉林省・長春)に設立。藤森さんは2期生。 学生は各民族が交じった「塾」と呼ばれる二十数人の寮で約6年間、共同生活を送った。発言の自由が保障された夜の「座談会」では、中国人や朝鮮
FC2からLivedoorに移転し半年くらい(2009年9月30日~2010年4月2日)やってた旧はちま起稿です。当時浪人1年目でした。(その後合格したけど大学行かずに上京してます) その後ちょっとした事情があってLivedoor内でサイト移転してます。 当時を思い出す自分用のアーカイブとして鍵かけてます。ごめん。
わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の際に起こった朝鮮人虐殺事件(間違われて殺害されたなかには中国人、日本人もいました)に関するトンデモ本が発売されたようですね。 次なるターゲットは関東大震災時の朝鮮人虐殺? - Apeman’s diary daily report from mt.olive 以前に買った「http://www.shogakukan.co.jp/nrekishi/」シリーズの14巻『「いのち」と帝国日本(著)小松裕』に、日本映画の巨匠の1人、黒澤明氏が自伝書『蝦蟇の油 ― 自伝のようなもの』のなかで関東大震災後に、自警団に駆り出されたことを回想している記述が紹介されていたことを思い出したので文字起こししてみました。 黒澤明と威錫憲 当時一四歳であった黒澤明少年の父は、長いひげをはやしているというだけで、朝鮮人に間違われ、長い棒を持った人たちに取り囲まれたという。
先日も紹介したけれど、id:k3alt さんのブログがとても興味深い。内容もそうだし、形は違うけれどもわたしもアイデンティティが自明でない状況で生きてきたので、いろいろ感じることがある。で、今回はエントリ「日本人って何だろう」にコメント。 僕個人の考えとしては、在日はみな朝鮮系、韓国系日本人となるべきだと思う。抵抗を示す在日コリアンもいるだろうが、民族と国籍の同一視を止めればいい。それは日本社会にも言えることだ。日本人と言えば民族的にも国籍的にも日本人であると言うニュアンスや捉え方は改めるべきで、国籍が日本人でも民族が違う○○系日本人という存在を許容する必要がある。許容するってのは、○○系ってだけで差別しないことだ。 そうなるためには帰化条件を大幅に緩和するか、出生地主義を取り入れるのがいい。特永所持者は帰化を届出制にしてもいいんじゃないかな。日本が乗っ取られる!とか言っちゃってる人、大丈
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