戦後60年の節目の年に当たって、第2次世界大戦、特に日本にとっては、アジア太平洋戦争の戦禍について、基本的な数字のグラフ化を図った。すなわち東京新聞の記事に基づき、アジア太平洋地域における各国の戦争犠牲者数(各国政府発表の数字、一部推計)と各地域における日本の戦没者数を取り上げた。(欧米を含めた第2次世界大戦の各国戦没者数は図録5227参照) 何といっても、中国の戦争犠牲者数が1000万人以上と大きい。日本の戦争犠牲者数も、中国は、中国本土46.6万人、中国東北部(旧満州)が24.5万人、合計約71万人と最も多く、フィリピンの51.8万人を上回っているが、中国人の犠牲者数には遠く及ばない。 各国の戦争犠牲者は、中国に次いで、インドネシアの400万人、ベトナムの200万人、インドの150万人、フィリピンの111万人と多くなっている。これに韓国・北朝鮮、ミャンマー、シンガポール・マレーシア、オ
〈問い〉 青年との対話で「数千万人が太平洋戦争で死んだというのはウソ」といわれました。ネット上でもそんな書き込みがあります。犠牲者はどれくらい? それは何にもとづいているか? を教えてください。(長野・一読者) 〈答え〉 1945年8月15日、天皇制政府は、ポツダム宣言を受諾して連合国に降伏しました。15年にわたる戦争は日本人の軍人軍属などの戦死230万人、民間人の国外での死亡30万人、国内での空襲等による死者50万人以上、合計310万人以上(63年の厚生省発表)の犠牲をもたらしました。 戦後、日本政府は、一貫して、侵略戦争と認めることを拒否し、犠牲者数をなるべく過小に計算する見地で資料を作成し、戦争の惨害の本格的な資料を作成してきませんでした。前記の厚生省資料も、太平洋戦全国戦災都市空爆犠牲者慰霊協会の調査によって推計したものです。 日本の侵略戦争は、アジア・太平洋各国に2000万人以上
ダウンタウン・松本人志(58)が20日、フジテレビ「ワイドナショー」(日曜前10・00)に出演。ロシアのウクライナ侵攻をめぐり、ウクライナのゼレンスキー大統領が各国議会で演説していることについて言及した。 【写真】ウクライナのゼレンスキー大統領 ゼレンスキー氏は16日の米国議会でオンライン演説に臨み「1941年の真珠湾攻撃を思い出してほしい。空が戦闘機で黒くなった。2001年の米中枢同時テロを思い出してほしい。空からの攻撃で街が戦場と化し、罪のない人々が攻撃を受けた。同じ状況がウクライナでは毎日起きている」と述べて、さらなる支援を求めた。 この演説について、松本は「真珠湾攻撃を出してきたのは引っかかる。日本人としては受け入れがたいところがある」と述べた。第2次世界大戦で日本が米国に対して仕掛けた奇襲作戦だったが「奇襲攻撃だったのは間違いないけど、民間人を巻き込んだわけではない。今回のケース
Published 2021/08/15 07:00 (JST) Updated 2021/08/16 11:56 (JST) 太平洋戦争末期、米艦に零戦機などで突っ込み、時に〝軍神〟とあがめられたり、時に「無駄死にだった」と切り捨てられたりもした特攻作戦の悲劇。出撃前の特攻隊員には覚醒剤「ヒロポン」が与えられていた。この問題は真正面から研究された様子がないが、大阪の元中学教員の相可文代さん(71)は、勤労奉仕で覚醒剤入りのチョコレートを包む作業に従事した女学生の実体験を知ったことをきっかけに独自に調べ、このほど冊子にまとめた。 覚醒剤と知らされず服用し命を散らした若者らの悲哀と、上官や国家体制の無責任さ。志願制とは名ばかりの死への強制の中で、最後には薬物も使った特攻作戦はまさに「統率の外道」(大西滝治郎海軍中将)だ。「祖国に命をささげた美談のように語られるが、実際には覚醒剤による高揚感に
1939年、旧日本軍が旧ソ連・モンゴル軍と戦って敗れた国境紛争「ノモンハン事件」で、戦地を無断撤退した責任を問われ自決に追い込まれた旧陸軍の指揮官が、「戦病死」として処理されていたことが、遺族が開示請求した公文書で分かった。軍上層部が虚偽の報告をしたとみられ、遺族は「敗戦の責任を押しつけた上に事実を隠蔽[いんぺい]した」と疑念を深めている。 指揮官は兵庫県出身の井置栄一騎兵中佐(享年45)。熊本で編成された第23師団の捜索隊長として、激戦地の一つ「フイ高地」の現地部隊を指揮した。旧防衛庁が編さんした公刊戦史「戦史叢[そう]書 関東軍1」(69年)は、敵軍の猛攻により壊滅的な状況に陥る中で「独断守地を撤した」責任を取り、「自決の道を選んだ」と記述。自決は日ソが停戦協定を結んだ39年9月15日の2日後とされる。中佐は上層部から自決を勧告されたともいわれる。 遺族には翌月、陸軍から中佐の死を知ら
先の大戦時の嫌な話の一つに、犬猫の供出というのがある。 例によって記録がほとんど残っていない(恐らく敗戦時に廃棄された)ため事件の全体像がはっきりしないのだが、時系列を辿ってみると次のようになる。 日中戦争時からあった予兆 1942年夏の悲劇 犬猫供出の本格化 犬猫の撲殺をさせられた少年 毛皮は有効に利用されたのか? 日中戦争時からあった予兆 まず、この事件の予兆を示すような出来事として、1940(昭和15)年2月、帝国議会で次のようなやりとりが行われている[1]。 北委員 もう一点、これは軍に直接関係のあるものでありますから、陸軍大臣に伺っておきます。(略)今日ご承知のごとく皮が足らなくて困っている、食う物がなくて困っている。こういう際に犬猫を撲殺することに陸軍が努力したらどうか。非常時であるから統制を強化しなければならぬと、口先では各閣僚共言っておられるけれども、実行的には何もやってお
→紀伊國屋ウェブストアで購入 「本書は当初、日本人読者向けの出版物として企画され」たが、1993年に英語の原文がフィリピンで出版されたままになっていた。その「序」で、編者のレナト・コンスタンティーノは、つぎのように述べている。「日本人はこの間の年月、他国を占領した自国の軍隊が犯した残虐行為と罪について知ることを故意に妨げられており、かかる歴史の意図的な歪曲ゆえに、先の戦争においては侵略者ではなく犠牲者であったという考え方が再び広まっているという点で、本書の物語は日本人が自分たちの過去と向き合うのに役立つであろう」。 そのために「執筆者四人は、日本人占領者と直接に触れ合った体験をもつ人々が何を感じたのかを後世のために残そうと、共通の努力をした。その記述は年齢や職業、地域を網羅している」。「ここに収められた四論文は全て、公的史料では決して伝達できない暖かい人間性にまつわるフィリピン史の重要な一
TrinityNYC @TrinityNYC 【映画】 今日、『アンブロークン』観てきたよ。感想は・・・Surprisingly NOT BAD! 日本で言われてるような「反日」映画でもなんでもなかったし、ひとりの兵士が逆境でも負けない不屈の精神を称える、よくある戦争ヒーローもの、というカテゴリーでした。 2014-12-29 07:20:41 TrinityNYC @TrinityNYC (続き) ネットではいろいろ凄いこと言われてたから、どんだけ凄惨な拷問シーンが続くのかと構えていたんだけど、拍子抜け。あの程度ならハリウッド映画ならフツーだ。スティーブ・マックィーンが主演した永遠の名作『パピヨン』をちょっと思い出した。本作はパピヨンのような名作とは言えないが。 2014-12-29 07:24:34 TrinityNYC @TrinityNYC (続き2)『Unbroken』は、日本人
『文芸春秋 1995/05』 ドレスデンと東京 松尾文夫 とにかく仕事でたびだび訪れる米国である。一九六〇年代後半と八〇年代初めには、ワシントン、ニューヨークの特派員として二度も勤務した。しかし、二月中旬、この第二の故郷といってもいい二つの街を回った旅では、日本が米国と戦争し、敗れたのだという過去をいつになく身近に感じた。ことしが敗戦五十周年だからだけではない。同じような節目の年を迎えているドイツの方が米国との間にずっと安定した関係を築き上げているのではないか、それに比べて日本と米国は、政治、経済、社会のすべての分野でこれだけ切っても切れない関係となりながら、依然として五十年前の傷跡を十分に修復していないのではないか─こんな自問自答をかかえることになったからである。 きっかけは二月十三日朝、ワシントンのホテルの部屋で見たテレビだった。前夜、ドイツ東部のドレスデン市で行われた無差別爆撃五十周
安倍政権の外交政策をテーマにした、歴代の駐日アメリカ大使らによるシンポジウムが、3日、ワシントンで開かれ、安倍政権の閣僚らによる靖国神社参拝や従軍慰安婦問題などについて活発な議論が交わされました。 このシンポジウムは、日米の間の交流事業を行っている財団が連邦議会内で開いたもので、ブッシュ前大統領の下で駐日大使を務めたシーファー氏や、クリントン政権時に大使だったモンデール氏などが参加しました。 この中でシーファー氏は、安倍政権の閣僚が靖国神社に参拝したことに中国や韓国が反発していることについて、「旧日本軍によって被害を受けた人々は違った見方をしているが、国のために命をささげた人々に哀悼の意を表そうという気持ちは理解できる」と述べました。 その一方で、シーファー氏は従軍慰安婦問題について、「正当化できる理由はない」と述べたうえで、政府の謝罪と反省を示した平成5年の河野官房長官談話を見直すべきだ
【エディターズEye】「東京都平和祈念館」の亡霊 それこそ冷戦の「亡霊」のようなコラムですが。 東京都は「犠牲者を悼み、戦争体験を継承する」という目的で平和祈念館の建設計画を進めていた。ところがその展示は、日本が侵略したから「軍事都市・東京」が空襲を受けた−という空襲容認論に立っていた。 なにぶん展示計画を見ていないので推測に頼ることになりますが、「日本が侵略したから「軍事都市・東京」が空襲を受けた」は東京大空襲に至る経緯の説明であって、東京大空襲を「容認」するかどうかはまた別の問題です。まあ右派にとっては「日本が侵略した」という記述そのものがもう受け容れられないわけで、それ以外の理屈はどうでもいいのかもしれません。しかしネットで観察する限り、右派は他者のパースペクティヴを受け容れることと理解することを混同する(その結果、他者のパースペクティヴを理解することすら拒絶する)ことが少なくないの
記事の概要 一昨年11月のオバマ米大統領の初来日に先立ち、外務省の藪中三十二次官(当時)が米政府に対し、大統領が広島を訪れるのは「時期尚早だ」と伝えていたことが分かった。 内部告発サイト「ウィキリークス」が8月末に大量公開した米機密公電に実名入りで書かれていた。 公電は、2009年8月28日に行われたルース駐日米大使と藪中氏の会談内容に関するもので、在日米大使館が作成した。 オバマ氏が同年4月、「核兵器のない世界」を目指すと表明したため、米大統領として初めて被爆地を訪問するかどうかが注目されていた。 公電によると、藪中氏は「大騒ぎしない形での簡素な訪問」なら象徴的な意義があるとも述べていた。 オバマ氏は被爆地訪問に前向きとされるが、大統領就任後2回の来日時に訪問は実現していない。 コメント 今は反核は反体制のシンボル的な政治運動ではない。 イラク戦争でアメリカが勝てない戦争であることがわか
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