立憲民主党の枝野幸男前代表は、昨年10月31日に投開票された衆院選の大勢判明後、宿舎に戻る車中で深いため息をついた。辻元清美氏ら多数の現職が落選し、重鎮の小沢一郎氏、中村喜四郎氏らが小選挙区で敗北。想像を超える逆風だった。 翌日、枝野氏は議員会館の自室にこもった。「参院選まで耐えてくれ」「幹事長と同時に辞められたら、党が壊れる」。慰留の電話が相次いだが、「一晩考えます」と答え、側近には「迷惑をかけるが、代表選の準備を始めてほしい」と伝えた。 衆院選を前に菅義偉前首相が退陣し、岸田文雄首相が誕生していた。枝野氏は「自民は党の顔を代えただけ。有権者は分かってくれる」と考えていた。2010年夏、旧民主党政権が政権浮揚を狙い、鳩山由紀夫氏から菅直人氏に首相を交代させた直後の参院選で、議席を大幅に減らした経験が念頭にあった。
自衛隊をなくしたら国防はどうなる? 共産党のジャーナリズム 改憲はほんとうに必要ないのか 衆院選挙を控え、野党共闘のあり方が注目される中、野党は若者政策についてどのように考えているのでしょうか。共産党は、格差の解消だけでなく気候変動対策やジェンダー平等にも積極的な一方、「共産主義」を警戒する人が少なくありません。共産党が掲げる「共産主義」とはいったい何のか? 本当に怖くないのか? 志位和夫(しい・かずお)委員長にYouTubeたかまつななチャンネルで聞きました。 共産党の理念とは ――まず日本共産党は、どういうことを理念にした党ですか? 社会主義、共産主義が理念です。今、世界的にも貧富の格差がひどいじゃないですか。気候変動も大変な危機になっていますよね。お金儲け第一、利潤第一では立ち行かなくなっている。この社会を乗り越えて人類はもっと先に進むことができる。社会主義、共産主義といっても、潰れ
「立憲民主党を支持できるかというと、今はちょっとできないというのが正直なところです」。正直な疑問を枝野幸男さんにぶつけるたかまつななさん 昨年、旧立憲民主党と旧国民民主党が合流して、新党「立憲民主党」が誕生しました。その代表を務めるのが枝野幸男さんです。菅政権の支持率が低迷する中で、最大野党である立憲民主党に期待がかかる局面を迎えています。しかし十分にその存在感を示せているとは思えません。それはいったいなぜなのか。政権交代を本気で目指しているのか。笑下村塾たかまつななさんが枝野代表に直接疑問をぶつけました。 【写真】枝野氏、党首握手を一時拒否「戦う相手に…」 その時、小池百合子氏は 期待値が高すぎて失敗した――最近の自民党の政治はひどいと感じます。かと言って立憲民主党を支持できるかというと、今はちょっとできないというのが正直なところです。個人的にはきょう枝野さんとお話しして選挙で立憲民主党
国会閉会中でもあり、また、与党政局に動きがない(ように見える)こともあり、主要新聞のみならず普段は与党政局でさえ取り上げないテレビメディアまでもが、立憲民主党と国民民主党の合流協議のあれこれを報じ続けている。愚にもつかない野党政局を書くほかないほどメディアも暇だったのだろう。そのおかげで、またぞろ「憲法改正」への取り組みが旧民主党勢力離合集散の一つの軸になっている……いや、国民民主党の玉木雄一郎氏が立憲民主への合流を拒否する理由として「憲法改正」を挙げている様子が明るみになった*。 〈*月刊日本向けに本稿を執筆していた7月末から8月初旬にかけて玉木氏は「憲法改正」および後述するように「消費税減税」を「立憲側に呑んでもらいたい条件」として挙げていた。しかし8月19日に行われた、国民民主党両院議員総会をうけての記者会見で玉木氏は、不思議なことに「改革中道という言葉が綱領にない」ことを、条件とし
れいわ新選組は7月16日に総会を開き、大西氏の除籍を決めた。 山本太郎代表は「許されません」「言葉の暴力によって身の危険を感じた皆様に心よりお詫びを申し上げます」と謝罪した。 一方、大西氏は、総会で「謝罪を撤回する」と、改めて発言を肯定する態度を明らかにした。 重度障害者2人を国会に送り、「人は生きているだけで価値がある」と優生思想に抗う政策を打ち出してきたはずのれいわ新選組はどこに向かうのか。 大西氏の「命の選別」発言問題とは?まず問題となった大西発言を振り返ってみよう。 大西氏は7月3日に自身のYouTubeの動画チャンネルで、「『正しさ依存症』とそれを生み出す教育について」という動画配信を実施した。 その中で、「どこまで高齢者を長生きさせるのかというのは真剣に考える必要がありますよ」と語り始め、高齢化が進むと医療費や介護費が多くかかり、「若者たちの時間の使い方の問題になってきます」と
民主党執行部は、消費増税に反対した小沢派を実質的に追放した。 少なくとも、欧米の民主主義国の民主的政党では、一つの法案に反対票を投じた一派を丸ごと除名にするようなことはあり得ない。 日本のデモクラシーや政党政治の未熟性を示したものと言える。 だが、日本は議会が開設されて120年、男子普通選挙法が施行されて90年が経とうとしているだけに、ただ「未熟」で済ますには問題がある。 1940年3月7日の衆議院本会議では、民政党の代議士である齋藤隆夫を除名処分にする採決が行われた。 その理由は、同年2月2日の本会議で齋藤が行った、いわゆる「反軍演説」に対する懲罰であった。 今でこそ「反軍演説」などと聞くと、「どんだけ?」と思うだろうが、実際にその議事録を読んでみると、ごく普通の、当然の質問であって、反軍的内容など指摘する方が難しい。 要は、「国は支那事変をどう解決するつもりなのか」「東亜新秩序とは具体
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く