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humanとcareerとstoryに関するjune29のブックマーク (6)

  • シリコンバレーに辿り着いたソフトウェアエンジニアが直面したキャリアの分岐点と、その選択で大事にした指針たち - GeekOutコラム

    インターネットの上ではhmskと名乗っている者です。現在はアメリカはサンフランシスコにあるIndiegogoという会社で、同名のクラウドファンディングプラットフォームサービスに関するソフトウェア開発に従事しています。 Indiegogo: Crowdfund Innovations & Buy Unique Products 私が初めてアメリカを訪れたのは、2009年。大学4年生のときでした。その後、特に留学や出張の機会、海外志向があったわけでもなかったのですが、キャリアの分岐点で進む方角を何となく選んでいるうちに、今の場所に辿り着いていました。 サンフランシスコ、ひいてはシリコンバレーでのソフトウェア開発の仕事と聞くと、今ならとても高い給料や家賃が話題の中心になるかもしれません。初めて私が訪れた当時は、AppleGoogle、Dropbox、GitHubといった会社が集まるこのエリアは

    シリコンバレーに辿り着いたソフトウェアエンジニアが直面したキャリアの分岐点と、その選択で大事にした指針たち - GeekOutコラム
    june29
    june29 2018/02/08
    ケンゴらしさがあふれていて、ニコニコしながら読んでしまった…!
  • 「たったひとつの教訓」という話をしました - 人間とウェブの未来

    社内での新卒研修を中心になってやってくれている okkunの提案で、キャリア・キーノートという取り組みを行っており、その中でWebオペレーション研修の記念講演ということで、恐縮にも自身のキャリアキーノートについて発表する機会を頂けたのでお話してきました。 研究の内容については、 okkun の以下の記事が参考になるかと思います。 blog.hifumi.info 技術者・研究者という立場から自分の人生を振り返ったような内容になり、これまでの自身の苦悩や絶望、そこからのブレイクスルーなどを振り返り話す事ができる良い機会となりました。 僕が技術者・研究者としてこれまでやってきて得た教訓を、教訓が得られたエピソードと共にまとめました。 話している中で色々な事を思い出し、あの時の葛藤や苦悩、さらには絶望した時の感情が沢山沸き上がってきましたが、それでも今自分はこうやって楽しく技術を学べている事に

    「たったひとつの教訓」という話をしました - 人間とウェブの未来
    june29
    june29 2015/07/29
    これすごくよかった。聴けてよかったです。社内でいい話を聴けて便利!!!
  • ゲームばかりして少年時代を過ごしていたら、ゲームで飯が食えるようになったある男の話 - つきあたりを右に

    新年あけましておめでとうございます 名よりもHNの方がGoogleで返す情報量の多いVoQnです。 昨年末に、「ある少年に、ゲームをする時間よりも有意義な時間の過ごし方があると諭した」という記事が賛否問わず話題となりました。 DSの中でキャラクターが強くなって、それで?君は何を得たの?答えはゼロ、なんにも得ていない。仕事を頑張ったらお金がもらえるけど、それもない。勉強でもスポーツでもないので、一つでも漢字を覚える(つまりもっといろんなが読めるようになるってことだ)、計算ができるようになる、サッカーがうまくなる、もちろんどれもない。ゼロ。君の未来の何にもつながっていないんだ。なるほど、それはわかるんだね。 ということは君がDSに使っている時間はすべてゴミだということだ。ほら、床に落ちてるホコリとかゴミがあるだろ。これと同じ。全てゴミとして君は時間を捨てている。もちろんね、生きていて無駄な

    ゲームばかりして少年時代を過ごしていたら、ゲームで飯が食えるようになったある男の話 - つきあたりを右に
    june29
    june29 2014/01/04
    「それは活きるのか」じゃなくて「それを活かすには」という視点を持とう、というお話。よかった。
  • あたま うじお - komagataのブログ

    @ko8「@komagataさん、ちょっと確認したいんですけど、僕って8月末までプログラミングを勉強して9月から就職活動する・・・んでいいんですよね?」 @komagata「え?そうなんじゃないの?」 @ko8「ちょっと迷ってて。7月末に前に話してた友達が日に帰ってくるんですけど。」 @komagata「あの、一緒に起業するって言ってたのに裏切って就職するっていって香港に行ったというあの?」 @ko8「いや裏切ってないっすよ。良いヤツですよ。そいつが7月末に帰ってくるのでまた一緒に起業しようって。」 @komagata「え?香港で就職はどうなったの?」 @ko8「そいつは香港の会社でインターンしてたんですけど、就職したら日の部署に配属になるからそれだったら嫌だって話になって。」 @komagata「へえ。それで起業って何するの?」 @ko8「前から考えてたんですけど、ニートとか引きこも

    june29
    june29 2013/07/24
    ガクガクと動いているアイコンのすぐ下に「あたま うじお」って書いてあってキャプションっぽい (いい話でした)
  • 自分の稼ぎで食っている:プログラマで、生きている:エンジニアライフ

    ◆ はじめにおことわり ◆ 今回のテーマは「わたしがプログラマという職業を選んだ理由」で、実は1行で書こうと思えば書けるんですけど、それだとかなり意味不明になってしまって、ちゃんとわかるように書こうとするとやたら長くなります。 自分で言うのもなんですけど、わたしはちょっとレアな人なので普通な人(←表現がおかしい気もするけど、適切な表現が思いつきません)に読んでいただいても、進路選択の参考にはならないと思いますが、もしかしたら、昔のわたしと似たような問題にぶちあたってる人の目に留まるかもしれません。そんな偶然が存在して、なおかつ、この出会いがほんの少しでもよい方向に作用することを期待して、この文章を書きました。 少々、重いお話になるので、そういうのが苦手な方はここで引き返すことをおすすめします。せっかくきてくださったのに、申し訳ありません。 ◆ 10才のわたしは20才の自分に絶望していた ◆

    自分の稼ぎで食っている:プログラマで、生きている:エンジニアライフ
    june29
    june29 2012/01/13
    泣きそうになりました。
  • 自己紹介と過去の話 - すぎゃーんメモ

    新卒準備カレンダー 2011春に何か書くにあたって、まずは軽く自己紹介的な挨拶を書こう…と思ったら予想外に長い自分語りになってしまったので別途書き出しておく。 社会人になるまでの歩み 1982年12月生まれ、24歳までを地元仙台で過ごし、大学院修了とともに2007年4月に上京&就職。 学部生時代はひたすら部活動の卓球に、それ以降は趣味一人旅に没頭するという青春時代を送っていた。当時はリーマンショック前でまだ「就職活動ヤバい!」というほどでもなく、一応国立大の理系院卒ということで何社かから内定をいただくことができ、そのうち一番面白そうかなと思った某外資系SIerに新卒で入社することにした。 大学の研究室では1人1台のPCを割り当てられてCとかC++とかをちょっとだけ齧りながらシミュレーションのプログラムを書くフリなどをしていたが、なんせ不真面目な学生だったもので ほとんどの時間はニュー速ま

    自己紹介と過去の話 - すぎゃーんメモ
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