よく よめば わかる とおり、ぼくが いっている ひらがなせいかつ というのは、かんじを すべて すてる べきだ、という しゅちょう では ありません。 ふつうの 生活には かんじは なくても まったく 問題 ないと おもうし、よめも かけも しない かんじを 計算機に たよりながら かく よりも、いっそ ひらがな だけで 生活 するほうが はるかに シンプルで いいと おもう、という はなしです。 かんじで かいてある から よめない ひとは 日本人 にも たくさん いるし、外国で そだった 日本人 には さらに たくさん いるし、だれでも よめる ように ひらがなで かく ことに、そんなに 問題が あると おもえない。 もちろん、むずかしい ことを むずかしく かけると べんり だし、にほんで 教育を うけた ひとには、かんじが まざっている ほうが はやく よめる から、そういう ひ