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過去の情景に関するmaicouのブックマーク (1,488)

  • オユたち

    maicou
    maicou 2023/09/21
    模型とは関係なく制作の経緯などがわかっておもしろい。
  • オユ12型護送便専用車 文化遺産オンライン

    文化庁 〒602-8959 京都府京都市上京区下長者町通新町西入藪之内町85番4 メール:online@mext.go.jp 共同運営NII Powered by GETA (C) The Agency for Cultural Affairs

    オユ12型護送便専用車 文化遺産オンライン
    maicou
    maicou 2023/09/21
    すごい。なんのサイトなんだろう。お宝めっちゃある。
  • https://omotetsu2.web.fc2.com/100kei/220223kushiro/page0.html

    maicou
    maicou 2023/09/19
    無塗装DE10じゃないの!しかもわたしも見たやつ。めちゃびっくり。
  • https://twitter.com/i/events/1119882335128707072

    maicou
    maicou 2023/09/18
    食堂車
  • https://twitter.com/SEI_YASUMA/status/1219997840027443202

    maicou
    maicou 2023/09/18
    雄別鉄道その2
  • https://twitter.com/Kiyoshi4771/status/1348119503394074626

    maicou
    maicou 2023/09/18
    雄別鉄道1
  • 国鉄マニ36形客車 - Wikipedia

    画像提供依頼: 1.改造元形式別の形態差がわかるもの 2.青15号塗装のマニ36形の画像提供をお願いします。(2009年4月) 国鉄マニ36形客車(こくてつマニ36がたきゃくしゃ)は、日国有鉄道(国鉄)の保有した鉄道車両のうち座席車などの改造により1966年より製造した客車の車両群を指す。カナ記号「マニ」は積車重量が42.5 - 47.5tの荷物車であることをあらわし、おもに小荷物の輸送に使用された。 なお、改造方法および車室構成などの点で関連性が高いことから、1962年より三等荷物車を改造したマニ35形、1967年より新聞パレット輸送用に改造されたマニ37形についても項で併せて解説する。 概要[編集] 需要増と世代交代に応えるために - マニ35・36形 それまで鉄道による新聞・小荷物輸送にはおもに戦前製の車両および戦災復旧車などを中心に運用されてきたが、1950年代に入り輸送量が急

    maicou
    maicou 2023/09/18
    荷物車の歴史
  • さいきん国鉄時代の列車を調べています。 - 機関車だとEF10→EF59とか気動車でもキハ10→80→183というように番号が増... - Yahoo!知恵袋

    客車の形式番号が10,11、…、…と順番になっていないのは確かにそのとおりですが、これでも大きく見れば結構順番なのです。 ①客車の形式としてまず十位の番号が3-9が割り当てられました。1~2は木造客車です。 ②その結果代表的な形式としてスハ32,オハ35、スハ43がありますが大まかに見れば形式は順番です。 ③終戦後に木造客車を鋼体化した形式が出現しました。形式は区切りよく60番台にしました。 ④客車の近代化で昭和30年に軽量客車が出現しました。形式は一気に区切りをつけて10番台です。この時代に当初の10~20番台が形式消滅で空いていたのです。 ⑤固定編成の特急あさかぜが昭和33年に出現しました。このとき形式は10番台の続きでなく20番台にしました。 ⑥軽量客車のさらなる進化型としてオハ35などの旧型客車の置き換え用客車が出現しました。50系客車です。当初から冷房完備で安全を考慮して自動ドア

    さいきん国鉄時代の列車を調べています。 - 機関車だとEF10→EF59とか気動車でもキハ10→80→183というように番号が増... - Yahoo!知恵袋
    maicou
    maicou 2023/09/18
    素晴らしい回答でした。
  • 運び続けて150年、日本の鉄道貨物の現状と課題とは 環境負荷小さく、運転士1人で大量輸送が可能:東京新聞 TOKYO Web

    の鉄道貨物輸送は1873(明治6)年に新橋—横浜間で始まり、今月15日で150年を迎える。明治から昭和にかけて陸上輸送の主役だった鉄道貨物だが、1960年代から高速道路網が拡充するとトラックにその座を奪われた。地球温暖化やトラック運転手不足への対応を迫られる国は、鉄道利用を呼びかけるが、重い課題が残る。(編集委員・嶋田昭浩)

    運び続けて150年、日本の鉄道貨物の現状と課題とは 環境負荷小さく、運転士1人で大量輸送が可能:東京新聞 TOKYO Web
    maicou
    maicou 2023/09/18
    トップの写真がうちのモデルそっくりで笑ったわ。
  • 三角点描 - 転轍器

    三角線は歴史ある路線で、島原や天草への航路連絡として九州鉄道によって明治32年12月に開通、三角駅はその時に開業した駅である。この時期の九州線は現在名で言うと、鹿児島線は八代まで、長崎線は早岐・大村回りで浦上まで、日豊線は柳ヶ浦まで開通していた。伝統ある駅の出口から低い階段を降りると狭い駅前広場は海岸に面し、潮の香りと歴史ロマンあふれるエキゾチックな雰囲気が漂っていた。  三角線三角 S59(1984)/1/11 給油で立寄ったガソリンスタンドで三角港を一望できる高台の民宿を紹介された。三角港の夜景を楽しんでいたらちょうど熊発三角行539Dが到着したところで、車内灯が煌々と輝き辺りを明るくしていた。編成はキハユニ26+キハ47+キハ28+キハ47+キハ58の三角線では長い5連であった。 三角線三角 S59(1984)/1/11 早朝の三角港は冷たい澄んだ空気が漂っている。風情ある港町の駅

    三角点描 - 転轍器
    maicou
    maicou 2023/09/18
    ミスミには行ってみたかったんだよなあ。いつか行くか。
  • HOカプラーの悩み。 - 鉄道模型工作記録帳

    結構安価に転属してきた昭和61年発売のHOのDD51です。 昭和の製品だったんですね~ そういえばそうだったかも知れません。 パッケージが初代のものです。 こんなの出すつもりだったのかな? 走りこんでは居ますが、カプラーが折れている以外は 特に欠点はありません。 昭和のモデルといえば古臭いですが、優秀な設計によって今でも充分遊べます。 手すりとかまたあとの話ね。 あと、ムサシノモデルなどのウルトラスーパーグレードと一緒にしちゃいけないし。 で、手持ちはほとんどイモンカプラー101,102,205とかの在庫しか無いのでそれに取り付けます。 205じゃ飛び出して不恰好だな・・・。 なんか変。 で 切って そこで101にしてみた。 小さいかなぁ・・・。 IMONカプラーはナックルの感じが良いのですが、なんせ1/87基っぽく、ちょっと小さめに見えます。 あと、実車と比べると 位置が下になってます

    HOカプラーの悩み。 - 鉄道模型工作記録帳
    maicou
    maicou 2023/09/18
    連結器の交換話その5 実機との比較
  • 初心者です、メーカーによって連結器の形が違うのですがたとえばカツミ製のカプラーをカトー製のカプラーに変えたりできるのでし... - Yahoo!知恵袋

    同じメーカーでも取付高さが変わったりしますから一筋縄では行きません。 複数のメーカー間の互換性が必要なパーツは特定メーカーに依存した覚え方は止めた方が良いですよ?カツミだろうがカトーだろうが万能ではない事では同じです。両社ともカプラー専業メーカーではないため異常事態に対応できません。 http://www.kadee.com/htmbord/HO-Scale%20Couplers.htm 現時点で最も幅広く対応可能なのはケィディーカプラーと、ケィディーに互換性のある多くのメーカーのカプラーです。互換性のある商品を作るメーカーの数が多すぎていちいち挙げられません。ナックルタイプの頭は自動連結できなくても無理やりはめ込んで走行可能なケースが多いです。 カトーもカツミもケィディと互換性を保つ努力を一応しています。最近製品数を増やしているイモンの連結器もケィディに無理やり連結できる所までは守ってい

    初心者です、メーカーによって連結器の形が違うのですがたとえばカツミ製のカプラーをカトー製のカプラーに変えたりできるのでし... - Yahoo!知恵袋
    maicou
    maicou 2023/09/18
    そう。連結器の交換話その4
  • 2020.8.2 プラ16番客車のカプラー交換・修正 | 所長、失格になりました。(DCCやっています)

    maicou
    maicou 2023/09/18
    連結器の交換話その3
  • 16番ゲージ・旧客車のリアルティー

    客室(構体、座席、床)、台車、床下機器類の車体の完成度については、Web上で様々な評価が公開されている。 ここでは主として客室照明、乗客、車両間隔、車両間の通過幌(ほろ)に就いてのリアリティー(現実感)に触れてみたい。 リアリティではウェザリングも重要な要素であるが、先人達の巧みな技が公開されているので項では割愛した。 2 客 室 照 明 誰しもが思いつくのは、客室内照明の必要性であろう。 ここでは、TOMIX製のオユ10、スロフ62、KATO製のスハ43、スハフ42の例で室内照明を考察してみる。 最上段は白昼の室内照明なし。 2段目は白昼の室内照明あり。 カプラーはKATO の標準のまま。 別売の可動通過幌(後述)を付けた状態。 左写真は、薄暮の中の室内照明。 これが、夜間の走行状態だと、室内照明 はより鮮明になる。 未だ乗客無しで、車内壁・床と座席の肘 掛けの一部しか見えない。従って

    maicou
    maicou 2023/09/18
    すごい
  • KATO HO 12系 客車 IMONカプラー交換 » シブケンブログ

    KATOの12系はとても良く出来た車両です。しかし、型直しを30年以上していないため連結面間がとても広いです。 これを、縮める為にIMONカプラーを使ってみました。 KATOカプラーのままです。 KATOカプラーをIMONカプラーHO-221の密自連に変えたものです。連結面間はかなり縮まっています。そのうえ自然開放がありません。 しかし、Kadeeeカプラーと連結がスムーズに行かなくなるので機関車側には自連の物に置き換えます。 HO-201へ変えるとKadeeeカプラーと簡単に連結します。 自連と密自連は連結しますので、機関車側は自連 HO-201に変えておきます。 カプラーの替えはそのまま簡単に変えることができます。IMONカプラーの後ろの部分をカットすれば、そのままカプラーポケットに入ることができます。 それでは、このカプラー変更で曲線の半径の許容範囲を検証してみます。 KATOユニト

    KATO HO 12系 客車 IMONカプラー交換 » シブケンブログ
    maicou
    maicou 2023/09/18
    連結器の交換その2
  • マニ36雑感 - 転轍器

    自分が撮ったマニ36の事は「荷物車・郵便車の世界ー昭和50年代のマニ・オユの記録ー」(クリエイティブモア/平成15年10月刊)によって掘り進めていくことができた。この書籍は改造で生まれたマニ36達のその前歴と背景、複雑な経緯や区分、形態等が詳細に解説されて、それは奥深い趣味の審美眼を磨くにふさわしい参考書といえる。各車のデータ(種車・改造年・形態等)は同書を引用した。 マニ362038〔北スミ〕 種車/オロ35格下げスロフ432002 改造/昭和41年幡生工場 形態/丸屋根 アルミ窓枠 台車/TR23コロ軸受 荷物扉の窓が開いている。保護棒も見えないので下降式で開閉できるのだろうか。床下は蓄電池箱・水槽・エアータンク・給水栓と検水栓のコック等がよくわかる。 門司 S57(1982)/8/18 マニ3682〔門モシ〕 種車/スロハ32格下げスハ50118 改造/昭和42年土崎工場 形態/丸屋

    マニ36雑感 - 転轍器
    maicou
    maicou 2023/09/18
    マニは見てたはずなんだが記憶がほとんどなく。なので大変ありがたいです。
  • 東京急行電鉄田園都市線の思い出 - 転轍器

    手元にある多摩田園都市20周年記念乗車券4枚組は昭和50年7月、旗の台駅発行であった。当時の田園都市線は大井町からすずかけ台まで開通していた。切符の図柄は青葉台駅前「風見の鶏」を背景に3000系・こどもの国線3400形・オールステンレス7000形・最新鋭8500形が配置されていた。裏面は40円区間:溝の口~長津田間開通は昭和41年4月1日、60円区間:こどもの国線開通は昭和42年4月28日、90円区間:つくしの~すずかけ台間開通は昭和47年4月1日、110円区間:8500形就役は昭和50年2月20日と年代順に記されている。 切符袋表面。 切符袋裏面は多摩田園都市の説明が記されている。 昭和49年春、上京して初めて降り立った駅は華やかな山手線目黒駅であった。そこから緑色一色の3輛編成の電車に乗り、今来た山手線の線路を見下ろしながら急勾配を下り大岡山という駅で下車する。今度は同じ緑色であるが少

    東京急行電鉄田園都市線の思い出 - 転轍器
    maicou
    maicou 2023/09/18
    東急。すばら。
  • 網走湖畔 急行“大雪9号”編成の普通列車 - 転轍器

    湖畔の宿は網走湖が見える絶好のロケーションだった。雪原のように見える凍結した網走湖畔をDD51の牽く客車列車が姿を現した。 よく晴れた朝、湖面に作られた木々の影と樹氷のような湖畔の立木が美しいコントラストを織りなしていた。列車は朝日に照らされた雪煙を上げて快走する。 郵便車はマニ36だろうか。スユニは旧形からスユニ50の新鋭が付いている。寝台車はオハネフ12かな。 寝台車は2輛だけだ。時刻表の編成案内では寝台車3輛となっているのでどうしたのだろうか。 札幌発網走行517レ急行“大雪9号”は北見から普通列車となり列車番号は1527レと名前を変えていた。 石北線呼人~網走 S55(1980)/3/18

    網走湖畔 急行“大雪9号”編成の普通列車 - 転轍器
    maicou
    maicou 2023/09/18
    すばら。編成がわかるのがよい。
  • 第27回 サハシ・ソ | WEB Mr.BIKE

    いい大人が気動車(一般的には電車といったほうが解りやすいのですが、登場するのが気動車=ディーゼルカーなもので。電車は電気、気動車は油で動きます。あっ、最近はハイブリッド気動車もあるから……動力源が内燃機関の車両が気動車です)の絵がばっちりプリントされているTシャツで喜々と歩いていたら……引きます。貴方が友人知人親兄弟恋人以上連帯保証未満等々な関係の人といっしょにその姿を目撃したら「うわ〜っ、やだっ〜見て見て、あのオヤジ。前も後ろもキハ58顔がプリントされてる。両運のキハ53-200番台のつもりかしら」と小声で言うはずです。 「さっきからみかんべてるから、キハ58003の線もアリね。ホントにマニアって……」と知人も顔しかめるに違いありません。 「よく見るともうひとり後ろにいるわ。あのTシャツ、すっかり黄ばんで黄5号みたい……ひょっとして800番台気取り? 最近は特定番号マニアが多いから小牛

    maicou
    maicou 2023/09/18
    立ち食いそば屋が電車に乗ってる感じか。当時の車内とかすごい貴重なんよね。
  • 日田彦山線 県境の残映 - 転轍器

    久大線を始めとして各地の沿線で四季折々の鉄道風景を撮り続けておられる大分市の渡邉邦治さんに「古き良き時代」に撮った日田彦山線の写真がないかお願いした。押入れを探してやっと出てきたという写真は驚くかな、賑やかで活気溢れる夜明駅と山峡を跨ぐ宝珠山橋梁が写っていた。貴重な記録を年代順に並べてみると、日田彦山線が通る福岡県と大分県の県境の情景を思い浮かべることができた。私にとって感動の光景、憧れの場面で、写真発掘していただいた渡邉邦治さんに感謝申し上げます。 国鉄時代の夜明駅は蒸機時代の名残りが垣間見える駅舎と嵩上げされていないホーム、それに貨物側線も健在であった。朝の賑わいが伝わる2番線はDE101133〔大〕率いる鳥栖発豊後森行629レ、向かいの3番線日田彦山線ホームは日田発小倉行728Dがアイドリングしている。629レは7:46着7:47発、728Dは7:42着7:51発なので2の列車が

    日田彦山線 県境の残映 - 転轍器
    maicou
    maicou 2023/09/18
    すばらしすぎる。九州のこういうのはあまり見ないので大変貴重。鉄道復活はなりませんでした。