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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/zeroes (2)

  • 「ドラえもん のび太と鉄人兵団」 - 移転跡地

    『ドラえもん のび太と鉄人兵団』は、劇場版『ドラえもん』シリーズの第7作にあたるが、これまでの6作と明確に異なっている点がある。タイトルだ。『のび太の恐竜』に始まるシリーズは、いずれも「のび太の◯◯」というサブタイトルで統一されてきた。それが作で初めて「のび太と◯◯」というフォーマットが採用され、以後のシリーズでは“の”と“と”の混在が現在まで続いている。まあ、些細といえば些細な話なのだが、なぜここで統一感をみすみす放棄してしまったのか、奇妙といえば奇妙ではないか。 そもそも第1作『のび太の恐竜』というタイトルは、原作となった短編マンガをそのまま使用したものだ。のび太が恐竜の卵を孵化させて育てるが、やがて離別の時がくる……というプロットは、『仔鹿物語』や『野生のエルザ』といった動物映画を下敷きにしたようだ。ここでの“の”は、単純に「所有」を表しているのだろう。英語にするなら"Nobita

    「ドラえもん のび太と鉄人兵団」 - 移転跡地
    mangakoji
    mangakoji 2012/03/28
    ロボット物のエクスタシーは、操縦することよりも心通うことよりも、腕が折れ、内臓が飛び出すカタワの演出をゴールデンで流せることだ。と言ったのはだれだったかなぁ(あ、藤子不二雄じゃないよ。斜めですまん
  • 製作中止&延期した主なアニメ(劇場作品篇) - 移転跡地

    「長くつ下のピッピ」 1971年、当時Aプロダクションに所属していた高畑勲・宮崎駿・小田部羊一が企画。スウェーデンへの取材旅行も行ったが、原作者リンドグレーンは、当時、自作のアニメ化を認めておらず――1990年になって初めてアニメ版が作られた――直接、交渉に臨んだ高畑は、にべもなく断られたという。スタッフは、そのままオリジナル企画「パンダコパンダ」に移行。主人公の設定などに影響が見られる。 「高畑・宮崎版 リトル・ニモ」 東京ムービーの社長、藤岡豊が日米合作で進めていた企画。1975年に専門のスタジオとしてテレコム・アニメーションフィルムを設立。1977年にゲイリー・カーツがアメリカ側のプロデューサーとして就任する。1978年春、テレコムがアニメーターを募集。月岡貞夫、ついで大塚康生が、新人の育成にあたる。1979年、テレコム製作の「ルパン三世・カリオストロの城」が公開。1981年4月「じ

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