時代を経て、 様々な歴史の場面で みなさまと共に歩んできた路を見つめ、 未来へ向かってまた、 新しい一歩を踏み出します。 創業者である初代倉田雲平が、久留米市米屋町に家賃六五銭の小さな店を借り、座敷足袋造りを開始。祖先伝来の屋号である「槌屋」の名をとって「つちやたび」とし、家紋である「打ち出の小槌」を商標に。吊り看板の「御誂向御好次第(おあつらえむきおこのみしだい)」とは、現在のオーダーメイドのことです。 西南戦争に際して、軍用被服(足袋2万足、ズボン下1万枚など)の生産を請け負い、初めて大量生産に成功。しかし、南下する官軍への軍需品供給を行うが失敗し無一文に。 そこで倉田雲平は、足袋製造に専念し、一足の仕立てを夫婦で分業し、さらなる製法の研究を開始しました。 日本で初めて、足袋製造にミシン(ドイツ製青貝印ミシン)を導入。当時、最新型のミシンは上等な一軒家が買えるほど高価なものでした。足袋