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医療と本に関するmmsuzukiのブックマーク (3)

  • 「曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民」書評 知識が生きる力に 福島との共通点も|好書好日

    曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民 著者:アドリアナ・ペトリーナ 出版社:人文書院 ジャンル:社会・時事・政治・行政 生命とリスクはどのように測られるのか。チェルノブイリが形作った新国家ウクライナのありようをはじめ、放射線被害が、市民や地域の変容、また国際的な政治的・経済的かけひきの契機… 曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民 [著]アドリアナ・ペトリーナ ぼくたちが大規模な災害の被害者となったとき、生活再建の拠(よ)り所(どころ)になる/なれるのは、何だろう。国か自治体か、地域の共同体か専門家か、はたまた事故の責任者か自分自身か。 1986年、旧ソ連でチェルノブイリ原発が爆発し、人類史上最悪規模の放射能汚染事故が起こった。書は、この事故の後これらの救済システムがどう機能しなかったのかを、現地の人々への長期参与観察と聞き取り調査をもとに丁寧に描き出した民族誌(エスノグラフィ

    「曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民」書評 知識が生きる力に 福島との共通点も|好書好日
  • 苦しまないと、死ねない国『欧米に寝たきり老人はいない』

    せめて、死ぬときぐらい安らかに逝きたい。 だが、現代の日では難しいらしい。老いて病を得て寝たきりになっても、そこから死にきるためには、じゅうぶんな時間と金と苦しみを必要とする。寝たきりで、オムツして、管から栄養補給する。痰の吸引は苦しいが、抵抗すると縛られる。何も分からず、しゃべれず、苦しまないと死ぬことすらままならない。 タイトルの「欧米に寝たきり老人はいない」理由は、簡単だが単純ではない。というのも、「寝たきりになる前に(延命治療を拒否して)死ぬから」が答えであることは分かっていても、なぜ「延命治療を拒否する」ことが一般化しているか明らかでないから。書によると、数十年前までは日と同様に、終末期の高齢者に対し、濃厚医療が普通だったという。欧米では、これが倫理的でないという考えが広まり、終末期は「べるだけ・飲めるだけ」が社会常識になった。金の切れ目が命の切れ目。高齢化社会に伴う医療

    苦しまないと、死ねない国『欧米に寝たきり老人はいない』
  • 死を効率化せよ『医師の一分』

    「死を効率化すべき」という世になるのかも。 命には値段がある(一人一年、一千百万円)。「優先すべき命」とそうでない命がある(子供・労災を優先、自殺未遂・暴走族は後)。こうした音は、トリアージのような切迫した状況だと見えやすいが、普通は病院の壁の向こうにある。ひたすら死を先送りにしようとする現場では、「もう爺さん寿命だから諦めなよ」という言葉が喉元まで迫ったとしても、口に出すことは許されない。 だから、これを書いたのだろう。がんの専門医として沢山の臨終に立ち会ってきた著者が、現代医療の偽善を批判する。自己決定という風潮を幸いに判断を丸投げする医師を嘲笑い、90過ぎの老衰患者に、点滴+抗生物質+透析+ペースメーカーまで入れるのは、当に「救う」ことなのか?と疑問を突きつける。 毒舌を衒ってはいるものの、ナマの、辛辣で強烈な批判は、わたしが死ぬ際の参考になる。他人に振りかざしたなら「不謹慎」で

    死を効率化せよ『医師の一分』
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