【教えてくん】コミュニティーなのです。 なんかニュースとかあったらここに書こうかと思ってますよ。とりあえず、おいらのブログ 子供の能力を見るには親を見る。 昔、知り合いが某有名私立大学付属の小学校の面接に受かったのですが、 そのときに言っていた話です。 ・子供の学習能力の潜在能力を見抜くのは短時間では出来ない。 ・多少、算数が出来たり、言葉は知ってても、いずれ誰でも出来るようになる。 ・子供を面接したって、たいして違いなんかない。 そうすると、子供を教育する親の考え方や育て方のほうが、 評価しやすいわけです。 子供に学習意欲を持たせたり、学習することを当然のことであると 認識させる状況を作れる家庭環境があれば、 潜在能力がいかに低かったとして、 義務教育レベルならきちんとこなせるようになるわけです。 というわけで、その知り合いは、 「子供の面接といいながら、実は親を見てるんだよ。」 と言っ
自殺の女児「キモイと言われ…」と遺書に→市教委「"いじめ"の言葉が無いからいじめじゃない」…「いじめ苦」隠しで 1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ 投稿日:2006/10/02(月) 10:30:27 ID:???0 ★滝川市の小6自殺、1か月半前に担任に友人関係相談 北海道滝川市内の小学校で昨年9月、6年生の女児が首をつり、後に死亡した問題で、担任教諭がその1か月半前の7月、友人関係のことで女児から相談を受けていたことが1日、わかった。 自殺を図った後に学校が同級生に行った聞き取り調査でも、「死にたいと漏らしていた」などの証言が多数得られており、学校は昨年10月、女児の家族に「本人のサインを学校、担任として受け止められなかった」との内容の文書を渡していた。 文書は、学校側が事前に把握していた女児の様子について、「席替えのことや友人関係について担任に相談があっ
The University of California, Berkeley is the preeminent public research and teaching institution in the nation. From classic literature to emerging technologies, the curricula of our 130 academic departments span the wide world of thought and knowledge. Supported by the people of California, the university has embraced public service as an essential part of its mission since 1868. The content on
■ RFIDタグ搭載ランドセルの校門通過記録で仲良しグループを割り出すという小学校教諭の発想は普通? 論座2006年8月号に「IT技術は小学生を守るか」という記事が出ていた。これに次の記述がある。 立教小学校(略)の「登下校管理システム」は、ICタグを用いたセキュリティーシステムの草分けだ。(略)導入を進めた石井輝義教諭(情報科主任)は「動機は、どちらかというとセキュリティーよりも利便性にありました」と語る。(略) 「教師の仕事の一部を肩代わりしてもらうことで、生身の子どもと接することに集中できる」。今後はさらに、記録を時間順にソート(並べ替え)して仲良しグループを割り出す、長期欠席児童を把握するといった可能性を考えている。昨年5月の遠足では、バスに児童が乗り込んだかどうかタグで確認する実験も行った。無線LAN機能と専用ソフトを備えたモバイルPCをリーダーとして用いたという。 さらに、技術
もしあなたが週60時間以上働いているとすれば、父親として役に立たない。息子が問題をもつようになったら、それはあなたのせいだろう お題は次の文に続く──「父親はきちんと家に帰ってきて、こどもと一緒に遊んだり、笑ったり、じゃれあったり、ものを教えたりする必要がある」 のっけからショッキングな断定文が続くが、読み進めて納得した。「男の子って、どうしてこうなの?」は、異性である息子を育てるのに途方にくれる母親たちへの福音書かもしれないが、父親が読むと考えを改めさせる指南書なのかも。 けれども会議が、出張が、締め切りが、なんて抗議の声は上げられる。生活を成り立たせるための仕事を放り出したりすれば本末転倒ではないかと。同意、わたしもそうだから。それでもココロのどこかで知っている、ものごとには、取り返しがつくものと、つかないものがある。そして、代替の利くものと、利かないものがある。取り返しがつかないもの
1 名前:飼育係φ ★ 投稿日:2006/07/11(火) 21:19:09 0 子供たちが悲惨な性犯罪に巻き込まれないようにと学校周辺での見守り活動が熱心に行われているが、肝心な学校の中で子供たちの好奇心をあおる授業が深く浸透している。 本紙は昨年、中学の体育授業で実施されている「体ほぐしの運動」の問題点をいち早く指摘した。 男女が互いに、相手の体を回したりゆすったり、また男女が交互に座って円形をつくり、後ろの人に自分の体を預けて寝そべったり。 教科書には「笑うと友だちのおなかが動くのがわかりますか」などと説明が付いている。 最も男女が密着する「人間椅子(いす)」は、男女交互で生徒が椅子状に中腰になり、互いに膝(ひざ)の上にお尻を乗せ合い、輪を作るというもの。 こうした授業が導入された背景には、他者とのコミュニケーションがうまく図れない、いじめや不登校の増加などへの対応策の一
良い第一印象を与えるチャンスは一度しかない。最初に会ったときだけだ。 昔から若者たちの役に立ってきたこの賢明な助言が、インターネット時代にあって新たな意味を持ち始めている。ブログサイトやソーシャルネットワーキングサイトで自分の個人的な情報や考えを熱心に書きたがる子供たちや10代の若者たちは、自分の将来に重大な影響を与える可能性のある「証拠」をせっせと残している。 10代の若者とブログに関する最近の議論は、そうしたブログを書く若者を食い物にする輩たちの犯罪行為を糾弾するものと、憲法上の権利と言論の自由に焦点を当てたものがほとんどだ。中学生や高校生がウェブ上の投稿で、他人を中傷したり、自身の放縦な私生活を生々しく書いたりして、停学になったり逮捕されるという事件が後を絶たない。麻薬取引の自慢話を書いていたら実際に警察に踏み込まれたという事件さえある。 ネット上に残されたこのような書き込みに、憲法
「頭の良くなる家」というものがあると知ったのは、このブログに何回か登場してくれている慶応大学SFCの渡邊朗子助教授の話からだった。渡邊先生は、建築とITの融合領域でユニークな研究活動を展開されている気鋭の学者であり建築家だが、その研究テーマにITによって空間を知能化する「スマートスペース(知能化された建築空間)」という考え方がある。「頭の良くなる家」というコンセプトは、それと似かよっているようにも見えるが、だいぶ意味が異なり、ある面、眉唾っぽい響きさえある 。 渡邊先生の紹介で、「頭の良くなる家」プロジェクトを実際に手がけているエコスコーポレーションの四十万(しじま)社長から直接話を聞く機会が得られた。正直を言うと、最初は半信半疑で四十万さんの話を聞いていたのだが、最後はナルホドと納得させられた。 有名進学中学の合格者の家をフィールド調査 何よりも驚かされたのは、四十万さんが、麻布、武蔵、
当初、服飾その他のモノに金を注ぎ込むということはむしろ「良い子」であろうとすることだと思えた。もしもそうしなければ、モノを媒介にした人間関係の中で仲間外れにされてしまうからだ。そして、親や教師は多くの場合仲間外れにされた子供の味方ではない。明確な「いじめ」が発生しなかったとしても、自然に過ごしていただけで一々親や教師から雷を落とされていたのでは、どうして自尊心を持てるだろうか。 Leiermannさんの記事の本題とは外れたトコロを突っ込むことになってしまうんですが、引用部分で引っかかる点があったので、絡ませてもらいますね。 この文章を読んで僕は、「誰にとっての良い子であろうとするのか?」という視点が、Leiermannさんには抜けているなぁ、と感じました。 【誰にとっての「良い子」なのか】 学校という場では大まかに言って、 ・教師&親 ・クラスメート というふたつの勢力・価値観があ
わたしがやっと気づくことができた「“倫理規範を疑ってはいけない”という倫理規範が存在する」という事実。それは何を意味するのか? 「現代の日本社会においては、“なぜ人を殺してはいけないのか?”という問いを発する行為自体が、端的に悪と見なされうる」ということです。 倫理規範、というのは、こういったものを考えています。 人を殺してはいけない 自殺をしてはいけない 物を盗んではいけない 嘘をついてはいけない このようなものの他に、次のものがあったのだ、というわけです。 これらの倫理規範の成立根拠に疑いを抱いてはいけない なぜ、最後のこれが倫理規範たり得るのか? それは、当然ですけれど倫理というものは社会を維持・安定・発展させるために存在するものであり(「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問に対する回答の多くは「社会が維持できないから」だった)、それを犯すものは悪と見なされるからです。ゆえに、
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