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戦争とふむふむに関するnotioのブックマーク (5)

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  • 心温まる日本の難民救出 - Togetter

    Хаями🍥Расэндзин @RASENJIN 餓死(うえじに)した英霊たち 藤原 彰 http://t.co/HJ4aqOSoL4 @AmazonJPさんから 著者人の体験も交えつつ、中国戦線での飢えについて一章が割かれてますね。 2013-10-19 23:31:24 dragoner@2日目東サ46a @dragoner_JP 戦時中の農学校生のが出るらしいが、満州開拓・農業がセットになった話は、酷い話のオンパレードなので辛いかも →  太平洋戦争下 農学校生の日記―生活・援農・満州の記録 http://t.co/HQjXPvDMLD 2013-10-19 23:42:33

    心温まる日本の難民救出 - Togetter
    notio
    notio 2013/10/25
    これは世間の問題でもあるんだろうか。小さなことだけど、婚外子裁判が元になったニュースを見ると、根は一緒のような気がしたりする。
  • 慰安婦の碑に込められた意味と、20年まったく進歩のない否定論。 - Transnational History

    『日軍「慰安婦」問題解決全国行動2010』のホームページに、共同代表の梁澄子、花房俊雄の署名入り声明文が公開されています。そこには「平和の碑(慰安婦の碑)」に込めた意味と、なぜソウルの日大使館前に建てられたのかが述べられていますので一部転載します。 平和の碑(慰安婦の碑)声明 - 韓国水曜デモ1000回アクション (前略) ソウルの日大使館前に建てられる「平和碑」は、その名の通り、平和を願う記念碑です。 日軍「慰安婦」被害女性たちと支援者らは、1992年1月8日から20年間、雨の日も、雪の日も、炎天下でも、毎週水曜日、日軍「慰安婦」問題の解決を願って、ソウルの日大使館前に立ってきました。 その20年という日々は、この世から戦争と武力紛争をなくし、戦時下性暴力被害者が二度と生まれない世界をつくること、あらゆる暴力を根絶することこそが問題の真の解決であることを、被害者たち自身が獲得

    慰安婦の碑に込められた意味と、20年まったく進歩のない否定論。 - Transnational History
    notio
    notio 2011/12/16
    沖縄でも原爆でも空襲でも何年も進まないというのは当事者が亡くなっていく事も受け止めるべきだと思うんだよなぁ。補償の遅れに対する作為って何か対処無いのだろうか。
  • 太平洋戦争:朝鮮半島出身動員26万人 配属先の全容判明 - 毎日jp(毎日新聞)

    料増産のため、静岡県に「陸軍農耕勤務隊」として動員された朝鮮半島出身兵士の名簿。籍や氏名、所属先などが記録されている=竹内康人さん提供(一部画像を加工しています) 太平洋戦争中に朝鮮半島から動員された軍人・軍属約26万人の全配属部隊と配置先が、近代史研究家の竹内康人さん(54)=浜松市=の調査で明らかになった。日政府が韓国政府に引き渡した軍人・軍属関係の名簿を調査した。朝鮮半島出身の軍人・軍属は人数や配属地など詳細が不明だったが、アジア・太平洋全域に配備された全体像が初めて判明した。多くの犠牲者を出したニューギニア戦線で朝鮮半島出身者が配属された全部隊名と人数など、初めて明らかになった事実も多い。【扇沢秀明】 竹内さんが調査した名簿は、旧陸軍「留守名簿」(16万148人)▽「工員名簿」(2102人)▽「軍属船員名簿」(7046人)と、旧海軍「軍人軍属名簿」(10万778人)。旧陸海軍

    notio
    notio 2011/09/04
    見事な仕事。ふと、関東大震災の韓国人殺害の慰霊碑を個人で作らざるを得なかったことを思い出す。役所は面倒ごとに関わりたくないからなぁ。
  • 義父の従軍記 - ohnosakiko’s blog

    数ヶ月前、夫の実家に行った時、義父が「実は自伝を書いておってな」と言った。 「自伝って子どもの時からの?」と訊くとそうではなく、戦争に行った時のことを思い出して書いていると。 義父は毎年ずっと「戦友会」に出席し、長い間幹事もしているらしい。その「戦友」達もほとんど他界してしまい、残りの人ともあまり会うことがなくなった。共通の話題を持つ者が少なくなって、ふと「従軍記」を書く気になったらしい。 昭和2年(1927年)に生まれ、岐阜県の山村に育った義父は16歳で陸軍の少年航空兵に志願し、兵学校での訓練を経てベトナム、カンボジア、インドネシアなどの南方に行っていた。 現地に到着するまでの間に、一度船団がグラマンに襲撃されて海に投げ出されたが助かり、上陸後はあまり戦闘らしい戦闘はなく、捕虜になって一年過ごしてから帰国したという。捕虜生活は比較的自由で、異国の風物を楽しむゆとりさえあったそうだ。 「ん

    義父の従軍記 - ohnosakiko’s blog
    notio
    notio 2011/08/19
    知り合いの祖父は近年クリスチャンになった人で、信仰告白に戦争中の懺悔を書いていた。また、従軍当時を楽しく、懐かしそうに私に話してくれた。どちらも同じ人間なのだろうと感慨深く思った。
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