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哲学に関するoriakのブックマーク (5)

  • 永井均の発言について - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    永井均が、あるトランス差別に擁護ともとれる発言をして、ネットで話題になっている。発端は、永井の元教え子の谷口一平が、自分の投稿論文につけられた査読コメントをSNSで公開したことだ。谷口の論文はトランスジェンダーをテーマにしているが、査読の結果、不採用となった。しかしながら、谷口は査読者が、哲学研究者ではなくジェンダー論者であったことを批判し、不当な査読であったと訴えている。 togetter.com 谷口の主張の内容には踏み込まないが、これらの発言を一般論として「査読への不満」として理解する。トランスジェンダーをテーマにした論文であれば、どんなジャーナルであれ、ジェンダー論者が査読を担当することは十分に予測できる。そのために、学際領域を扱う哲学研究者であれば、先行研究を十分に精査し、査読者を説得できるよう先回って論を組み立てる必要がある。私自身、学際領域にいるし、うまく書けずに査読者に全然

    永井均の発言について - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
  • 三木那由他さん「言葉の展望台」インタビュー マイノリティの言葉に触れて、差別思想に抗って|好書好日

    三木那由他さん 三木那由他(みき・なゆた) 1985年、神奈川県生まれ。2013年、京都大学大学院文学研究科博士課程指導認定退学。15年、博士(文学)。現在、大阪大学大学院人文学研究科講師。著書に『話し手の意味の心理性と公共性』『グライス 理性の哲学』『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』、共著に『シリーズ新・心の哲学1 認知篇』、共訳書にブランダム『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』がある。 コミュニケーションは約束ごと? ――書『言葉の展望台』と光文社新書『会話を哲学する』と、同時期に2冊刊行されて、どちらも話題になっています。三木さんはどういう研究をしているのでしょうか? 言葉とコミュニケーションの研究と言っているんですけど、ある人とある人がコミュニケーションするとは一体どういうことなのか。特に話し手が発話をすることによって、何らかのことを意味する

    三木那由他さん「言葉の展望台」インタビュー マイノリティの言葉に触れて、差別思想に抗って|好書好日
  • 『はざまの哲学』はスゴ本

    「哲学は何の役に立つのですか?」 哲学をやっていて良いのは、メタ的に疑う目を養えることだ。 たとえば、「哲学は何の役に立つのですか?」という質問が、どんな前提で発せられており、その前提が孕む別の問題に気づけるようになる。 質問者は、「哲学は〇〇の役に立ちます」という回答を期待している。〇〇には、適当な言葉が入る。たとえば、「論理的思考」や「詭弁術」、あるいは「認知バイアスの明確化」「会議における論駁」など、いくらでもある。そこから質問者は、〇〇を身につけるには、別に哲学である必要はない、と言うことも可能だ。 まさにここが問題になる。 「哲学が〇〇の役に立つ(a)」からといって、「〇〇のために(b)哲学がある」わけではない。この(a)と(b)を混同させる発想が、質問の前提にあるのだ。いま哲学を槍玉に挙げたが、哲学に限らず、歴史数学、文学など、学問分野は質問者の意図によって入れ替え可能である

    『はざまの哲学』はスゴ本
  • 西洋哲学史の簡単まとめ(ギリシア哲学~近代哲学まで) | The Cat's Pajamas(ぱじゃねこ)

    読書に勤しんでいると、ふいに いろいろな哲学者の名前や思想 が、誰もが知っている常識のように引かれていることが多々あります。 それらが自分の知識のうちにないと、なんだか居心地の悪い気持ちになることも少なくありません。 ということで今回の記事では 西洋哲学の全体的な流れ(歴史) をザックリとまとめたいと思います。 哲学者のエピソードを含め、簡単な思想内容や時代背景を理解したい人は参考にしてください。 <古代ギリシア哲学> 以下、古代ギリシア哲学に関する簡単なまとめです。 初期 タレス・・・・・・・水アナクシマンドロス・無限なるものアナクシメネス・・・空気ヘラクレイトス・・・火エンペドクレス・・・地・水・火・風アナクサゴラス・・・ヌース(精神)デモクリトス・・・・アトム(原子)ピタゴラス・・・・・数 万物には、それを構成する根源(アルケー)があるという考え方に基づく思想が主となっている時代。

    西洋哲学史の簡単まとめ(ギリシア哲学~近代哲学まで) | The Cat's Pajamas(ぱじゃねこ)
  • 人間にとって「創造」という概念自体、発明品だったのかも…: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前回の「デザインという思考の型から逃れる術があるのか?」という記事のなかでも告知していたイベント「デザインの深い森」。その第3回の講演を昨夜開催しました。 「ウロボロスの洞窟と光の魔術師」と題して行った講演は、keynoteのスライドにして105枚、しゃべった時間はあんまりはっきり憶えてないけど、2時間近かったんじゃないか、と。もちろん、最長講演時間の更新。質疑応答のときは声が出なくなりました。 ▲講演で使用したスライドのサムネイル(クリックして拡大すればもうすこし見える) それこそ2時間も話したので、その内容を要約するのは、むずかしいんですが、 17世紀中頃を境にした「見る」ことと「思考する」ことの関係の歴史的な変遷だとか似たような観点で「照らす」ことと「知る」ことの関係

    人間にとって「創造」という概念自体、発明品だったのかも…: DESIGN IT! w/LOVE
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