タグ

批評に関するoriakのブックマーク (19)

  • ホックニーとポピュリズム。東京都現代美術館「デイヴィッド・ホックニー展」レビュー(評:梅津庸一)

    2023年でもっとも注目を集める展覧会のひとつ、「デイヴィッド・ホックニー展」が東京都現代美術館で11月5日まで開催されている。60年以上にわたり、絵画、ドローイング、版画、写真、舞台芸術といった分野で多彩な作品を発表してきたホックニー。誰もが認める巨匠の作品を目の前に、美術家の梅津庸一は何を考えたか。画家としてのホックニーの手法、そして「美術の魔法」が解けた現代の美術を取り囲む諸種の事情を交 錯的に読み解く。【Tokyo Art Beat】 ※画像の無断複製・転載・流用禁止 *展覧会レポートはこちら 前置きとして、「展覧会レビュー」を取り巻く状況を考えるTokyo Art Beatからデイヴィッド・ホックニー展の展覧会レビュー依頼があり一瞬戸惑った。というのも僕は久しく「展覧会レビュー」を書いていなかったからだ。ちなみに僕がホックニー展の内覧会を見に行った7月14日は宮﨑駿監督の映画『君

    ホックニーとポピュリズム。東京都現代美術館「デイヴィッド・ホックニー展」レビュー(評:梅津庸一)
  • 「あるトランス女性が見た北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』」に応える - Commentarius Saevus

    新刊『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』第4章の「女性映画としてのトランスジェンダー女子映画」について、トランス女性の方から以下のような批判を頂きました。この批評は『タンジェリン』と『ナチュラルウーマン』を扱ったものですが、これについてこちらのブログでは「『タンジェリン』や『ナチュラル・ウーマン』がトランス女性の出演するトランス映画であることに一定の評価はしつつも、そのなかで出てくるステレオタイプ的な女性像などを論難し、全体としては「古くさい」ものと評価するという内容」で、「ありがちなシス(トランスでないひと)がトランスに向ける、差別的と言ってもいいようなもの」だと評しています。 snartasa.hatenablog.com 私はシス女性であり、トランス女性に対してマジョリティとしての特権性を有する立場にあります。その特権性からトランス女性を傷つけた事態を重く受けとめています。こちらの記事

    「あるトランス女性が見た北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』」に応える - Commentarius Saevus
  • 見果てぬ近代 2023年のマティス展(於東京都美術館)

    東京都美術館のマティス展にいってきた。回顧展だが、とくに1910年前後のマティスの作品群が、個人的にはモダンアートの歴史全体においてピークの一つだと考えているので、それらを見ることができたという意味においては展示に満足した。ただ、帰ってカタログの論考を読んでみて、思うところがあったので記事にしておく。 今回のカタログでは、近藤学氏、藪前知子氏、アラステア・ライト氏、岡崎乾二郎氏の論考が掲載されていた。アラステア・ライト氏以外の三人については日の美術業界では著名なので知っていたが、ライト氏の名前はまったく聞いたことがなかった。どうもオックスフォード大学で美術史について教えている方らしい。 ライト氏の論考は「プリミティヴィズム––アフリカ芸術との出会い」という題で、マティスとアフリカ彫刻の影響について論じている。こういった文物がヨーロッパに入りこんでくるのは言うまでもなく帝国主義による植民地

    見果てぬ近代 2023年のマティス展(於東京都美術館)
  • 映画「こちらあみ子」と発達障害(概要篇) - nohara_megumiのブログ

    ※当初カットした私情を含むパラグラフを文一番下に追記、当事者の呼び名の表記を所々変更、健常主義的な言い回しを考え直す等、公開日より修正が加わっております(最終2023.5.15) ※これは私個人の感想で、発達障害者を代表する意見ではありません。発達障害の種類は多岐にわたっていますし、各々に性格も異なります ※記事タイトルや文中では、あみ子の性質と監督および多数の受け手との違いをはっきりさせるため「発達障害」という言葉を使用しています。しかし来、AS(D)やADH(D)と診断されたとしても、それ自体が「障害」といえるわけではありません。それらはあくまで「非定型発達」という「脳の状態」であり、問題はその性質が、社会の多数派である定型発達の人たちによって作られているルールに適合しづらく、往々にして齟齬をきたして日常生活が立ち行かなくなってしまう点にあります。ですから勿論、適した環境にいるこ

    映画「こちらあみ子」と発達障害(概要篇) - nohara_megumiのブログ
  • 『ルックバック』を”Look Back”する(1)「的外れな怒り」に注目して:作品は京都アニメーション追悼なのか? - 喜多見こけしのブログ

    話題になっている、藤本タツキの『ルックバック』を読みました。 思ったことはいろいろあります。作品についても、また作品を巡る言説についても。 論争を呼んでいる作品であり、先に所感や社会論的なことを述べてしまうとそこから後は読んでもらえない可能性もあるので、記事を何回かに分けたうえで、まずは私がこの作品のテーマをどのように捉えているかということを自分なりに整理していきたいと思います。 ※8月2日のアプリ配信版『ルックバック』セリフ差し替えより前に書かれた記事です ※後で思いついたことを追記したり、一部を削除したりするかもしれません 私のルックバック評の「背景」 読んだのはある程度話題になってからでした。 少年ジャンプ+アプリで該当作を読み始める前にTwitterで、最初のコマの"Don't"と最後のコマの" In Anger"について紹介するツイートが流れてきたのを見ています。Oasisの楽曲

    『ルックバック』を”Look Back”する(1)「的外れな怒り」に注目して:作品は京都アニメーション追悼なのか? - 喜多見こけしのブログ
  • 不健康でなにが悪い! フェミニズムにおける健康信仰 - wezzy|ウェジー

    健康はみんなの願い みなさんは健康でいたいですか? 私は健康でいたいですし、無病息災が一番大事という方も多いと思います。たいがいの人は、痛いのや苦しいのはイヤですし、家族や友人に病気をしないで欲しいと思うのは優しい心遣いです。 時として、健康こそ美の理想だというような主張がなされることもあります。フェミニズムの文脈においても、健康で生き生きした女性のイメージが理想のように語られることがあります。しかしながらひとりひとりの市民が自分の健康を願ったり、医療制度や公衆衛生の改善のために活動したりすることと、健康な人間こそ理想であるというイメージを流通させることの間には少々、違いがあります。今回の記事では、私がフェミニズム批評、とくにアメリカ系のフェミニズム批評を読んでいてたまにひっかかる、「健康信仰」とでも言うようなものについて書いてみたいと思います。 反バックラッシュと健康志向 スーザン・ファ

    不健康でなにが悪い! フェミニズムにおける健康信仰 - wezzy|ウェジー
    oriak
    oriak 2022/04/23
    障害とは社会的なもの、に繋がる健康の話だ。/ サラ・ベルナールの晩年については知らなかった。尊敬すべき女性だと思いました。
  • 残念な開会式で、森山未來のパフォーマンスだけは怨念と罪の全てを引き受け浄化していた。【東京オリンピック】

    残念な開会式で、森山未來のパフォーマンスだけは怨念と罪の全てを引き受け浄化していた。【東京オリンピック】 無惨な出来に終わった開会式において、森山未來のパフォーマンスだけは、胸のすくような見事なものだった。コロナ禍における無観客で、全世界で400万人近くの死者が出ている中で行われる「祝祭」的なイベントという困難に気で立ち向かった、非常に知的な誠実なパフォーマンスであった。

    残念な開会式で、森山未來のパフォーマンスだけは怨念と罪の全てを引き受け浄化していた。【東京オリンピック】
    oriak
    oriak 2021/07/29
    能の文脈は理解できるが、それではまるでこの欺瞞に溢れた五輪のために勝手にザハ氏の無念を作り出し勝手に浄化したようでもあり、ずいぶん独りよがりだと思った。あの開会式にはふさわしかったのかもしれない。
  • 椎名林檎を論じて見えてきた現代の大衆と文化 - 集英社新書プラス

    2017年に創設された「すばるクリティーク賞」。評論の新人賞が減少傾向にあるなか、文芸誌「すばる」の編集部が主催し2021年で4回目を迎える。1月6日発売の「すばる2月号」で発表された2021年の受賞作は、西村紗知さんによる「椎名林檎における母性の問題」だ。 この論考では、J-POPのフロントランナーの一人、椎名林檎の作品における表現の特異性を論じながらも、彼女の楽曲や発言から、すべてのものを無批判に受け入れる「母性原理」が全面化していることを指摘。そしてそれは、日の大衆の主体性のなさ、成熟できなさを映し出してしまっていると鋭く論じ、発表直後から大きく話題を呼んだ。西村さんはなぜ、椎名林檎を論じたのか。音楽を中心に、表象文化全般について執筆活動を行う批評家、伏見瞬によるインタビューを通して、その意図に迫る。 椎名林檎という音楽家は、西村さんにとってどんな人ですか。 間違いなく、永遠の憧れ

    椎名林檎を論じて見えてきた現代の大衆と文化 - 集英社新書プラス
    oriak
    oriak 2021/04/23
    大衆の需要に応える姿勢が消費の行き着く先となるのはあるある種の皮肉か
  • 一家に一冊、『批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義』廣野由美子 (中公新書) - ゴールデンレトリバー撫でたい

    (※再公開です) 批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書) 作者:廣野 由美子 発売日: 2005/03/01 メディア: 新書 批評ブログやりたいわけじゃないんだけど、物語作品の考察なり分析なり書こうとするとどうしてもこういうところの参照が要請されるので再確認のためにも出してきました。 日読書文化が誇る中公新書における名著の1つなので今更感はあるけど、こういうのは書いとくに越したことはないでしょう。今はこんなのも電子版出ててすごいね。 題名は「批評理論入門」となっているけど、思い切って言えばこれは「小説の読み方」を教えてくれるです。もちろん映画でもアニメでも物語ならなんでも役に立つ。このジャンルの入門書でこのを越えるものは令和3年の今でもおそらくまだない。入門書と言っても何度も読み返すに値する深みを持っている、正しく新書版の名著と呼ぶにふさわしいです。 1.

    一家に一冊、『批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義』廣野由美子 (中公新書) - ゴールデンレトリバー撫でたい
    oriak
    oriak 2021/01/26
    批評の基礎だ。面白そう。
  • 名作『ジョゼと虎と魚たち』アニメ版は“純愛推し”だが…消された「性被害」の重み | 文春オンライン

    アニメ映画『ジョゼと虎と魚たち』が12月25日に公開された。原作は36年前の田辺聖子の小説で、17年前には実写化もされた。今回のアニメ映画(以下、作)は『ジョゼ』の3つ目のバージョンとなる(注1)。 これら3つに共通する部分は多い。生まれつき足が不自由な女性・クミ子。同居する祖母は彼女を案じるあまり家に閉じ込めている。そこに健常者の大学生・恒夫が奇妙な縁から関わるようになり、クミ子はやがて自らをジョゼと名乗り始める。あやうい恋を営むジョゼと恒夫。そしてジョゼから見た外界の恐怖の象徴として登場する虎……。 一方で、結末は各々違う。原作ではジョゼは歪な関係性の中に束の間の幸福を見出す一方、破局の予感もはっきりと持っている。実写では恒夫が親に結婚を言い出せず、やがて逃げるように去る。

    名作『ジョゼと虎と魚たち』アニメ版は“純愛推し”だが…消された「性被害」の重み | 文春オンライン
    oriak
    oriak 2020/12/27
    多くの人に最後まで読んでほしい記事。消され無視されたハンディキャップの主体性と、なぜそれが消されたのかと、それでも作品が公開された意味とについて、的確に指摘している。
  • 『鬼滅の刃』、中1の娘を魅了した「いい子な主人公・炭治郎」…その〈新しさと古さ〉(堀越 英美) @gendai_biz

    「いい子の主人公を見たことがなかった」 先日、「初見の人間が感動して泣くところを見たい」という『鬼滅の刃』ファンの中学1年生の娘に連れられて、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』を鑑賞した。「こんなに泣きを期待されて泣かなかったら、ハードめな反抗期が前倒しで来てしまうのでは……。泣いたら泣いたで恥ずかしいし」。 そんな心配は幸い、杞憂に終わった。劇場の明かりがついてみれば、我々だけでなく、隣の母娘も前方の席の父息子も、小学生男子グループも10代女子3人組も、みんなべそべそ泣いていたからである。今まで子連れで訪れてきたどんなファミリー映画でも、これほどの熱気を体験したことはなかった。 歴代記録を次々に塗り替えるほどの大ヒットとなれば、当然にその人気の秘密を知りたくなる。『鬼滅の刃』の魅力を語りつくすには早口でも5億年かかるという娘に言わせれば、絵、セリフやオノマトペのセンス、小説のようなモノロー

    『鬼滅の刃』、中1の娘を魅了した「いい子な主人公・炭治郎」…その〈新しさと古さ〉(堀越 英美) @gendai_biz
    oriak
    oriak 2020/11/21
    いい子がいい子でいたい気持ちを受け止める表現があることが嬉しい
  • ビデオゲームは芸術か:『ビデオゲームの美学』3章をわかりやすく書く - 9bit

    帯にでかでかとあるように、拙著『ビデオゲームの美学』の主張のひとつ(中でもあまり重要ではないもののひとつ)は「ビデオゲームは芸術だ!」なんですが、諸概念の関係が複雑で議論もねじれており多くの人にとってわかりにくいと思うので、できるだけ簡単な言い方でまとめておきます(正確さよりもわかりやすさを優先します)。該当箇所は第3章の2~3節。 に書いてないことを自由に読み込んだうえでなされる疑問・批判・反論(たとえば「じゃあビデオゲームは娯楽ではないのか?」みたいなやつ)に対してはとくにフォローしません。まず文章を読んでください。 芸術形式と芸術作品の区別 「ビデオゲームは芸術か?」という問いはよく問われる。この問いはふつう、「特定のビデオゲーム作品が芸術かどうか」と問うているのではなく、「ビデオゲームという表現媒体が芸術かどうか」を問うている。なので、この場合に使われている「芸術」という語は、「

    ビデオゲームは芸術か:『ビデオゲームの美学』3章をわかりやすく書く - 9bit
    oriak
    oriak 2020/06/02
    批評の有無が芸術的価値観の付与たりえるということに異論はないが、それだけで芸術かどうかを判断して良いのかという疑問は残る。この記事がわかりやすく書くことに注力していることも理解しているが。
  • 『にくをはぐ』感想(批評というか雑感)|ぽてとふらい

    TLでトランス関連漫画が話題になっているので、読んでみた感想や、ツイッター上で私が見た感想に対して、ちょいちょい引用したり反論したりしてみます。 該当漫画はこちら。 作者の遠田おとさんはいわゆる新人作家さん(原作つきのスピンオフを三冊出していますが)で、今作も一話読み切り形式。あらすじ等々は省きます(無料なので読んでいただければいいので)。 余談ですが作者さんについて調べていたら、1年ぶりくらいにツイッターを更新していました。 トランスジェンダー周りの描写についてまず、この手の漫画での鬼門というか、トランスジェンダー周りの描写について。 トランス男性(FtM。今作品の劇中では、千秋は自分の事を「男」としか呼んでいません。念のため)を描いた作品では、少し古い作品として『G.I.D』(庄司陽子、2006年)があるのですが、誌掲載時にはかなりの間違いや不味い描写があり、単行ではかなりの個所

    『にくをはぐ』感想(批評というか雑感)|ぽてとふらい
    oriak
    oriak 2020/01/03
    トランスジェンダーの方が保守的な性別観を持つのはよくあるというしそれも含めてよく描けていたとは思う。ただセクシズムの描写が一部不必要なほど攻撃的であり、それが娯楽として描かれていたことも無視できない。
  • 菊地成孔が語る、映画批評の倫理「1番やっちゃいけないのは、フェティッシュを持ち込むこと」

    菊地成孔の欧米休憩タイム』(blueprint) 菊地成孔の新刊『菊地成孔の欧米休憩タイム』が、現在発売中だ。 Amazonで発売中 英語圏(欧米国)以外、特にアジア圏の映画を対象としたリアルサウンド映画部の連載レビュー「菊地成孔の欧米休憩タイム〜アルファヴェットを使わない国々の映画批評〜」の中から記事を厳選し、新たに加筆・修正の上で収録した同書。同連載の番外編として掲載され、Yahoo!ニュースなどのネットメディアやSNSで大きな議論を巻き起こした『ラ・ラ・ランド』評のほか、有料ブログマガジンの連載批評「TSUTAYAをやっつけろ」や、長らく書籍化されなかった伝説の連載コラム「都市の同一性障害」などを収録している。 リアルサウンド映画部では今回、発売後の反響を受けて、改めて菊地成孔人にインタビュー。映画批評をはじめたきっかけから、その方法論について、さらには韓国映画の現在についてまで

    菊地成孔が語る、映画批評の倫理「1番やっちゃいけないのは、フェティッシュを持ち込むこと」
  • 「あいトリ」騒動は「芸術は自由に見ていい」教育の末路かもしれない(森 功次) @gendai_biz

    あいちトリエンナーレ2019が閉幕した。これほど騒ぎになった芸術祭は日ではかつてなかっただろう。話題の中心となったのは最後まで「表現の不自由展・その後」だった。もっと光を当てられるべき良い作品が多数あった中、これは残念なことだ。 当初批判の的となったのは、キム・ソギョン/キム・ウンソンの《平和の少女像》と大浦信行《遠近を抱えて Part II》の2作品だったが、「表現の不自由展・その後」の展示再開後には、「Chim↑Pom(チンポム)」の映像作品、《気合い100連発》も批判され出した。 稿では、今回の騒動があらわにした分断と、その背後にある芸術観について考察する。まずは《気合い100連発》に向けられた批判を見ることから、話を始めよう。 Chim↑Pom《気合い100連発》への誤解 《気合い100連発》は、Chim↑Pomのメンバーが福島県相馬市の若者たちと円陣を組み、順番に気合いの掛け

    「あいトリ」騒動は「芸術は自由に見ていい」教育の末路かもしれない(森 功次) @gendai_biz
    oriak
    oriak 2019/10/17
    最後の結論はともかく、分析は参考になった。現代の個人の発信の裁量の大きさにおいて、表現方法も従来のままでは無防備であり危うい。
  • 炎上広告批評:「ハーフの子を産みたい方に」とコピーライティングの受難

    youkoseki.com 炎上広告批評:「ハーフの子を産みたい方に」とコピーライティングの受難 広告業界、今週の炎上という感じである。 概要 広告主:銀座いせよし 媒体:ポスター 企画の是非 まず2016年の広告が、ツイートひとつで今になって炎上しているのがすごい。広告業界ってわりと頻繁に色々な賞があって、過去の作品はマメにまとめられているので、今後こういう例がもっと増えていくのかもしれない。 私達はペットでも人形でもありません。 この屈辱を想像出来ますか? もううんざりです。https://t.co/e6gYtwSHwf pic.twitter.com/W9Oo155pOh — GRAY PRIDE (@graypridejapan) June 19, 2019 「ハーフの子を産みたい方に」が炎上中だが、他にもコピーはある。「ナンパしてくる人は減る。ナンパしてくる人の年収は上がる」「着

    炎上広告批評:「ハーフの子を産みたい方に」とコピーライティングの受難
    oriak
    oriak 2019/06/21
    広告の炎上を見るたびに、たとえ商業広告でも広告は社会に向かって呼びかける態である、ということを他ならぬ広告屋がわかってないの嫌になる。この着物広告は広告でなくともアウトだと思うが。
  • 「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた | 「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた | 高橋源一郎 | Webでも考える人 | 新潮社

    9月21日・金曜日の夜、「新潮」編集部から電話がかかってきた。おかしいな、と思った。今月は締め切りがないはずなんだが。イヤな予感がした。おれは、少しの間ためらった後、電話に出た。案の定だ。「新潮45」問題について書いてくれ、というのである。確かに、おれは、その問題についてツイッター上で少しだけ発言をした。それだけだ。面倒くさいし、何のためにもならない。一晩考えさせてくれ、といっておれは電話を切った。でも、おれは引き受けることになるだろう、と思った。「面倒くさくて何のためにもならないことは引き受けろ」は、高橋家の家訓なのである。 書くことを引き受けてすぐ、「新潮45」の休刊が決まった。この問題については、考えなければならないことが多すぎる。休刊の是非、雑誌や出版社、あるいは著者のあるべき姿、休刊の直接的な原因となったであろう小川榮太郎氏の論文の問題点、当該特集号の各投稿それぞれが抱えている異

    oriak
    oriak 2018/10/20
    懐の広い人だな。たくさんの人間を見つめてきたのだろう。
  • 冲方丁『撲殺天使ドクロちゃん』論

    結論から言って、誰かがやるべきだった作品である。特に、自分が属するジャンルに不満を持ち、活気がない、売り上げが落ちている、読者のニーズが分からない、やりたいことが分からなくなってきた、などと口にする作家・編集は、こういうことをすべきだった。 パロディ作品の出現は業界成熟の証拠である。幾つもの手法が定型化し、何度となく繰り返され、しかもそれが広範囲のニーズを獲得していなければパロディは成立しない。パロディがあって初めて業界は成熟し、かつ新たな発展への足がかりをつかむことが出来る。 パロディとは読者・書き手・編集の間で成立した共通了解を再確認させる装置である。作品内でパロディされているものがそもそも何なのかを読み解かせることで、そのジャンルがどういった要素で成り立っていたかを現実的な共通了解として認識させるのである。 それは閉じていた場所に穴を空けて、外部にあるものを流し込む役割をも担う。それ

  • 「面白くない」と感じた感性に自信を持っていい。その作品は、あなたにとって間違いなく面白くないのだ

    タイトルで大体完結しているんですが。 世の中には、「〇〇全然面白くなかったんだけど、これのどこが面白いの?」と悩んでいる人がどうもたくさんいるようで、「どこが面白いの」でぐぐっただけで実に400万件ものページがhitします。ダブルクオーテーションで括って、”どこが面白いの”でぐぐっても16万8000件です(しんざき環境で) ぐぐっただけの話ではなく、SNSだニュースサイトだはてブだといったいろんなページを見て回っても、「〇〇のどこが面白いんだ!」と叫んでいる人は山のようにいます。で、その人にわざわざ面白さを伝えようと頑張ったり、その人を攻撃しにいっちゃう人もたくさんいます。 結論から言いますと、面白さが分からなかった作品について、「これのどこが面白いのか?」と悩むことは時間の無駄です。その人に、「〇〇は××だから面白いんだよ!」と説明することも時間の無駄です。まだその時間を使って、スキタイ

    「面白くない」と感じた感性に自信を持っていい。その作品は、あなたにとって間違いなく面白くないのだ
  • 1