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あとで読むと教育に関するusataroのブックマーク (3)

  • アクティブ・ラーニングの授業と一斉講義式の授業 - うたことば歳時記

    最近、職員室でアクティブ・ラーニングという言葉をよく聞くようになりました。聞くところによれば、2012年8月の中教審(文部科学省中央教育審議会)の答申で提唱されたもので、「受動的な受講」、つまり受け身ではなく、「能動的な学修」、つまり主体的に授業を受けられるようにしよう、というのです。 また、従来の授業は一斉講義式であり、知識の伝達・注入を中心としたものである。それに対してアクティブ・ラーニングの授業は、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていくのだ、ということです。 このような試みは、はじめは大学から始まりました。そして最近は小学校から高等学校にまで波及し、一斉講義式は悪い授業で、アクティブラーニングの授業こそが当のよい授業であると言わんばかりの風潮が満ち満ちています。試しに、インタ

    アクティブ・ラーニングの授業と一斉講義式の授業 - うたことば歳時記
    usataro
    usataro 2018/11/17
    アクティブラーニングというよりもグループワークの問題点だろうなあ。
  • フューチャリスト宣言の通り、学校制度は終わってる気がする。 - 高校生奮闘記

    教育フューチャリスト宣言というがある。そこで脳科学者の茂木健一郎さんという方が『大学というシステムが終わっていることは体感でわかるんですよ。』と言っていた。そのときは言いすぎだろうとも思ったが、考えるとやっぱりそんな気がしていた。そして今日、現代文の授業を受けていて切に思った。「こんな授業意味ねぇ!」と。意味がまったくないとまではいわないが、とんでもなく非効率なことをしているのは確かだと思う。たとえば、現代文の授業は現状どのように行われるかを見てみると、大方が、まず読む教材を全員に配る。朗読する。この部分は何故こうなのか?どういう意味なのか?みたいな問いかけがなされる。その問いかけに関して生徒が考えて答える。先生がそこを黒板で解説する。細かい差はあると思うが、大方の授業はこの流れだろうと思う。まず僕が異を唱えたいのは5の部分、書かれた文章について教師が解説するといっても、果たしてその解説

  • なぜ中学で「武道」「ダンス」の必修なのか

    「規範意識」をふりかざして復古主義の「教育改革」を呼号した安倍内閣の「教育いじり」の「成果」がさっそく出てきた。中央教育審議会が、中学校で「武道」「ダンス」の必修科目化を打ち出したのだ。中央教育審議会の専門部会での討議をへて、近く決定を見ることになるという。昨年の10月末から安倍内閣が強引に推進した「教育いじり=改正教育法」に掲げられた「伝統と文化を尊重し」という教育目標の具現化をはかったものだという。しかし、なぜ「武道」なのか。 剣道・柔道・なぎなた・弓道などを男女ともに習得することは、一般論から言えば悪いことではない。それぞれの奥行きも深いことだろう。けれども、伝統文化と呼んだ場合には、茶道・華道・香道をはじめ、俳句・和歌・連歌や、能・狂言・歌舞伎などの伝統芸能、あるいは日画・版画・造形などの伝統美術……とても書き切れないぐらいの多方面の「伝統と文化」がこの国には存在する。「伝統

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