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考古学に関するusataroのブックマーク (80)

  • 学位もたない88歳女性、縄文布研究で博士号を取得:朝日新聞デジタル

    立命館大(京都市)は24日、縄文時代の布を研究する東海学園女子短大名誉教授の尾関清子さん(88)=名古屋市東区=に文学博士号を授与した。吉田美喜夫学長から祝福を受けた尾関さんは取材に「とても光栄で一生の思い出になった。こんな年齢で恥ずかしさもあるが、金メダルをもらったような喜び」と語った。 尾関さんは、素朴で単純と思っていた縄文布が、様々な方法で編まれていたことに魅了された。それから30年以上、研究に没頭。縄文時代の布文化の地域性や起源について掘り下げ、複数の著書も出版した。シンポジウムや縄文布を編む体験教室で講師として活躍。現在は、立命館大環太平洋文明研究センターで客員協力研究員を務めている。 昨年9月に博士論文「縄文の布―日列島布文化の起源と特質」を提出し、高評価を受けた。尾関さんは修士も含め、学位をもっておらず、今回初めて取得した。縄文布をめぐる研究での博士号は国内初という。 ◇

    学位もたない88歳女性、縄文布研究で博士号を取得:朝日新聞デジタル
    usataro
    usataro 2018/03/24
    高齢になってから研究はじめた方かと思いきや研究者なんだな、なら納得。ただ文学博士じゃなくて博士(文学)だろう。
  • 福井で巨大な山林寺院跡見つかる 朝宮町の丘陵、奈良~平安期 | 社会 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE

    福井市朝宮町の丘陵に、古代の北陸では最大級の山林寺院跡があることが2日までに、日考古学協会の埋蔵文化財保護対策委員古川登さん(58)=同市=の調査で明らかになった。遺物などから奈良時代末~平安時代前半の寺院とみられ、東側の尾根上に大小20面以上の平たん面が見つかった。白山信仰との関係もうかがえ、注目を集めそうだ。 この丘陵(標高約130メートル)は朝宮橋南側の日野川左に面し、地元集落にはかつて神社があったとの伝承が残る。古川さんが旧清水町教委職員だった2004年、近くにある中世の大型寺院・方山真光寺(かたやましんこうじ)跡に関連した調査で、丘陵東側に複数の平地があるのを確認した。字名は「大社(おおやしろ)」で、「朝宮大社遺跡」と呼ばれている。 今年4月、越前町織田文化歴史館の堀大介学芸員とともに再調査したところ、標高72メートル付近で林道の造成跡から複数の須恵器片が見つかった。8世紀末~

    福井で巨大な山林寺院跡見つかる 朝宮町の丘陵、奈良~平安期 | 社会 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE
    usataro
    usataro 2017/11/13
    朝宮橋南側の日野川左に面し、地元集落にはかつて神社があったとの伝承/標高72メートル付近で林道の造成跡から複数の須恵器片/8世紀末~10世紀前半のもので、寺院の存在をうかがわせる灯明皿の破片
  • 企画展 「発掘された中世遺跡―府中市西府の考古学―」|公益財団法人府中文化振興財団

    usataro
    usataro 2016/09/26
    府中市郷土の森博物館で中世屋敷跡に関連する企画展。10/30(日)まで。
  • 足利義満、白河院を超える力を誇示か 金閣寺「幻の塔」:朝日新聞デジタル

    室町幕府3代将軍、足利義満が権力の象徴として築いた巨大な七重塔。史料も少なく実態が分からなかった“幻の塔”を飾った相輪の一部とみられる破片が金閣寺(京都市北区)で初めて出土したと、京都市埋蔵文化財研究所が8日発表した。中世史や建築史の研究者らは強い関心を寄せる。 「北山大塔が実在したという物証がついに出土したことは大変にうれしい」と話すのは、「室町幕府論」(講談社刊)などの著書がある早島大祐・京都女子大准教授(日中世史)。南北朝統合を実現させた義満は将軍職を義持に譲ったが、手に入れた強大な権力と財力を示すため、自分が住む北山殿に金閣と大塔を建てたと推測する。 「平安後期に白河天皇が法勝寺… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読み

    足利義満、白河院を超える力を誇示か 金閣寺「幻の塔」:朝日新聞デジタル
    usataro
    usataro 2016/07/08
    興味深いが、どこら辺が大塔の相輪だという根拠になっているんだろうか。この記事だけだとちょっとわかりづらい。
  • 河野行革担当相 学説と異なる天皇陵「指定再考を」

    河野太郎行政改革担当相は30日、堺市堺区の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を視察した。その際、継体天皇陵を例に、「天皇陵と言われているものに間違いがあってはいけない」と述べ、歴史学や考古学の定説と異なる陵墓については、指定を改める必要があるとの考えを示した。 河野氏は観光資源として価値のある国の施設の開放を進めており、視察はその一環。宮内庁は太田茶…

    河野行革担当相 学説と異なる天皇陵「指定再考を」
    usataro
    usataro 2016/07/03
    「100%の証拠があれば変更する」の?考古学上の知見から得られた見解を「100%の証拠」ではないと言ってしまうと事実上学問の否定になる。陵墓管理体制上変更はたやすくないことを正直に言えばいいのに。
  • <多賀城内館館跡>空撮で室町後期屋敷跡発見 | 河北新報オンラインニュース

    多賀城市南宮の内館館跡(うちだてたてあと)で、室町時代後期の堀に囲まれた屋敷跡が見つかった。発見の契機となったのが航空写真の分析で見つかった農地のクロップ(農作物)マーク。埋没している遺構の影響で農作物の成育に違いが出ており、その場所を調べるとマーク通りに堀の跡が見つかった。市教委は4日午後1時半から現地説明会を開く。  クロップマークは、JR東北線陸前山王駅から北西約1.5キロの水田で確認された。航空写真では、幅2~3メートルの二重の堀に囲まれた隣接する2区画の形がうっすらと浮き上がって見えた。  堀の内側にあった井戸跡などからは、漆器のわん、すり鉢型の土器、木製のげた、ひしゃくなどの生活用品が出土。柱を立てた穴も数カ所確認され、有力者の屋敷跡と推定された。  多賀城市西部は、鎌倉時代の陸奥国府留守所(るすどころ)の長官の子孫で、代々この地を治めた「留守氏」の屋敷跡がある。内館館跡は、室

    <多賀城内館館跡>空撮で室町後期屋敷跡発見 | 河北新報オンラインニュース
    usataro
    usataro 2016/06/04
    こんな方法で遺構地を特定できるのかあ。興味深い。
  • 南島史が塗り替わる 環東シナ海交易の結節点 - 日本経済新聞

    不明点が多い古代から中世にかけての南西諸島の歴史を再評価する動きが活発になっている。鹿児島県の喜界島で中国産や朝鮮半島産の陶磁器などの遺物が大量に出土、大規模建物ほか多数の遺構も発見されたことが大きな弾みとなった。奄美大島周辺での発掘と呼応し、喜界島周辺が中国南部から南西諸島、九州、さらには朝鮮半島につながる環東シナ海の壮大な広域交易の結節点で、時代の推進役であった可能性が高まっている。■カムィ

    南島史が塗り替わる 環東シナ海交易の結節点 - 日本経済新聞
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    usataro 2015/08/29
    “喜界島で中国産や朝鮮半島産の陶磁器などの遺物が大量に出土、大規模建物ほか多数の遺構も発見”
  • 47NEWS(よんななニュース)

    「米粉麺を開発」が最優秀 米沢工高専攻科の学生、修了生チームの3人・キャンパスベンチャーグランプリ(CVG)東北

    47NEWS(よんななニュース)
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    usataro 2014/07/08
    「15世紀に流通した銅銭約4万枚が入ったつぼ」「京都市下京区貞安前之町」「つぼは備前焼で、銭は唐の「開元通宝」や宋銭、明の「永楽通宝」など計約50種類」
  • 長崎新聞ホームページ:【県内トピックス】16世紀の礼拝場遺構か (2月9日)

    16世紀の礼拝場遺構か 大十字架が立っていた跡とみられる円形状の石組み遺構=平戸市猪渡谷町 「キリシタンの墓」と伝えられる平戸市猪渡谷(いとや)町の「クロスバル」を専門家が調査し、巨大な十字架が立っていた跡と考えられる石組み遺構を確認した。禁教以前のキリシタンが礼拝した16世紀の「クルス(十字架)場」だった可能性が出てきた。専門家は「初期キリシタン時代の貴重な遺構かもしれない」と注目している。 ■半円状の丘 クロスバルは中山間地域の谷間に位置するなだらかな半円状の丘陵で、樹木が生い茂っている。格的な調査が行われたことはなく、実態は謎だった。 石造物研究者で長崎歴史文化博物館研究グループリーダーの大石一久さん、元平戸市教委学術専門幹の萩原博文さん、同市生月町博物館島の館学芸員の中園成生(しげお)さんら研究者が1月、合同調査を行った。 調査では、東西約20メートル、南北約10メート

    長崎新聞ホームページ:【県内トピックス】16世紀の礼拝場遺構か (2月9日)
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    usataro 2014/03/10
    “16世紀末の糸屋(猪渡谷)には松浦氏の支族で生月・度島を領有した籠手田氏の一族がいた”
  • 沖ノ島:国家的祭祀、学術価値の再検討迫る 考古学調査が先行、史料の裏付け弱く 福岡で国際研究報告会- 毎日jp(毎日新聞)

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    usataro 2013/10/27
    「西宮教授は「遺物は、宗像氏や地域の漁民による祭祀の遺物とまず考えるべき」とし、祭祀を国家・宗像氏・漁民の三重構造ととらえ、遺物もその視点から分類する必要性があると指摘
  • 古銭ザクザク、東北最多? 東根・八反遺跡で推定1万枚|山形新聞

    古銭ザクザク、東北最多? 東根・八反遺跡で推定1万枚 2013年09月16日 13:53 八反遺跡から出土した古銭。円形の容器に詰め込まれている=東根市長瀞 県埋蔵文化財センターが発掘調査を進めている東根市長瀞の八反(はったん)遺跡で、大量の古銭が見つかった。鎌倉から室町時代に中国から輸入されたものとみられ、推定で約1万枚。公的機関の発掘調査で一括出土した古銭としては、東北地方で最多の可能性がある。同センターは10月5日に現地で説明会を開き、古銭を一般公開する。 古銭は直径約30センチ、高さ約15センチの木製容器「曲物(まげもの)」の中に詰め、木の板でふたをした状態で地下約1メートルに埋められていた。100枚ごとに、銭の中央の穴にひもを通してまとめていたとみられる。 八反遺跡では2011年度に調査が始まり、縄文時代から鎌倉時代にかけての集落跡、室町時代の墓地跡が確認された。同センターは

    usataro
    usataro 2013/09/16
    「古銭は直径約30センチ、高さ約15センチの木製容器「曲物」の中に詰め、木の板でふたをした状態で地下約1メートルに」「100枚ごとに、銭の中央の穴にひもを通してまとめていたとみられる」
  • 世界遺産へ「仁徳陵に電飾を」…維新・松井氏 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    大阪維新の会の松井幹事長(府知事)は5日、堺市長選(29日投開票)を前に同市で開いた集会で、世界文化遺産登録へのアピール策として、百舌鳥(もず)・古市古墳群の仁徳天皇陵古墳にふれ、「宮内庁がどう言うかはあるけどイルミネーションで飾ってみよう、中を見学できるようにしようと色んなアイデアを出して初めて指定される」と述べた。 宮内庁が陵墓に指定・管理する古墳は尊厳を保つ目的で、原則、立ち入りが禁止されている。 集会は、橋下代表(大阪市長)や、堺市長選への立候補を表明している西林克敏氏らが市民に大阪都構想などの政策を説明する「タウンミーティング」。松井幹事長は、都構想に反対し、再選を目指す現職の竹山修身市長が、府と大阪市で進めるイルミネーション事業に参加しないことを批判した上で、仁徳天皇陵古墳を取り上げた。

    usataro
    usataro 2013/09/07
    何もかもわかっていないんだろうなあ…
  • ペルー ピラミッド破壊される NHKニュース

    南米ペルーでおよそ4000年前に作られたピラミッドが、地元の不動産業者によって跡形もなく破壊され、波紋が広がっています。 破壊されたのは、ペルーの首都リマ近郊にあるエル・パライソ遺跡でこれまでに見つかった12のピラミッドのうちの1つです。 このピラミッドは高さ6メートルでおよそ4000年前に作られたとみられ、考古学者による研究が続けられていましたが、このほど、地元の不動産業者が宅地開発のためだとして重機を使って跡形もなく破壊しさら地にしました。 ピラミッドは宗教的な儀式に使われていたのではないかと考えられていましたが、解明されていなかった点も多く、調査に当たっていた考古学者は「どのように作られたのかや、内部の構造などを知ることが不可能になってしまった」と嘆いています。 ペルー政府はピラミッドを破壊した業者を刑事告訴し、警察がこの遺跡の警備に当たるようになったということですが、貴重な古代遺跡

    usataro
    usataro 2013/07/07
    ひどい話だ…。日本でも時々起こるが、国によって遺跡保護の感覚に違いはあるんだろうか。
  • 隋王朝の煬帝の墓見つかる NHKニュース

    中国東部の江蘇省で、都市開発の工事の際に偶然、1400年前に大運河を築いたことなどで知られる隋王朝の煬帝のものとみられる墓が見つかったと、地元の当局が発表しました。 中国国営の新華社通信などによりますと、墓が見つかったのは江蘇省揚州の郊外で、都市開発の建設工事の際に偶然、面積が30平方メートルほどの古代のれんがでできた石室2つが見つかりました。地元の文化財当局が調査したところ、石室のうち1つから「隋の煬帝」と書かれた墓誌のほか、銅製の工芸品や玉がちりばめられた金のベルトなどの副葬品が発掘されました。 盗掘の跡があり、人骨などは見つかっていませんが、地元当局は、発掘された副葬品は高貴な人物にしか見られないことなどから、墓の主は隋の第二代皇帝、煬帝と基的に認定できると発表しました。煬帝は中国の南北を縦断する大運河を築いたほか、聖徳太子が当時の中国を日と対等にみて「日出づる処の天子」で始まる

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    usataro 2013/04/16
    「石室のうち1つから「隋の煬帝」と書かれた墓誌のほか、銅製の工芸品や玉がちりばめられた金のベルトなどの副葬品が発掘」「盗掘の跡があり、人骨などは見つかっていませんが」「墓の主は」「煬帝と基本的に認定」
  • 47NEWS(よんななニュース)

    「避難所でもお湯が何度も使えた」断水が続く能登に強い味方「水を98%再利用できるシャワー」 被災者が自ら運用、新しい支援の形に AIの教育活用に踏み出すシンガポール…世界トップ級の学力、生き残りに懸ける カメラで児童の動きを検出、中国技術の台頭がもたらすものは「監視」か「安全」か

    47NEWS(よんななニュース)
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    usataro 2013/01/26
    「柳之御所遺跡」から、擬人化されたカエルが墨で描かれた木片が見つかり、県教育委員会が25日、発表した。国宝「鳥獣人物戯画」(平安―鎌倉時代)に似ており、同時に出土した遺物から12世紀後半のものと推定さ
  • デーリー東北:北奥羽ニュース:野田・新館遺跡から建物や堀の跡見つかる(2012/12/06 16:01)

  • 一乗谷朝倉氏遺跡の全体像解明へ 県、基本計画を40年ぶり改定  社会 福井のニュース :福井新聞

    usataro
    usataro 2012/04/18
    「遅れている山地部に加え、初めて特別史跡指定地周辺部や県内の関連遺跡にまで調査範囲を拡大。全国で唯一残る戦国城下町跡である一乗谷の全体像を明らかに」
  • 朝日新聞デジタル:最勝光院の土台と見られる遺構 法住寺殿跡から出土 - 社会

    印刷 石と粘土を交互に積み重ねた地盤改良の跡=京都市東山区地図  源平合戦時に権勢を振るった後白河法皇が院政を敷いた御所、法住寺殿(ほうじゅうじどの)跡(京都市東山区)で、平清盛の義妹で法皇のとなった建春門院(けんしゅんもんいん)(平滋子〈しげこ〉)ゆかりの寺院「最勝光院(さいしょうこういん)」の土台とみられる遺構が見つかった。京都市埋蔵文化財研究所が8日発表した。最勝光院と推測できる建物跡が出土したのは初めて。  法住寺殿は東西600メートル、南北1.1キロの広大な敷地を有し、貴族の日記から、南端に最勝光院があったとされる。今回の調査で、整地した土地の上にこぶし大の石と粘土を交互に積み重ねて地盤を固めた跡が、計4カ所見つかった。  最勝光院は滋子の願いで1173年に建てられ、平等院鳳凰堂(京都府宇治市)のような荘厳な建物が築かれたとみられる。同研究所は「強大な権力を背景にし、清盛が訪れ

    usataro
    usataro 2012/03/09
    「法住寺殿跡で」「「最勝光院」の土台とみられる遺構」「京都市埋蔵文化財研究所が8日発表」「整地した土地の上にこぶし大の石と粘土を交互に積み重ねて地盤を固めた跡が、計4カ所」
  • 朝日新聞デジタル:中世の浄化装置? 足利・樺崎寺跡-マイタウン栃木

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    usataro 2012/03/08
    「園内の園池に水をひくための導水施設が新たに発見された」「南北朝時代にかけて、初期の導水施設を改修する際に浄化システムが採用されたらしい」
  • 広根遺跡:名主クラスの屋敷跡 鎌倉時代、荘園を経営--猪名川 /兵庫 - 毎日jp(毎日新聞)

    県立考古博物館は16日、猪名川町広根の「広根遺跡」で鎌倉時代(13世紀ごろ)の掘っ立て柱建物跡5棟や水田跡が見つかったと発表した。建物跡は最大で約70平方メートルあり、荘園の経営を任された名主(みょうしゅ)クラスの武士の屋敷とみられる。同博物館は「現在の川西市や猪名川町などで荘園を開発した多田源氏の勢力範囲を知ることができる」と話している。 鎌倉時代の遺跡からは火葬の跡も見つかり、武士たちが土地に住み着いた様子がうかがえる。他にも室町時代の石組みの井戸や、宋銭が出土した柱穴が見つかった。釉(ゆう)薬を塗って焼いた青緑色の陶器片もあり、中国製のつぼの一部とみられる。 広根遺跡は新名神高速道路の建設に伴い、今年度から格的に発掘が始まった。 現地説明会は18日午前10時~正午。現場は町立つつじが丘小学校の北にある。問い合わせは現場事務所(072・767・2530)。【高瀬浩平】 〔阪神版〕

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    usataro 2012/02/17
    「鎌倉時代の掘っ立て柱建物跡5棟や水田跡」「建物跡は最大で約70平方メートル」「名主クラスの武士の屋敷」「現在の川西市や猪名川町などで荘園を開発した多田源氏の勢力範囲」