印刷 公開された須賀神社の隕石=22日、福岡県直方市下境 1150年前に境内に落ちたと伝わる隕石(いんせき)を輿(こし)に乗せて地域を巡る福岡県直方市下境の須賀神社の御神幸大祭が22日、始まった。5年に一度開かれ、社宝が公開される奇祭。一目見ようと、県外からも天文愛好家らが詰めかけた。 神社の伝承によると、隕石は平安初期の861(貞観3)年4月7日夜、光や大きな爆発音とともに落ちてきた。赤黒く約500グラムあり、拳より一回り小さい。宮司家が大切に保存。1981年に国立科学博物館の専門家らの鑑定で「目撃記録を伴う世界最古の隕石」と確認され、神社に記念碑も建立された。 この日は、白装束などをまとった約350人が隕石を挟むように列をつくり、須賀神社を出発。山車や神輿(みこし)とともに約5キロを練り歩いた。天文ファンの春田博男さん(73)は静岡市から駆けつけた。「博物館の隕石とは違い、祭りで
印刷 関連トピックス台風【動画】鎮魂の水しぶき 御船祭台風12号で被災し、木々が流された世界遺産の小島を舟で回る氏子たち=16日午後、三重県紀宝町、水野義則撮影2009年10月の御船祭(まつり)。緑が茂った御船島を舟が周回した=三重県紀宝町、山本裕之撮影 和歌山県と三重県の県境を流れる熊野川で16日、川に浮かぶ小島の周囲を手こぎの舟が巡る神事「御船祭(みふねまつり)」があった。舞台の御船島(三重県紀宝町)は台風12号で濁流にのみ込まれ、豊かな緑が失われた。こぎ手たちは、川と共に生きてきた街の復興と犠牲者への鎮魂の思いを込めて水面に舟を走らせた。 御船祭は、世界遺産・熊野速玉大社(和歌山県新宮市)の例大祭の神事。クライマックスの「早船競漕(きょうそう)」は、市内の九つの地区が1隻ずつ出す早船(全長8.9メートル)にそれぞれ11人の若者らが乗り込み、島の周りを3周して速さを競い合う。今年は
印刷 関連トピックス原子力発電所灯籠(とうろう)が河川敷を彩り、めがね橋のイルミネーションの向こうに花火が上がった=25日午後8時36分、長崎県諫早市、恒成利幸撮影 長崎県諫早市の中心部を流れる本明川で25日夜、54年前に死者・行方不明者630人を出した諫早大水害の犠牲者を追悼する「諫早万灯(まんとう)川まつり」があった。今年は東日本大震災で被災して同市に逃れてきた家族も招かれ、市民らとともに犠牲者を悼んだ。 福島県双葉町から避難した武内英雄さん(80)と妻アキ子さん(75)、次女千恵美さん(44)は3人で会場を訪れた。福島第一原発から2キロの自宅を逃れ、運送会社に職を得た長男正明さん(51)を含む家族4人で、市が用意した住宅で暮らす。英雄さんは「双葉町でも津波で大勢亡くなり、ひとごととは思えない。災害の恐ろしさを語り継いでいかねばならない」。 まつりでは黙祷(もくとう)の後、河川敷
File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(本社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(本社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(本社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから
薩摩の戦国武将・島津義弘ゆかりの伝統行事「妙円寺詣(まい)り」について、妙円寺(鹿児島県日置市伊集院町)が近く、行事を主催する日置市などに対し、名称を含めた見直しを申し入れることになった。 明治時代の神仏分離で廃寺、その後再興されたものの、行事はそのままの名称で別の神社に引き継がれている。このため二つの寺社を混同したり寺はもう存在しないと誤解したりといった混乱がいまだにみられ、寺再興から130年の時を経て、正式に「改善」を求めるという。 妙円寺は、室町時代の1390年に創建された曹洞宗の古寺。島津義弘が生前に自分の菩提(ぼだい)寺と定め、江戸時代に義弘を慕う鹿児島城下の武士らによって妙円寺詣りが続けられてきた。 ところが、明治になって島津家が祖先の祭祀(さいし)を神道だけで行うことを決めたため、同寺は明治2年(1869年)に廃寺となり焼かれてしまった。 11年後に大本山・永平寺と檀家(だん
和歌山県は新宮市で毎年2月6日に行われる、お燈祭り。 白装束を着て、荒縄巻いた男達が松明片手に山を駆け下りる、女人禁制のお祭りだ。そんな祭りに参加してきた。 (尾張 由晃) 実は地元の祭り 祭りといっても縁日は出ないし楽しい出し物もない。僕のイメージでは物々しい雰囲気の中、酔っ払いや暴れたい奴らが暴れる祭り。参加したことないのでこういう風に思っていた。 なので、男だったらお燈に上れ(祭りに参加すること)。と言われても全く興味が沸かなかった。
三重県無形民俗文化財に指定されている多度大社(桑名市)などの「上げ馬神事」が、動物虐待との声を受け揺れている。県教委は「伝統だとは思うが、現代風に改める必要があるのでは」と指摘。15日に開かれる県文化財保護審議会にこれまでの経緯などを報告した上で、9月に指定の当否を判断することになった。 上げ馬神事は、地元7地区の青年会などでつくる「御厨(みくりや)」と呼ばれる組織により大社に奉納され、高さ約2メートルの土壁を駆け上がった馬の数で豊作凶作を占う。馬を興奮させるため竹やはんてんでたたいたり、ササの葉で急所を刺激することもあるという。 1996年以降、複数の動物愛護団体が「動物虐待に当たる」と主張し、指定取り消しを要望。県は、御厨との協議や馬の習性を学ぶシンポジウムを通じ、「不適切な扱い」の改善を求めてきた。しかし県によると、昨年もたたくなどの例があったという。 県内の動物愛護団体代表の
燃えさかるたいまつを手に一斉に石段を駆け下りる「上り子」たち=6日午後8時1分、和歌山県新宮市の神倉神社(長時間露光、門井聡撮影) 山は火の滝、下り竜−。勇壮な火祭り「お燈まつり」が6日、和歌山県新宮市の神倉神社で行われた。燃えさかるたいまつを手にした男たちは一気に石段を駆け下り、炎は夜空を赤く染め光の帯となり、ふもとへ流れ落ちた。 白装束姿に腰縄を巻いた「上(のぼ)り子」と呼ばれる男たち2461人が、ご神体の「ゴトビキ岩」周辺に集まり、辺りは炎の海と化した。午後8時ごろ山門が開かれると一斉に飛び出し、男たちは雄たけびを上げ、火の粉を散らし、約500段の石段を威勢よく駆け下りた。 「お燈まつり」は熊野速玉大社の摂社、神倉神社に約1400年前から伝わる女人禁制の神事。熊野に春を呼ぶ祭りとして親しまれている。
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