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原爆と人生に関するusataroのブックマーク (1)

  • シゲちゃん 長崎原爆72年(1)あの日の恩人どこに - 西日本新聞

    長崎原爆の爆心地から南東700メートルにあり、入院患者50人以上が亡くなった長崎医大付属病院。2人は病棟の屋上で爆弾の破片探しに興じていた(米軍撮影、長崎原爆資料館所蔵) 写真を見る 命の恩人の「シゲちゃん」に会いたいと願う被爆者の池田道明さん 写真を見る 恩人のシゲちゃんに助けられ、戦後の小学校に通ったころの池田道明さん(中央) 写真を見る 写真を見る ミッちゃんとシゲちゃんは、一緒にエレベーターに乗り込んだ。1階に着き、扉が開く。1945年8月9日午前11時2分。一歩踏み出した瞬間、まぶしい光とともに爆風に吹き飛ばされた。  その日、長崎医大付属病院外科病棟の屋上は、焼け付くような暑さだった。6歳の少年2人は空襲の爆弾の破片を探して遊んでいた。午前11時ごろ、「あった! こいは太かばい」。自慢げなシゲちゃんだったが、すぐに「便所に行きとうなったけん下に降りよう」とミッちゃんに駆け寄った

    シゲちゃん 長崎原爆72年(1)あの日の恩人どこに - 西日本新聞
    usataro
    usataro 2017/08/16
    幼い頃の命の恩人「シゲちゃん」のその後を追ったていねいな取材。原爆が少年の人生を大きく変えてしまったこと、それでも戦後の社会を生き抜いたこと。戦後70年を超えた今だからこそできる記事。
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